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記録ID: 3138704
全員に公開
講習/トレーニング
六甲・摩耶・有馬

20210503-人が少ない市街地散歩-日本最低山菜切山

2021年05月03日(月) [日帰り]
 - 拍手
体力度
2
日帰りが可能
GPS
04:33
距離
28.2km
登り
20m
下り
16m
歩くペース
速い
0.70.8
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
4:07
休憩
0:27
合計
4:34
距離 28.2km 登り 13m 下り 5m
13:17
10
本山南七丁目要玄寺川/大町橋
13:27
13:28
9
大日霊女神社/魚屋道の碑
13:37
17
国道43号/芦屋川
13:54
19
芦屋市春日町/地蔵道標
14:13
14:14
19
夙川/日切地蔵尊
14:33
7
西宮神社/東門
14:40
14:46
6
正念寺角之橋本町橋周辺
14:52
15
阪神電車今津駅
15:07
15:09
3
枝川/甲子園五番町交差点
15:12
15:13
15
四軒茶屋公園
15:28
11
武庫川
15:39
15:40
6
琴浦神社
15:46
15:47
15
菜切山
16:02
16:08
3
武庫川/小松の渡し周辺
16:11
16:15
23
岡太神社
16:38
16:40
7
上野神社
16:47
6
阪神電車今津駅
16:53
16:55
4
正念寺角之橋本町橋周辺
16:59
12
西宮神社/東門
17:11
11
国道2号/夙川橋
17:22
17
芦屋市春日町/地蔵道標
17:39
12
国道2号/芦屋川業平橋
17:51
国道2号赤鳥居交差点
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2021年05月の天気図
アクセス 徒歩
コース状況/
危険箇所等
武庫川の河川敷、寺社の境内以外、すべて市街地の街路です。
東灘区本山南町七丁目と八丁目の間の要玄寺川(上流左俣が保久良神社の下からの風呂の川)の大町橋(おうまちはし)の東詰北側から橋の下を見ています。
保久良神社の西の山麓、岡本八幡神社脇から南へ流れる天上川が、昭和 2 年までは、現在の福井池公園(当時は溜池)の北側で東進(横に流れる、横川)して、高橋川(現在の高橋川よりは西にあった、現在の商船大学線の道路地下の高橋川放水路)に流れ込んでいました。
この写真の奥からの道路は、昭和 2 年の天上川の付け替え工事でその流れが埋め立てられた後の道路ですが、道路北側には東西の雨水路が流れていて(コンクリート舗装で蓋をされている)、この写真の中央上に、小さい人の後ろ姿が見えるところが、そのコンクリート舗装の雨水路の蓋です。
この雨水路は、しかし、ここで要玄寺川には流れ込んでいませんでした。橋の下の壁面が、均一ではなく、何回かの工事の後のように見えます。

下に資料を挙げます。
2021年05月03日 13:18撮影 by  H8296, Sony
5/3 13:18
東灘区本山南町七丁目と八丁目の間の要玄寺川(上流左俣が保久良神社の下からの風呂の川)の大町橋(おうまちはし)の東詰北側から橋の下を見ています。
保久良神社の西の山麓、岡本八幡神社脇から南へ流れる天上川が、昭和 2 年までは、現在の福井池公園(当時は溜池)の北側で東進(横に流れる、横川)して、高橋川(現在の高橋川よりは西にあった、現在の商船大学線の道路地下の高橋川放水路)に流れ込んでいました。
この写真の奥からの道路は、昭和 2 年の天上川の付け替え工事でその流れが埋め立てられた後の道路ですが、道路北側には東西の雨水路が流れていて(コンクリート舗装で蓋をされている)、この写真の中央上に、小さい人の後ろ姿が見えるところが、そのコンクリート舗装の雨水路の蓋です。
この雨水路は、しかし、ここで要玄寺川には流れ込んでいませんでした。橋の下の壁面が、均一ではなく、何回かの工事の後のように見えます。

