伊賀上野・高旗山
- GPS
- 03:36
- 距離
- 10.8km
- 登り
- 691m
- 下り
- 359m
コースタイム
- 山行
- 3:29
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 3:39
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:滋賀バス伊賀辻駅から信楽高原鉄道信楽駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
林道からの道は明瞭 伊賀越えの道は余り歩かれていない |
写真
感想
伊賀市青山町阿保は伊勢街道の通る古い街で小高い処に大村神社がある。集落ごとに建てられた詰所が10棟程あり他では余りお目に掛からない。リーダー邸は神社のお隣で宮司とは懇意なようで態々社務所から出てきて由緒を案内してくれた。境内を通り抜けると将にお隣の大邸宅が穐月明画伯が晩年を過ごされた屋敷で後ろの方が伊賀市に寄贈された美術館となっている。
芭蕉の俳句を題材とした日本画が展示され鑑賞していると時間が逼迫し、画伯夫人が茶室でお茶をもてなして下さったがゆっくり味わうこともできず大急ぎで頂き青山駅まで小走りで急ぎ何とか予定の列車に乗ることができた。伊賀神戸で乗換え伊賀鉄道上野市駅に着くと、上野城へと向かった。藤堂高虎の築いた城で高さ30mの石垣は大阪城に次ぐ規模を持っている。皆が広場で昼食を食べている間に天守閣を見てきた。3層の天守閣は昭和初期の模造で史実を反映していないそうだ。天守閣の広場からはこの後行く高旗山が望めた。
再び伊賀鉄道に乗り新居(にい)駅で下車するといよいよ高旗山登山。本能寺の変の際、徳川家康は僅かな人数で堺を見物中で伊賀衆の助けを借り、近江から御斉峠(おとぎとうげ)を越えて伊賀、伊勢へと逃れた道を歩く。旧街道で“道しるべ”も残っていた。林道の獣除けゲートを越えると幅2m程の旧街道、今は歩く人が殆どないようだった。
登りに坂になると登山の詳細を知らず参加したメンバーの一人が遅れだした。此のペースでは信楽へのバスに間に合わなくなりそうで高旗山登頂組は別行動を取り、リーダー率いる本隊は高旗山に登らず御斉峠を越えて伊賀越道をそのまま行くことになった。別動隊は先行し尾根道を進んだ。高倉神社方面を迂回してきた途切れた県道を結ぶ林道に飛び出すと御斉峠の500m程東側で、林道を横断すると「高旗山約20分」の表示がありコンクリートの階段が続いていた。地形図では伊賀市・甲賀市の市境の稜線に登山道が描かれているが実際は南側の巻き道がメインとなっているようだ。山頂手前で樹林の開けた処があり足を止めたが、山頂はもすぐで丸太階段を登ると広々とした山頂に到着した。
高旗山(710m)山頂には、3等三角点「高塚」があり方向指示盤も設置されていた。眼下は伊賀上野の市街地で午前中に行った上野城も俯瞰することができた。遠くは室生火山群や風車の林立する布引山地も一望できた。本隊は、御斉峠を越えて先行しているので追い付くべく来た道を引き返した。往路に取付いた地点には戻らず峠の北側、多羅尾CCへの車道に下り立った。県道138号線に入ってすぐ仕置場跡に続く林道へと分岐した。案内板によると江戸時代信楽代官所の処刑場だった処で、その場所にはお墓があった。因みに信楽代官は多羅尾氏が世襲した。
幅の広い道だが余り歩かれていないようだ。広い谷間は嘗て湿原だったようで薄が生い茂っていた。高宮神社への分岐点の林道に飛び出すと本隊の姿を捉えた。穐月リーダーは藪に没した道を探して偵察していた。道を発見したようで皆が続いた。一寸した峠を越えると棚田の跡が虚しく滝川を渡ると伊賀辻BSに達した。当初の計画では多羅尾代官屋敷に立ち寄り茶屋出からバスに乗る予定だったが時間が押したため此処で山行を打ち切15分後のバスを待った。信楽高原鉄道の信楽駅に達する頃には真っ暗になり久々の気動車に乗ったが車窓は只真っ暗街の灯も見えないローカル線だった。草津線経由で帰京し、京都駅付近の居酒屋で反省会をすると1時間の心算が3時間近くになってしまった。
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