記録ID: 2967455
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ハイキング
京都・北摂
日程 | 2021年03月01日(月) [日帰り] |
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この地は薩原摂関の基礎を作った百人一首歌人[26]忠平が、10世紀前半に営んだ法性寺の地所が基で、以後、百人一首歌人[45]謙徳公、[50]義孝などのゆかりも持ち、兼家、道長等を経て、[26]忠平より8代目[76]忠通は法性寺殿と呼ばれていた。道家はこの地を拡大、東福寺としたもの。平安末期の法性寺境内には百人一首歌人[83]藤原俊成も住し、[97]定家も一時移住したことが伝わっている。
[26]貞信公(藤原忠平)、[45]謙徳公(藤原伊尹)、[50]義孝、[76]忠通、[83]俊成、[97]定家
玉章(たまずさ)地蔵と称される地蔵菩薩坐像のほか、[9]小野小町100歳像などを安置する。玉章地蔵は京都市東山区の渋谷(しぶたに)越えにあった小町寺から明治7年(1874年)に移されたもので、小野小町宛ての恋文を納めると伝える。
1444年に文渓元作禅師(東福第160世)が、その師、琴江令薫禅師(東福第129世)を開山として創建した臨済宗大本山東福寺の塔頭寺院。[26]藤原忠平建立の天台宗法性寺伽藍に藤原道長によって造営された、五大堂の丈六不動明王を本尊としている。後に五大堂は兵火によって消失したが、唯一火災から逃れたを不動明王を安置するために1280年東福寺開山の聖一国師によって再建された。同聚院はその五大堂を本堂とする形で建立されているため「五大堂同聚院」とも呼ばれる。現在の五大堂は1714年(正徳4年)の再興を経たものである。境内にはモルガンお雪の墓がある。
延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺の巨大な伽藍があった嘉禎2年(1236年)、摂政九条道家は、この地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦如来像を安置する大寺院を建立することを発願し、寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とした。
感想/記録
by fu-tyan
百人一首の本をめくっていたら
東福寺の中に俊成のお墓がある。
この前は 僧正遍昭のお墓を巡ったので・・・。
行ってみよう!
東福寺だけでもそれに関する百人一首の歌人が8人も♫
藤原氏の家系図で確認したらますます混乱(-_-;)
似たような名前が次から次へ・・・。
時系列で並べたり、歌の順番で並べたり(-_-;)
もっとも有効だったのは
無理矢理に大文字山のプレートがあるところに関連付けて把握したら
少しは記憶にとどまりそう♫
あそこにいる人とこちらにいる人とは親子、孫、師弟関係、恋人関係・・・。
ブログは
https://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/8766ad1f5c56d9a071101026fdd04e46
東福寺の中に俊成のお墓がある。
この前は 僧正遍昭のお墓を巡ったので・・・。
行ってみよう!
東福寺だけでもそれに関する百人一首の歌人が8人も♫
藤原氏の家系図で確認したらますます混乱(-_-;)
似たような名前が次から次へ・・・。
時系列で並べたり、歌の順番で並べたり(-_-;)
もっとも有効だったのは
無理矢理に大文字山のプレートがあるところに関連付けて把握したら
少しは記憶にとどまりそう♫
あそこにいる人とこちらにいる人とは親子、孫、師弟関係、恋人関係・・・。
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