下に資料を挙げます。
西国街道踊り松の碑に来ました。ここから西国街道浜街道を東進していきます。
2021年05月03日 13:25撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 13:25
西国街道踊り松の碑に来ました。ここから西国街道浜街道を東進していきます。
大日霊女神社に来ました。魚屋道の碑が見えます。
2021年05月03日 13:27撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 13:27
大日霊女神社に来ました。魚屋道の碑が見えます。
魚屋道(ととやみち)の碑と説明。
2021年05月03日 13:28撮影 by  H8296, Sony
2
5/3 13:28
魚屋道(ととやみち)の碑と説明。
西国街道浜街道は、大日霊女神社の前、南側を東西に通っています。東進。
2021年05月03日 13:28撮影 by  H8296, Sony
5/3 13:28
西国街道浜街道は、大日霊女神社の前、南側を東西に通っています。東進。
国道 43 号線(西国街道浜街道)の芦屋川の橋に来ました。写真中央は、阪神電車芦屋駅。
山はよい天気、コロナが落ち着いたら行きます。
2021年05月03日 13:37撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 13:37
国道 43 号線(西国街道浜街道)の芦屋川の橋に来ました。写真中央は、阪神電車芦屋駅。
山はよい天気、コロナが落ち着いたら行きます。
西国街道浜街道が国道 43 号線から北へ離れるところに浄土宗阿保山親王寺。
2021年05月03日 13:50撮影 by  H8296, Sony
5/3 13:50
西国街道浜街道が国道 43 号線から北へ離れるところに浄土宗阿保山親王寺。
芦屋市春日町の道標の地蔵と石標に来ました。北を向いて撮影。写真奥は、標高が高くなっています。ここから東北東、次いで北東方向へ、山裾に沿って古代の山陽道が廣田神社の前まで通じていました。

20210425-人が少ない市街地散歩-芦屋西宮間の古代山陽道-廣田神社
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3110750.html
2021年05月03日 13:54撮影 by  H8296, Sony
5/3 13:54
芦屋市春日町の道標の地蔵と石標に来ました。北を向いて撮影。写真奥は、標高が高くなっています。ここから東北東、次いで北東方向へ、山裾に沿って古代の山陽道が廣田神社の前まで通じていました。

20210425-人が少ない市街地散歩-芦屋西宮間の古代山陽道-廣田神社
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3110750.html
一つ前の写真の道標から西宮市御茶家所町までは、現在の街路で古代の山陽道を辿ることはできません。近似しながら北東へ進みます。
今日は、森具公園の北側を東進してみました。
2021年05月03日 14:00撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:00
一つ前の写真の道標から西宮市御茶家所町までは、現在の街路で古代の山陽道を辿ることはできません。近似しながら北東へ進みます。
今日は、森具公園の北側を東進してみました。
西宮市御茶家所町の南側、国道 2 号線の南側の歩道から北東方向、昔、御茶家所があった一角を眺めています。
洋服の青木さんの東側のマンションの敷地が御茶家所にだいたい相当するそうです。
洋服の青木さんと東側のマンションの間の道路が国道 2 号線に出るところが、昔、山陽道に西宮神社からの道が合流していたところに相当するようです(御茶家所の南西の角、江戸時代初期に西国街道が整備されるよりも以前)。

御茶家所については、下に資料を挙げておきます。
2021年05月03日 14:04撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:04
西宮市御茶家所町の南側、国道 2 号線の南側の歩道から北東方向、昔、御茶家所があった一角を眺めています。
洋服の青木さんの東側のマンションの敷地が御茶家所にだいたい相当するそうです。
洋服の青木さんと東側のマンションの間の道路が国道 2 号線に出るところが、昔、山陽道に西宮神社からの道が合流していたところに相当するようです(御茶家所の南西の角、江戸時代初期に西国街道が整備されるよりも以前)。

御茶家所については、下に資料を挙げておきます。
一つ前の写真の箇所から少し東、この写真の左後方が御茶家所の南西の角になります。
この向かって右奥に下る路地が、御茶家所に向かって西宮神社から西進(北西進)してきた道の道筋に相当する位置と方向にあります。
通り抜けはできないようです。
2021年05月03日 14:09撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:09
一つ前の写真の箇所から少し東、この写真の左後方が御茶家所の南西の角になります。
この向かって右奥に下る路地が、御茶家所に向かって西宮神社から西進(北西進)してきた道の道筋に相当する位置と方向にあります。
通り抜けはできないようです。
国道 2 号線、夙川橋から北、JR 神戸線の守具川橋りょう。その手前の飛び石が、古代山陽道が通っていたあたりのようです。
守具川 = 夙川です。
2021年05月03日 14:10撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 14:10
国道 2 号線、夙川橋から北、JR 神戸線の守具川橋りょう。その手前の飛び石が、古代山陽道が通っていたあたりのようです。
守具川 = 夙川です。
JR 神戸線、守具川橋りょう。このプレートは、北側、西岸側にあります。
2021年05月03日 14:12撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:12
JR 神戸線、守具川橋りょう。このプレートは、北側、西岸側にあります。
夙川西岸、JR 神戸線の南に日切地蔵尊。北を向いて撮影。

