20210503-人が少ない市街地散歩-日本最低山菜切山


- GPS
- 04:33
- 距離
- 28.2km
- 登り
- 20m
- 下り
- 16m
コースタイム
- 山行
- 4:07
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 4:34
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2021年05月の天気図 |
アクセス | 徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
武庫川の河川敷、寺社の境内以外、すべて市街地の街路です。 |
写真
保久良神社の西の山麓、岡本八幡神社脇から南へ流れる天上川が、昭和 2 年までは、現在の福井池公園(当時は溜池)の北側で東進(横に流れる、横川)して、高橋川(現在の高橋川よりは西にあった、現在の商船大学線の道路地下の高橋川放水路)に流れ込んでいました。
この写真の奥からの道路は、昭和 2 年の天上川の付け替え工事でその流れが埋め立てられた後の道路ですが、道路北側には東西の雨水路が流れていて(コンクリート舗装で蓋をされている)、この写真の中央上に、小さい人の後ろ姿が見えるところが、そのコンクリート舗装の雨水路の蓋です。
この雨水路は、しかし、ここで要玄寺川には流れ込んでいませんでした。橋の下の壁面が、均一ではなく、何回かの工事の後のように見えます。
下に資料を挙げます。
20210425-人が少ない市街地散歩-芦屋西宮間の古代山陽道-廣田神社
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3110750.html
洋服の青木さんの東側のマンションの敷地が御茶家所にだいたい相当するそうです。
洋服の青木さんと東側のマンションの間の道路が国道 2 号線に出るところが、昔、山陽道に西宮神社からの道が合流していたところに相当するようです(御茶家所の南西の角、江戸時代初期に西国街道が整備されるよりも以前)。
御茶家所については、下に資料を挙げておきます。
この向かって右奥に下る路地が、御茶家所に向かって西宮神社から西進(北西進)してきた道の道筋に相当する位置と方向にあります。
通り抜けはできないようです。
20210214-人が少ない市街地散歩-芦屋-夙川 (25/35)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2927201&pid=2d0ee015f45adf421cd7bf47a4f094e6
20210425-人が少ない市街地散歩-芦屋西宮間の古代山陽道-廣田神社 (11/34)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=3110750&pid=715552d6411e79e0871faf94aa93e654
写真中央、国道 2 号線の南側の赤茶色と薄クリーム色の建物の間が、5 枚前の写真、この御茶家所から西宮神社に向かう古来の道筋にあたるところ(方向も)です。
中国街道が正念寺の北で東川を東西に渡っていた昔の角の橋とは、渡っている川(かつて東川、今六湛寺川)、向き(かつて東西、今南北)が異なっているでしょう。
なお、枝川を渡る渡しを六石の渡しといっていました。西岸側、甲子園六石町という現在の町名に名前をとどめています。
墳墓の形態をしていたということですが、墳墓ではないようです。
菜切山の資料を下に載せておきます。
新型コロナの状況 48 + かつての日本一の低山
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-237236
岡太神社 (西宮市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E5%B8%82)
下記の資料の中にもいろいろと記述があります。
装備
個人装備 |
ERGOSTARランニングマスク装用
Buffフェイスマスク携行
長袖ポロシャツ(おたふく手袋ボディータフネス)
半袖インナーTシャツ(おたふく手袋ボディータフネス)
ズボン(ランニング用ジャージスラックス)
靴下(安全靴作業用)
靴(Salomon XA COLLIDER)
ザック(Paladineer Sunature 28L)
ファーストエイドキット
タオル
ハンドタオル
帽子(作業用cap)
携帯型情報通信端末(スマホ)
飲料1.5L
水分以外1.5kg+健康保険証+山岳保険会員証
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感想
かつての日本最低山、尼崎市の菜切山まで、西国街道浜街道、西国街道、中国街道を辿って行ってみました。
2021年04月20日 15:37 注意警戒情報
新型コロナの状況 48 + かつての日本一の低山
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-237236
神戸の最高気温は、17 時 18 分の 19.5度。風があり、歩けば汗をかくのですが涼しく、水分 1.5L を含む約 3kg の荷物で、スポーツドリンク 500ml、デカビタ C ダブルスーパーチャージ 300ml を消費しました。
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天上川、その付け替え以前の横川と要玄寺川の資料
古代(奈良時代とその前後)の条里制に伴って、南北の流れだった天上川が途中から横川(この地では東西に流れる川)にされたと考えられているそうです。
その後堆積して天井川(天上川の名前の由来)となり、氾濫を繰り返していて、江戸時代には付け替えが嘆願されたのですが、実現しなかったそうです。
昭和 2 年、天井川は西の南北の川、大谷川に(福井池公園の西側で:20210516 訂正、鎌田川です)接続されて現在の天上川になり、横川部分は埋められました。
高橋川水系河川整備計画 平成24年4月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/110ktakahashi.pdf
高橋川 (兵庫県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%B7%9D_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)
天上川水系河川整備基本方針(案)平成30年3月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/6-1kihonhoushin.pdf
天上川
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E5%B7%9D
今昔マップ、明治 43 年ころの地図
