ブラームスの小径

日程 | 2018年03月02日(金) [日帰り] |
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メンバー |
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天候 | 曇り |
アクセス |
利用交通機関
ミルツツーシユラークの駅までウィーンより約二時間
電車
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|
地図/標高グラフ

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コースタイム [注]
- 日帰り
- 山行
- 1時間5分
- 休憩
- 0分
- 合計
- 1時間5分
- 日帰り
- 山行
- 27分
- 休憩
- 0分
- 合計
- 27分
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
写真
感想/記録
by yamaneko0922
ミルツツーシユラーク、この知られざる小さな街の名を観光案内やガイドブックの片隅に見つけることがあるとするならば、ゼメリング鉄道(同日のレコ参照)の終点ということとか、かつてブラームスの別荘があり、ここで交響曲4番を完成させたことくらいであろう。ブラームスが別荘を構えたのは1884年のことであり、ゼメリング鉄道が開通してから丁度30年の節目年であった。ちなみに当時は、ゼメリング鉄道の開通がこの街にウィーンの避暑地という夏の賑わいを齎したが、時代の推移と共にかつての賑わいは失われたようだ。
このミルツツーシユラークのどこかにブラームスのお気に入りの散歩道が、ブラームスの小径という散策路として整備されているという。ゼメリング鉄道の散策路の雪山ハイクのついでにブラームスが目にした光景を確かめようと、ゼメリング峠を越えてこの街に辿りついたのは、既に13時を大きく過ぎていた。午前中の晴天は瞬く間に消え去り、空全体に石灰(片栗粉でも可)の粉を溶かしたかのように無機的な白色の薄雲に覆い尽くされている。そのためか街を歩きだすと急に寒さを覚える。
この街の唯一の見所といっても過言ではないブラームス博物館を訪れるも、冬季は金曜日から日曜日のみの開館とのこと。生憎、今日は木曜日だ。冬の平日にこの街に観光に訪れる者はいないのであろう。街の全体を把握しようとツーリスト・インフォメーションを訪ねるも14時まで昼休みである。午前中の雪山ハイクで乾いた喉を癒そうとレストランを探すが容易ではない。ようやく見つけたケバブの店でビールにありつく。
ビールで一頻り喉を潤したのち、ツーリスト・インフォメーションで頂いた街の地図を開くも肝要のブラームスの小径の所在は明らかでない。勿論、英語で訊いてもわからない。独語で尋ねないことには。わざわざこの辺鄙な街までやってきて挙句、土産話はビールとケバブのみか。すっかり諦めて、失意のうちにインフォメーションを辞す。去り際にふと目に留まった郊外のハイキングの案内を掴み、インフォメーションの外で開いてみると、なんとハイキング・コースの筆頭にBrahmsweg(ブラームスの小径)が紹介され、地図にもルートが明瞭に記載されているではないか。街の南側の丘陵地帯と森の中を逍遥する全長約4km余りの行程である。
ウィーン市街の北部、ベートーベンが遺書をしたためたことで知られるハイリゲンシュタットにあるベートーベンの小径は完全に街中の遊歩道であり、ほぼ同様のものを予想していたのだが、その期待は見事に裏切られた。
早速、地図を片手にルートを辿り始める。否が応でも目につく高台の小さな教会をルートが掠めているので、教会を訪れてみる。エヴァンゲリスト教会らしい。生憎、教会の入り口は施錠されていたが、その入り口の近傍にブラームスの小径の案内版の第1番があった。案内所にはドイツ語の説明と共に五線譜の上にわずかに数匹のオタマジャクシが記されている。20番までの案内番の全てを辿るとブラームスの子守唄の楽譜が完成するということだ。
教会の裏手のなだらかな坂道を登り始める。最初は住宅地の中を進むが、コースの曲がり角や随所ににはBrahmswegと書かれた臙脂(えんじ)色の小さな道標が誘導してくれる。イノシシの形かと思ったが、イノシシにしては背中のシルエットがギザギザしており、ハリネズミに思える。