20210214-人が少ない市街地散歩-芦屋-夙川 (25/35)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2927201&pid=2d0ee015f45adf421cd7bf47a4f094e6
2021年05月03日 14:13撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:13
夙川西岸、JR 神戸線の南に日切地蔵尊。北を向いて撮影。

20210214-人が少ない市街地散歩-芦屋-夙川 (25/35)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2927201&pid=2d0ee015f45adf421cd7bf47a4f094e6
日切地蔵尊から南を向いて、向かって右下(南西)に下る道が、古代山陽道をトレースしているようです。

20210425-人が少ない市街地散歩-芦屋西宮間の古代山陽道-廣田神社 (11/34)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=3110750&pid=715552d6411e79e0871faf94aa93e654
2021年05月03日 14:14撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:14
日切地蔵尊から南を向いて、向かって右下(南西)に下る道が、古代山陽道をトレースしているようです。

20210425-人が少ない市街地散歩-芦屋西宮間の古代山陽道-廣田神社 (11/34)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=3110750&pid=715552d6411e79e0871faf94aa93e654
洋服の青木さんの東側のマンションの南西の角(御茶家所の南西の角)から南東を向いて撮影。
写真中央、国道 2 号線の南側の赤茶色と薄クリーム色の建物の間が、5 枚前の写真、この御茶家所から西宮神社に向かう古来の道筋にあたるところ(方向も)です。
2021年05月03日 14:17撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:17
洋服の青木さんの東側のマンションの南西の角(御茶家所の南西の角)から南東を向いて撮影。
写真中央、国道 2 号線の南側の赤茶色と薄クリーム色の建物の間が、5 枚前の写真、この御茶家所から西宮神社に向かう古来の道筋にあたるところ(方向も)です。
1 枚前と 6 枚前の写真で触れました、御茶家所から西宮神社に向かう道筋にあたるところの南東の端、夙川右岸から北西を向いて撮影。
通り抜けできる道はありませんでした。
2021年05月03日 14:21撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:21
1 枚前と 6 枚前の写真で触れました、御茶家所から西宮神社に向かう道筋にあたるところの南東の端、夙川右岸から北西を向いて撮影。
通り抜けできる道はありませんでした。
飛び石で夙川を渡ります。西宮神社に向かう方向と道筋に近似しています。
2021年05月03日 14:22撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:22
飛び石で夙川を渡ります。西宮神社に向かう方向と道筋に近似しています。
夙川東岸、東西南北の街路以外に南東に向かう路地があります。西宮神社と御茶家所を結ぶ道筋の名残かもしれません。
2021年05月03日 14:24撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:24
夙川東岸、東西南北の街路以外に南東に向かう路地があります。西宮神社と御茶家所を結ぶ道筋の名残かもしれません。
西宮神社の鳥居(東の門)の前に来ました。西を向いて振り返りで撮影。この写真の背後(東方向)、旧国道とある方向へ進みます。江戸時代以降の西国街道と中国街道が相当します。
2021年05月03日 14:33撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:33
西宮神社の鳥居(東の門)の前に来ました。西を向いて振り返りで撮影。この写真の背後(東方向)、旧国道とある方向へ進みます。江戸時代以降の西国街道と中国街道が相当します。
正念寺の西側の南北の道が六湛寺川を渡る角之橋。
中国街道が正念寺の北で東川を東西に渡っていた昔の角の橋とは、渡っている川(かつて東川、今六湛寺川)、向き(かつて東西、今南北)が異なっているでしょう。
2021年05月03日 14:40撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:40
正念寺の西側の南北の道が六湛寺川を渡る角之橋。
中国街道が正念寺の北で東川を東西に渡っていた昔の角の橋とは、渡っている川(かつて東川、今六湛寺川)、向き(かつて東西、今南北)が異なっているでしょう。
正念寺の東側の門。南側の正門は、帰路に撮影します。
2021年05月03日 14:40撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:40
正念寺の東側の門。南側の正門は、帰路に撮影します。
旧国道が手前の六湛寺川(宝橋)と奥の東川(本町橋)を渡るところ。中国街道が東川を渡っていたかつての角の橋より少し南に位置します。
2021年05月03日 14:41撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:41
旧国道が手前の六湛寺川(宝橋)と奥の東川(本町橋)を渡るところ。中国街道が東川を渡っていたかつての角の橋より少し南に位置します。
六湛寺川を渡る宝橋の東詰南側の石碑群。
2021年05月03日 14:42撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:42
六湛寺川を渡る宝橋の東詰南側の石碑群。
