大台ヶ原尾鷲道(武四郎道からトロッコ道へ)
- GPS
- 09:55
- 距離
- 23.9km
- 登り
- 799m
- 下り
- 2,260m
コースタイム
- 山行
- 9:48
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 10:48
天候 | 曇り後晴れ、一時風強し |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
1.ビジターセンター尾鷲辻 ・整備良好な大台ヶ原ハイキング道 ※これ以降のルートは、現在ビジターセンターの広報などでは「推奨されていない」可能性が有りますので、その点ご注意お願いします。 2.尾鷲道(尾鷲辻-栃山林道・古和田林道分技 ・整備された登山道(標識やオレンジテープ目印が有る)が続くが、崩壊が進むなど荒れた所もある。 ・武四郎道(青いテープ目印が有る)は、尾根や稜線部を通っていることが多く、やや起伏も有る。 3.トロッコ道(栃山林道・古和田林道分技-尾鷲道登山口) ・明瞭な部分も有るが、崩落崩壊などにより不明瞭な部分も有るので、注意が必要 ・トロッコの線路が通っていた軌道跡が登山道になっている部分も多いが、崩落等による中断部分の迂回路は特に注意が要る。 4.尾鷲道登山口-国道425号出合い ・幅の広い林道状の道だが、多くの部分は舗装されていない。一般車は通行止めされている(と思われる)。 |
その他周辺情報 | 大台ヶ原ビジターセンター |
写真
感想
思いが募る「大台ヶ原尾鷲道」
郷土松阪出身で幕末-明治初期の探検家、「北海道の名付け親」として名高い松浦武四郎が拓いて通った道...。
また、この森の豊富な木材を運び地域の産業の振興に多いに貢献した、明治に敷かれたトロッコ線の面影が今に残る歴史遺産の道...。
朝5:45、気温2℃のまだ暗い大台ヶ原駐車場を、ヘッドライトを点けてスタート。早々に「日出ヶ岳」の山頂を踏んで、
「尾鷲辻」の東家の裏からいよいよ尾鷲道に入る。
早々、落ち葉の絨毯に隠れた木の根に足先を引っ掛けて勢い良く転倒したものの、その時は大した痛みは感じなかった。
尾鷲道を下り始めてからはそれまで漂っていたガスは消えたものの、空は相変わらずの曇り模様。紅葉こそ見られないが、深い森の雰囲気充分の落葉の山道をルンルン気分で歩を進める。
やがて、大台方面の山頂付近が何やら白っぽいのに気が付いた。恐らく日陰の山頂付近は樹氷模様になっているのだろう...。
「コブシ嶺」への尾根を登る頃には、空も次第に晴れ間が覗き始め、背後の谷にはいつの間にか虹が浮かんで、その虹はコブシ嶺に到着してもまだ鮮やかなままで消えていなかった。
コブシ嶺を過ぎた標高1200m付近で、周囲の紅葉が段々と目立ち始め、「台高」の稜線伝いに進む頃には、その鮮やかさが一段と増して来た。
ところが、スタートから10kmを過ぎて12km辺りに掛けて、右足の膝裏から膝内横の当たりに何となく違和感を覚え始め、それが少しづつ小さな痛みへと変わって来た。尾鷲道に入って直ぐ、勢い良く転んだ時打った膝が、そのまま歩き続ける中で2-3時間ほど経って、どうやら痛み出して来たようだ。
骨には異常がない様なので、我慢しながら歩いていると、12km地点くらいで、前方から来る巡回中の3人の営林署の職員と出会った。よほど助けを求めようかと思ったが、心の中でそれをこらえて、一言二言笑顔でありきたりの挨拶を交わしただけで通り過ごして、その後ろ姿を見送った。
「新木組峠」の分技では、足の痛みに気を取られていたのか、道を間違えて、距離にすれば少しとは言え今日の私に取っては手痛いロス...。しかしあくまで当初予定の武四郎道を歩くべく引き返して、(この足には結構こたえる)尾根上の急なアップダウンの有る道を、痛みをこらえながらも忠実に進むと、見事な紅葉の中に遠く熊野灘が見え隠れ...。周囲の山並みの素晴らしい展望にも励まされたりして、懸命に体を前へ前へと運んだ...。
進むに連れて、右足が次第次第に悲鳴の程度を上げていくのが分かる。とうとう痛みを和らげる為に、たまらず「中の嶺」の頂で風を避けて、昼食を兼ねて暫し休憩...。
20分ほどの後、再び気力を振るって歩き出してみたが、痛みは期待したほど良くなっていない様だ。1歩1歩と足を前に運ぶが、そのスピードが明らかに落ちている。どうにか「又口辻」を越した辺り「古和田分技」を確認して、武四郎道に別れを告げ、これからいよいよもう一つの目的のトロッコ道へと向かう。
この頃右足は、平坦な道なら何とか歩けそうだが、上りや下りになると、歩き始めの1分ほどが痛くて痛くて...。それを我慢して歩き続けると時間が立つうちに何とか痛みに慣れて歩いていると言う状態...。立ち止まり休憩するとまた痛みが最初から始まる。
やがて尾根を離れる急な下りの坂道になり、必死の思いで片方の足を引き摺り気味にどうにか沢筋まで下る。沢筋を暫く進んで、この沢を対岸へ渡ると、軌道跡らしい石組みに支えられた平坦な道に出会うことが出来てこの時は感慨ひとしお...。これが念願のトロッコ軌道跡の様だ。
その後、小さな崩落、崩壊などを通り越して、廃線路が敷かれたまま残っているトロッコ軌道に出逢った時には、正に感激ひとしお...。この時の感激は私に取って、恐らく一生忘れる事の出来ないものの一つになるだろう。
この後も、まだまだ続く長い道を痛みをこらえて気力だけで歩き続けて、ようやく舗装道(「クチスボダム」下流の国道425号)に辿り着いた時には、精も根も尽き果てて、もうこれ以上一歩も進みたくないと言う状態になっていた。
事後の悪化も考慮して、やむなくこれ以上の歩行継続を断念し、大台ヶ原の山頂から車を運転して終点の尾鷲駅で待っていてくれる筈の我が山の神に、ようやく通じる様になったLINEで、予定外のここまでの向かえを頼んで来てもらった。
...その後、この右膝は2日間自由には動かせなかったものの、1日毎に少しづつ確実に動かす時の痛みが和らいで、1週間後には幸運にもほとんど痛みを感じずに歩けるほどに、我ながら奇跡とも思える回復をして、懲りずにまた次の山行を計画している...。
感動の山行をありがとう、尾鷲道!
そして山の神に感謝!
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