道はやがて住宅地を抜け出し、牧草地と思われる、広い雪原の間を緩やかに登っていく。折角、雪道を歩ける登山靴を履いているので、トレースのない雪原を歩かない手はない。やがてハリネズミの道標が導かれるままに雪原を横切り、針葉樹林の中をいく林道となる。
林道は下り坂となり大きくUターンするあたりで、今度は谷間の沢筋に沿った小径となる。沢は完全に凍っているが、水の成分のせいであろう、緑白色の大理石のような不思議な色合いを見せる。凍りついているが故にみずの濁りが美しく思われるのだろう。小径の上に湧き出した水も鍾乳石のような色合いで凍りついている。ほどなく木橋でこの凍てついたせせらぎを渡ると伐採地に入る。いずれの樹も梢が高いのだが、枝の反り返り具合が中央ヨーロッパに多い樅の樹であることを示唆する。梢の彼方で石灰色の曇天に陽光が再び光を放ち始める。伐採地を越えると再び舗装された車道に飛び出すが、カーブの先に広々とした雪原が目に入ったので、コースを外れて訪ねてみる。雪原の上に速度を増して落ちてゆく太陽が曇天に黄金色の光芒を放っていた。
後から判明したのだが、ここで本来の小径は車道を登らねばならないらしい。車道を下ってしまうが、左手に開けた雪原の向こうに見慣れた臙脂色のハリネズミがいるではないか。雪原をトラバースするトレースを追ってハリネズミを目指すと、再びブラームスの小径に目出度く復帰。積雪した小径を辿ると広い林道となり、程なくスキーのジャンプ台に出る。休日ともなるとジャンプの練習に訪うスキー客を迎えるのだろうが、音をたてるのを憚かるかのやうにひっそりと静まりかえっている。ジャンプ台の下に拡がる雪の斜面は落日の傾いた陽光が最高の輝きを増しているようだ、この雪原の斜面を降りると舗装路に出て、いつしかスタート地点のエヴァンゲリスト教会の前に戻るのだった。気がつくと斜陽を受けて橙色に耀く教会の斜面の彼方には青空が快復しつつあった。このブラームスの小径においては、教会に戻りつくまで、だれ一人として出逢わなかった。
ブラームスがこのミルツツーシユラークに滞在したのはあくまでも避暑の季節のみであったから、我々辿った雪景色は彼が目にした夏の情景とはかけ離れていたことだろう。しかし、この雪景色はブラームスの小径が雪のない冬景色よりも小径に多くの彩りと幻想を与えてくれたに違いない。落日の陽光の輝きと共に‥
ミルツツーシユラークを後にすると、ウィーン楽友協会におけるウィーン交響楽団の演奏会へと急ぐ。この夜のプログラムは折しもブラームスの交響曲第2番であった。世界で最高な音響効果との呼び声の高いホールで、ブラームスの交響曲の緩徐楽章を耳にしながら思い出すのは、ゼメリング鉄道のダイナミックな雪景色ではなく、地味でありながらも静謐なブラームスの小径の落日の光景だった。確かにブラームスの音楽に相応しい冬の小径であった。
「赤いハリネズミ」とはブラームスが入り浸っていた往時のウィーンのレストランの店名であったようだ。ウィーンで最も格安なレストランとブラームスは常々、主張していたらしい。残念なことにそのレストランはもう存在しない。
このミルツツーシユラークのどこかにブラームスのお気に入りの散歩道が、ブラームスの小径という散策路として整備されているという。ゼメリング鉄道の散策路の雪山ハイクのついでにブラームスが目にした光景を確かめようと、ゼメリング峠を越えてこの街に辿りついたのは、既に13時を大きく過ぎていた。午前中の晴天は瞬く間に消え去り、空全体に石灰(片栗粉でも可)の粉を溶かしたかのように無機的な白色の薄雲に覆い尽くされている。そのためか街を歩きだすと急に寒さを覚える。
この街の唯一の見所といっても過言ではないブラームス博物館を訪れるも、冬季は金曜日から日曜日のみの開館とのこと。生憎、今日は木曜日だ。冬の平日にこの街に観光に訪れる者はいないのであろう。街の全体を把握しようとツーリスト・インフォメーションを訪ねるも14時まで昼休みである。午前中の雪山ハイクで乾いた喉を癒そうとレストランを探すが容易ではない。ようやく見つけたケバブの店でビールにありつく。
ビールで一頻り喉を潤したのち、ツーリスト・インフォメーションで頂いた街の地図を開くも肝要のブラームスの小径の所在は明らかでない。勿論、英語で訊いてもわからない。独語で尋ねないことには。わざわざこの辺鄙な街までやってきて挙句、土産話はビールとケバブのみか。すっかり諦めて、失意のうちにインフォメーションを辞す。去り際にふと目に留まった郊外のハイキングの案内を掴み、インフォメーションの外で開いてみると、なんとハイキング・コースの筆頭にBrahmsweg(ブラームスの小径)が紹介され、地図にもルートが明瞭に記載されているではないか。街の南側の丘陵地帯と森の中を逍遥する全長約4km余りの行程である。