中国街道が東川を渡る東川橋。2 枚前の写真の少し上流です。
2021年05月03日 14:45撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:45
中国街道が東川を渡る東川橋。2 枚前の写真の少し上流です。
東川橋を渡って東を見ますと、少し下っていく旧街道らしい道。中国街道はこっちのようです。
この東川橋が、昔の角の橋に相当する位置にあるようです。
2021年05月03日 14:46撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:46
東川橋を渡って東を見ますと、少し下っていく旧街道らしい道。中国街道はこっちのようです。
この東川橋が、昔の角の橋に相当する位置にあるようです。
中国街道を東進。街道っぽいです。
2021年05月03日 14:46撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:46
中国街道を東進。街道っぽいです。
中国街道を東進、福祉センター筋と旧国道の交差点。
2021年05月03日 14:47撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:47
中国街道を東進、福祉センター筋と旧国道の交差点。
津門川(つどがわ)を渡り、
2021年05月03日 14:50撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:50
津門川(つどがわ)を渡り、
阪神電車の下をくぐって、
2021年05月03日 14:51撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:51
阪神電車の下をくぐって、
阪神電車今津駅。写真向かって左手には、阪急電鉄今津駅があります。
2021年05月03日 14:52撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:52
阪神電車今津駅。写真向かって左手には、阪急電鉄今津駅があります。
桜翁稲荷大明神、入って拝んできました。
2021年05月03日 14:55撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:55
桜翁稲荷大明神、入って拝んできました。
日蓮宗淨願寺。入れなさそうでした。
2021年05月03日 14:56撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:56
日蓮宗淨願寺。入れなさそうでした。
名神高速道路をくぐる今津曙町の交差点。
2021年05月03日 14:59撮影 by  H8296, Sony
5/3 14:59
名神高速道路をくぐる今津曙町の交差点。
昔は枝川という川だった道路を渡る甲子園五番町の交差点。東進。
2021年05月03日 15:07撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:07
昔は枝川という川だった道路を渡る甲子園五番町の交差点。東進。
南側、写真奥には、阪神電車甲子園駅と甲子園球場。
2021年05月03日 15:08撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:08
南側、写真奥には、阪神電車甲子園駅と甲子園球場。
北を向いて撮影。
枝川については、下に資料を載せておきます。
2021年05月03日 15:09撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:09
北を向いて撮影。
枝川については、下に資料を載せておきます。
東を向いて撮影、道が下っています。枝川の川岸が少し高かった名残です。
2021年05月03日 15:09撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:09
東を向いて撮影、道が下っています。枝川の川岸が少し高かった名残です。
枝川の東岸は、昔、四軒茶屋という地名でした。児童公園の名前に残っています。
なお、枝川を渡る渡しを六石の渡しといっていました。西岸側、甲子園六石町という現在の町名に名前をとどめています。
2021年05月03日 15:12撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:12
枝川の東岸は、昔、四軒茶屋という地名でした。児童公園の名前に残っています。
なお、枝川を渡る渡しを六石の渡しといっていました。西岸側、甲子園六石町という現在の町名に名前をとどめています。
武庫川に来ました。
中国街道が渡っていた渡しは、このあたりだったそうです。西岸側からは小松の渡し、東岸側からは西新田の渡しと呼んでいたそうです。
2021年05月03日 15:28撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 15:28
武庫川に来ました。
中国街道が渡っていた渡しは、このあたりだったそうです。西岸側からは小松の渡し、東岸側からは西新田の渡しと呼んでいたそうです。
琴浦神社に来ました。
2021年05月03日 15:39撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:39
琴浦神社に来ました。
琴浦神社の説明板。
2021年05月03日 15:40撮影 by  H8296, Sony
5/3 15:40
琴浦神社の説明板。
かつての日本最低山、菜切山に来ました。私有地で柵に囲まれていますので、登ることはできません(ネット上には登頂記もありますが)。
2021年05月03日 15:46撮影 by  H8296, Sony
2
5/3 15:46
かつての日本最低山、菜切山に来ました。私有地で柵に囲まれていますので、登ることはできません(ネット上には登頂記もありますが)。
菜切塚の説明。
墳墓の形態をしていたということですが、墳墓ではないようです。
菜切山の資料を下に載せておきます。

新型コロナの状況 48 + かつての日本一の低山
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-237236
2021年05月03日 15:47撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 15:47
菜切塚の説明。
墳墓の形態をしていたということですが、墳墓ではないようです。
菜切山の資料を下に載せておきます。

新型コロナの状況 48 + かつての日本一の低山
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-237236
菜切山。山っぽく見えますでしょうか。このあたりの標高が、近くの大庄公園で 1.2m なので、標高 3m くらいと伝わっているとおりのようです。
2021年05月03日 15:47撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 15:47
菜切山。山っぽく見えますでしょうか。このあたりの標高が、近くの大庄公園で 1.2m なので、標高 3m くらいと伝わっているとおりのようです。
帰路、武庫川の河川敷に降りてみました。小松の渡しがあったあたりから北。
2021年05月03日 16:05撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 16:05
帰路、武庫川の河川敷に降りてみました。小松の渡しがあったあたりから北。
対岸、東岸には雉が坂がありますが、通過してきてしまいました。
2021年05月03日 16:06撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:06
対岸、東岸には雉が坂がありますが、通過してきてしまいました。
岡太神社に来ました。

岡太神社 (西宮市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E5%B8%82)

下記の資料の中にもいろいろと記述があります。
2021年05月03日 16:11撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:11
岡太神社に来ました。

岡太神社 (西宮市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E5%B8%82)

下記の資料の中にもいろいろと記述があります。
反閇。このとおりに足を運んで、穢れを落とすのだそうです。土足で踏んでよいのかわからず、やりませんでした。
2021年05月03日 16:13撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:13
反閇。このとおりに足を運んで、穢れを落とすのだそうです。土足で踏んでよいのかわからず、やりませんでした。
狛犬ではなく、猪。静止(しし)像だそうで、災害を防いでいるのだそうです。
2021年05月03日 16:14撮影 by  H8296, Sony
1
5/3 16:14
狛犬ではなく、猪。静止(しし)像だそうで、災害を防いでいるのだそうです。
岡太社の石標
2021年05月03日 16:14撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:14
岡太社の石標
尼崎藩領界碑。西面には是従西尼崎領他領入組、南面には是従東尼崎とあります。
2021年05月03日 16:14撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:14
尼崎藩領界碑。西面には是従西尼崎領他領入組、南面には是従東尼崎とあります。
岡太神社の略記。
2021年05月03日 16:14撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:14
岡太神社の略記。
中国街道が、枝川の東側で、現在の旧国道の道筋より一筋北を通っていた区間。川に向かって道が少し上がっています。
2021年05月03日 16:30撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:30
中国街道が、枝川の東側で、現在の旧国道の道筋より一筋北を通っていた区間。川に向かって道が少し上がっています。
上野神社にお参り。
2021年05月03日 16:40撮影 by  H8296, Sony
5/3 16:40
上野神社にお参り。
名神高速道路をくぐる今津曙町の交差点から西、中国街道の帰路の西進。
2021年05月03日 16:41撮影 by  H8296, Sony
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名神高速道路をくぐる今津曙町の交差点から西、中国街道の帰路の西進。
中国街道が東川を渡る東川橋。少し上がっています。上でも触れましたが、昔の角の橋に相当するようです。
2021年05月03日 16:53撮影 by  H8296, Sony
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中国街道が東川を渡る東川橋。少し上がっています。上でも触れましたが、昔の角の橋に相当するようです。
六湛寺川を渡る宝橋。写真奥が現在の角之橋。
2021年05月03日 16:55撮影 by  H8296, Sony
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六湛寺川を渡る宝橋。写真奥が現在の角之橋。
正念寺の南側を通過。
2021年05月03日 16:56撮影 by  H8296, Sony
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正念寺の南側を通過。
西宮神社から北西、御茶家所町に向かいます。市庭町の道端に子安地蔵。
2021年05月03日 17:07撮影 by  H8296, Sony
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西宮神社から北西、御茶家所町に向かいます。市庭町の道端に子安地蔵。
御茶家所町に向かう北西への旧道の南の入口。
2021年05月03日 17:08撮影 by  H8296, Sony
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御茶家所町に向かう北西への旧道の南の入口。
御茶家所町に向かう北西への旧道の途中にお地蔵様が集まっていました。昔の道があったということでしょう。
2021年05月03日 17:09撮影 by  H8296, Sony
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御茶家所町に向かう北西への旧道の途中にお地蔵様が集まっていました。昔の道があったということでしょう。
芦屋市春日町のお地蔵様の道標に戻ってきました。
2021年05月03日 17:22撮影 by  H8296, Sony
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芦屋市春日町のお地蔵様の道標に戻ってきました。
西国街道を辿りながら西進、国道 2 号線、芦屋川の業平橋に来ました。この後、魚屋道の赤鳥居まで記録をつけました。
2021年05月03日 17:39撮影 by  H8296, Sony
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西国街道を辿りながら西進、国道 2 号線、芦屋川の業平橋に来ました。この後、魚屋道の赤鳥居まで記録をつけました。
撮影機器:

装備

個人装備
ERGOSTARランニングマスク装用 Buffフェイスマスク携行 長袖ポロシャツ(おたふく手袋ボディータフネス) 半袖インナーTシャツ(おたふく手袋ボディータフネス) ズボン(ランニング用ジャージスラックス) 靴下(安全靴作業用) 靴(Salomon XA COLLIDER) ザック(Paladineer Sunature 28L) ファーストエイドキット タオル ハンドタオル 帽子(作業用cap) 携帯型情報通信端末(スマホ) 飲料1.5L 水分以外1.5kg+健康保険証+山岳保険会員証

感想

かつての日本最低山、尼崎市の菜切山まで、西国街道浜街道、西国街道、中国街道を辿って行ってみました。

2021年04月20日 15:37 注意警戒情報
新型コロナの状況 48 + かつての日本一の低山
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-237236

神戸の最高気温は、17 時 18 分の 19.5度。風があり、歩けば汗をかくのですが涼しく、水分 1.5L を含む約 3kg の荷物で、スポーツドリンク 500ml、デカビタ C ダブルスーパーチャージ 300ml を消費しました。

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天上川、その付け替え以前の横川と要玄寺川の資料

古代(奈良時代とその前後)の条里制に伴って、南北の流れだった天上川が途中から横川(この地では東西に流れる川)にされたと考えられているそうです。
その後堆積して天井川(天上川の名前の由来)となり、氾濫を繰り返していて、江戸時代には付け替えが嘆願されたのですが、実現しなかったそうです。
昭和 2 年、天井川は西の南北の川、大谷川に(福井池公園の西側で:20210516 訂正、鎌田川です)接続されて現在の天上川になり、横川部分は埋められました。

高橋川水系河川整備計画 平成24年4月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/110ktakahashi.pdf

高橋川 (兵庫県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%B7%9D_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)

天上川水系河川整備基本方針(案)平成30年3月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/6-1kihonhoushin.pdf

天上川
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E5%B7%9D

今昔マップ、明治 43 年ころの地図
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.722426&lng=135.279347&zoom=16&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

明治 43 年ころの地図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Motoyama_village%2C_Muko_county%2C_Map_in_Meiji.jpg

20200711-人が少ない市街地散歩-昔の大谷川 (9/69)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2429410&pid=59b655a8b3c23915685ce5bb6547abcb

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御茶家所

今津いまむかし物語
旧西国街道を歩く(4) 森具〜打出
http://imazukko.sakura.ne.jp/nishinomiya-style/blog/imazukko/T2.html
昔、兵庫の和田岬へ馬を使って陸路で神幸していた頃は、広田神社と広田神社南宮(今も西宮神社内にあり)を出たのちここで合流して列を整えたものだが、今はここは御茶屋所と呼んでいる、ということです。