ウィーン市街の北部、ベートーベンが遺書をしたためたことで知られるハイリゲンシュタットにあるベートーベンの小径は完全に街中の遊歩道であり、ほぼ同様のものを予想していたのだが、その期待は見事に裏切られた。
早速、地図を片手にルートを辿り始める。否が応でも目につく高台の小さな教会をルートが掠めているので、教会を訪れてみる。エヴァンゲリスト教会らしい。生憎、教会の入り口は施錠されていたが、その入り口の近傍にブラームスの小径の案内版の第1番があった。案内所にはドイツ語の説明と共に五線譜の上にわずかに数匹のオタマジャクシが記されている。20番までの案内番の全てを辿るとブラームスの子守唄の楽譜が完成するということだ。
教会の裏手のなだらかな坂道を登り始める。最初は住宅地の中を進むが、コースの曲がり角や随所ににはBrahmswegと書かれた臙脂(えんじ)色の小さな道標が誘導してくれる。イノシシの形かと思ったが、イノシシにしては背中のシルエットがギザギザしており、ハリネズミに思える。
道はやがて住宅地を抜け出し、牧草地と思われる、広い雪原の間を緩やかに登っていく。折角、雪道を歩ける登山靴を履いているので、トレースのない雪原を歩かない手はない。やがてハリネズミの道標が導かれるままに雪原を横切り、針葉樹林の中をいく林道となる。
林道は下り坂となり大きくUターンするあたりで、今度は谷間の沢筋に沿った小径となる。沢は完全に凍っているが、水の成分のせいであろう、緑白色の大理石のような不思議な色合いを見せる。凍りついているが故にみずの濁りが美しく思われるのだろう。小径の上に湧き出した水も鍾乳石のような色合いで凍りついている。ほどなく木橋でこの凍てついたせせらぎを渡ると伐採地に入る。いずれの樹も梢が高いのだが、枝の反り返り具合が中央ヨーロッパに多い樅の樹であることを示唆する。梢の彼方で石灰色の曇天に陽光が再び光を放ち始める。伐採地を越えると再び舗装された車道に飛び出すが、カーブの先に広々とした雪原が目に入ったので、コースを外れて訪ねてみる。雪原の上に速度を増して落ちてゆく太陽が曇天に黄金色の光芒を放っていた。
後から判明したのだが、ここで本来の小径は車道を登らねばならないらしい。車道を下ってしまうが、左手に開けた雪原の向こうに見慣れた臙脂色のハリネズミがいるではないか。雪原をトラバースするトレースを追ってハリネズミを目指すと、再びブラームスの小径に目出度く復帰。積雪した小径を辿ると広い林道となり、程なくスキーのジャンプ台に出る。休日ともなるとジャンプの練習に訪うスキー客を迎えるのだろうが、音をたてるのを憚かるかのやうにひっそりと静まりかえっている。ジャンプ台の下に拡がる雪の斜面は落日の傾いた陽光が最高の輝きを増しているようだ、この雪原の斜面を降りると舗装路に出て、いつしかスタート地点のエヴァンゲリスト教会の前に戻るのだった。気がつくと斜陽を受けて橙色に耀く教会の斜面の彼方には青空が快復しつつあった。このブラームスの小径においては、教会に戻りつくまで、だれ一人として出逢わなかった。
ブラームスがこのミルツツーシユラークに滞在したのはあくまでも避暑の季節のみであったから、我々辿った雪景色は彼が目にした夏の情景とはかけ離れていたことだろう。しかし、この雪景色はブラームスの小径が雪のない冬景色よりも小径に多くの彩りと幻想を与えてくれたに違いない。落日の陽光の輝きと共に‥
ミルツツーシユラークを後にすると、ウィーン楽友協会におけるウィーン交響楽団の演奏会へと急ぐ。この夜のプログラムは折しもブラームスの交響曲第2番であった。世界で最高な音響効果との呼び声の高いホールで、ブラームスの交響曲の緩徐楽章を耳にしながら思い出すのは、ゼメリング鉄道のダイナミックな雪景色ではなく、地味でありながらも静謐なブラームスの小径の落日の光景だった。確かにブラームスの音楽に相応しい冬の小径であった。
「赤いハリネズミ」とはブラームスが入り浸っていた往時のウィーンのレストランの店名であったようだ。ウィーンで最も格安なレストランとブラームスは常々、主張していたらしい。残念なことにそのレストランはもう存在しない。
訪問者数:121人



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