広西両宮絵図(貞享3年広田西宮両宮古図)
http://imazukko.sakura.ne.jp/kaidou/archive/ezu/nishinomiya/hironishi/hironishi.html
御茶家所
http://imazukko.sakura.ne.jp/kaidou/archive/ezu/nishinomiya/hironishi/hironishiC1.JPG

現在の国道 2 号線で夙川の西岸の洋服の青木さんの東側のマンションがあるところが、御茶家所があったところだそうで、今は失われましたが、マンションの敷地の南西の角に、西宮(西宮神社)、中山(宝塚の中山寺)、それぞれへの分岐を示す道標(すぐ西宮左中やま、すぐ = まっすぐが)があったのだそうです。

すぐ西宮左中やまの道標
http://imazukko.sakura.ne.jp/style/photo/saigoku56.jpg

現在、かつての西国街道として伝わる阪神電車香櫨園駅の南側を通って西宮神社に至る東西の道と西宮神社の東(正念寺の西側で中国街道から分岐)から西宮中央運動公園に至る南北の道は、江戸時代初期に西国街道として整備された、それより以前は、西宮神社から北西へ、夙川の西岸の宿村で古来の山陽道に接続する道があったということです。その接続箇所に御茶家所があり、マンションの南西の角あたりが分岐点だったようです。

2021年 03月 28日 19:30 歴史 西宮の昔の地図、資料
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-235142

慶長十年摂津国絵図(1605 年ころ)を見ますと、古来の山陽道に南東から北西へ向けて宿火村(火は久の誤記)の西で接続し、その少し南西で山陽道が南西から西へ向きを変えています(向きを変えている地点が芦屋市春日町の地蔵と石標がある辺りと思われます)。
https://yamareco.info/modules/diary/upimg/121565/6f667c588882a60c6a2db429c304eadf.jpg

マンションの南西の角から国道 2 号線の南側、南東を見たところに国道 2 号線から南東に入る路地があるのが、かつての道筋かそれに近いのかもしれません。
今日の探索では、立ち入ったり通り抜けたりはできないようです。

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枝川と武庫川

阪神西部(武庫川流域圏)地域総合治水推進計画 平成25年3月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/muko.pdf

武庫川の治水対策について 報告書
(武庫川水系河川整備計画(案)における武庫川ダムの取扱い)
平成23年4月21日 兵庫県
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/dai15kai/dai15kai_siryou4.pdf
武庫川下流部において築堤、河床掘削などの 本格的な改修が始まったのは、大正 9 年である。 阪神国道(現国道 2 号)の工事に関連して県が 改修に踏み切り、第 1 期工事として大正 9 年か ら大正 12 年にかけて東海道線以南の約 5km を改修した。

ちょっと歴史っぽい西宮
大正〜枝川の廃川と甲子園球場
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55416440.html
弘治3年(1557)に武庫川決壊の大水害が起こり、その時氾濫した水が分流となって枝川が出来たという説が有力、ということです。
大正 9 年に枝川を埋める工事が始まり、大正 12 年に完成、そこに甲子園球場ができたそうです。

中国街道が枝川を渡る六石の渡しは、西岸側、甲子園六石町に名前を残し、茶屋がいくつもあった中の四軒茶屋は東岸側の地名(字)になり、現在の四軒茶屋公園に名前が残っています。

中国街道は六石の渡しで少しだけ北へずれていた、四軒茶屋の 1 ブロック西、旧国道から一つ北へ入った路地の部分が、北へずれた部分の中国街道に一致して残っているのだそうです。

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武庫川の小松の渡し、西新田の渡し、雉が坂、中国大返し

上流の仁川合流箇所にある髭の渡しと異なり、小松の渡し、西新田の渡しには、何も標識がありません。

西新田
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E8%A5%BF%E6%96%B0%E7%94%B0

西新田の渡し
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E8%A5%BF%E6%96%B0%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%B8%A1%E3%81%97

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雉が坂
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E9%9B%89%E3%81%8C%E5%9D%82
東岸下流側に説明板があるようです。

農夫がここで雉が飛び立つ様を羽柴秀吉に伝えなかったら、待ち構えていた明智軍に武庫川を渡った途端にやられていたかもしれませんね。

なお、羽柴秀吉が中国大返しをした時代は、山陽道は、芦屋市春日町の地蔵石標の地点から廣田神社の方へ北東へ進み、武庫川は髭の渡しで渡っていたと思われます。

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中国大返しの正確な経路には、不明な点があったり、また、軍勢も複数に分かれていました。
秀吉(の本軍)は、遠回りにはなりますが、兵庫(湊川あたりから岩屋まで)を出た後、大阪周辺の諸侯を味方につけたり、自軍の将兵を編成しながら、明智光秀との情報戦を繰り広げるために、尼崎に進んで、淀川沿いから摂津富田を経て山崎に向かったということです。

中国大返し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E8%BF%94%E3%81%97
尼崎からそのまま西国街道を進み富田に着陣とありますが、尼崎には西国街道は通っていなかったので、尼崎から淀川の西岸側、神崎、伊丹といったあたりを通って山陽道富田に着いたのかもしれませんね。

中国大返し詳細
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_ogaesi.html

宿駅と街道
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/03kinsei/kinsei2-5.html

秀吉の「中国大返し」に新説が登場。信長用の”接待設備”が奇跡の理由?
https://number.bunshun.jp/articles/-/844322
中国大返しを伝説にした情報戦と「足軽=トレイルランナー」説。
https://number.bunshun.jp/articles/-/844324

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菜切山と尼崎の陸地化

菜切塚(なきりづか)について
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000241085
菜切塚については、古墳であり武内宿禰の墳墓であるという伝承があり、昭和年代の刊行物には「菜切山古墳」と記すものもありますが、現在は市教育委員会が設定する埋蔵文化財包蔵地の遺跡ではなく、古墳ではないと考えられます。
昭和年代の刊行物により、伝承及び調査した形状等の記録を調べることができます。
国土地理院は、地元自治体からの申請により「山」と表示するので、ある時期から申請がなくなり「山」と表示されなくなったと考えられます。
ということです。

神戸新聞NEXT 2021/4/17 05:30
日本一低い山、尼崎にあった 1966年まで地図表記、その後消滅なぜ?
https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202104/0014247544.shtml
古墳時代、このあたりはまだ海だったということです。

5−1.縄文海進のピークは6,000年前
http://www2.kobe-c.ed.jp/shizen/strata/oska_org/04053.html
5−2.縄文海進のピークは6,000年前
http://www2.kobe-c.ed.jp/shizen/strata/oska_org/04057.html
縄文海岸線は、現在の海岸線近くの標高 4m のラインに相当するそうです。

超ざっくりで一網打尽!尼崎の漁業の歴史
http://www.amaken.jp/53/5302/

論:古代尼崎の自然地形と信仰 ―海に浮かぶ島々―
http://www.amaken.jp/45/4513/
古代、大阪湾に海流の影響で砂州ができた。その後、堆積と海岸線の後退で尼崎の平野部ができたということです。
現在でも、尼崎市内に若干土地が高いところがあるということです。菜切山もそういう砂州の高い所だったのかもしれませんね。

尼崎の歴史の舞台
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/00josetsu/josetsu1-0.html

原始・古代の尼崎
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/history/022gensi.html

「あまがさき」という地名の由来
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/history/022yurai.html
尼崎は砂州の陸地化でできたそうです。

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その他の資料

「中国街道を歩く-阪神尼崎から甲子園まで-」実施報告
http://ecomukogawa.web.fc2.com/190209tyugokukaidou.html

鳴尾
http://info.leaf.or.jp/information/history_culture/item11.html

ちょっと歴史っぽい西宮
江戸時代〜西国街道と中国街道
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55425819.html

ちょっとぶらぶら
中国街道〜その1 西宮神社前〜武庫川・小松の渡し
http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-49.html
中国街道、ふたたび〜その11
http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-346.html

鳴尾の歴史について
https://geolog.mydns.jp/space.geocities.jp/komatu_h23kenmin/siryou/h27naruorekisi.pdf

宝塚やまぼうしとハナミズキの山歩道
2020/11/03 313.中国街道 西宮あたりを歩く
http://mohry.blog.fc2.com/blog-entry-318.html

あますい
https://www.amacci.or.jp/topics/amasui/img/center.pdf

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西宮市地理情報システム
https://webgis.nishi.or.jp/index.php
白地図もあります。

西宮を流れる川や水路、池
https://www.nishi.or.jp/kotsu/kasen/kawa.html

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