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.722426&lng=135.279347&zoom=16&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
明治 43 年ころの地図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Motoyama_village%2C_Muko_county%2C_Map_in_Meiji.jpg
20200711-人が少ない市街地散歩-昔の大谷川 (9/69)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2429410&pid=59b655a8b3c23915685ce5bb6547abcb
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御茶家所
今津いまむかし物語
旧西国街道を歩く(4) 森具〜打出
http://imazukko.sakura.ne.jp/nishinomiya-style/blog/imazukko/T2.html
昔、兵庫の和田岬へ馬を使って陸路で神幸していた頃は、広田神社と広田神社南宮(今も西宮神社内にあり)を出たのちここで合流して列を整えたものだが、今はここは御茶屋所と呼んでいる、ということです。
広西両宮絵図(貞享3年広田西宮両宮古図)
http://imazukko.sakura.ne.jp/kaidou/archive/ezu/nishinomiya/hironishi/hironishi.html
御茶家所
http://imazukko.sakura.ne.jp/kaidou/archive/ezu/nishinomiya/hironishi/hironishiC1.JPG
現在の国道 2 号線で夙川の西岸の洋服の青木さんの東側のマンションがあるところが、御茶家所があったところだそうで、今は失われましたが、マンションの敷地の南西の角に、西宮(西宮神社)、中山(宝塚の中山寺)、それぞれへの分岐を示す道標(すぐ西宮左中やま、すぐ = まっすぐが)があったのだそうです。
すぐ西宮左中やまの道標
http://imazukko.sakura.ne.jp/style/photo/saigoku56.jpg
現在、かつての西国街道として伝わる阪神電車香櫨園駅の南側を通って西宮神社に至る東西の道と西宮神社の東(正念寺の西側で中国街道から分岐)から西宮中央運動公園に至る南北の道は、江戸時代初期に西国街道として整備された、それより以前は、西宮神社から北西へ、夙川の西岸の宿村で古来の山陽道に接続する道があったということです。その接続箇所に御茶家所があり、マンションの南西の角あたりが分岐点だったようです。
2021年 03月 28日 19:30 歴史 西宮の昔の地図、資料
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-235142
慶長十年摂津国絵図(1605 年ころ)を見ますと、古来の山陽道に南東から北西へ向けて宿火村(火は久の誤記)の西で接続し、その少し南西で山陽道が南西から西へ向きを変えています(向きを変えている地点が芦屋市春日町の地蔵と石標がある辺りと思われます)。
https://yamareco.info/modules/diary/upimg/121565/6f667c588882a60c6a2db429c304eadf.jpg
マンションの南西の角から国道 2 号線の南側、南東を見たところに国道 2 号線から南東に入る路地があるのが、かつての道筋かそれに近いのかもしれません。
今日の探索では、立ち入ったり通り抜けたりはできないようです。
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枝川と武庫川
阪神西部(武庫川流域圏)地域総合治水推進計画 平成25年3月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/muko.pdf
武庫川の治水対策について 報告書
(武庫川水系河川整備計画(案)における武庫川ダムの取扱い)
平成23年4月21日 兵庫県
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/dai15kai/dai15kai_siryou4.pdf
武庫川下流部において築堤、河床掘削などの 本格的な改修が始まったのは、大正 9 年である。 阪神国道(現国道 2 号)の工事に関連して県が 改修に踏み切り、第 1 期工事として大正 9 年か ら大正 12 年にかけて東海道線以南の約 5km を改修した。
ちょっと歴史っぽい西宮
大正〜枝川の廃川と甲子園球場
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55416440.html
弘治3年(1557)に武庫川決壊の大水害が起こり、その時氾濫した水が分流となって枝川が出来たという説が有力、ということです。
大正 9 年に枝川を埋める工事が始まり、大正 12 年に完成、そこに甲子園球場ができたそうです。
中国街道が枝川を渡る六石の渡しは、西岸側、甲子園六石町に名前を残し、茶屋がいくつもあった中の四軒茶屋は東岸側の地名(字)になり、現在の四軒茶屋公園に名前が残っています。
中国街道は六石の渡しで少しだけ北へずれていた、四軒茶屋の 1 ブロック西、旧国道から一つ北へ入った路地の部分が、北へずれた部分の中国街道に一致して残っているのだそうです。
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武庫川の小松の渡し、西新田の渡し、雉が坂、中国大返し
上流の仁川合流箇所にある髭の渡しと異なり、小松の渡し、西新田の渡しには、何も標識がありません。
西新田
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E8%A5%BF%E6%96%B0%E7%94%B0
西新田の渡し
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E8%A5%BF%E6%96%B0%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%B8%A1%E3%81%97
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雉が坂
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E9%9B%89%E3%81%8C%E5%9D%82
東岸下流側に説明板があるようです。
農夫がここで雉が飛び立つ様を羽柴秀吉に伝えなかったら、待ち構えていた明智軍に武庫川を渡った途端にやられていたかもしれませんね。
なお、羽柴秀吉が中国大返しをした時代は、山陽道は、芦屋市春日町の地蔵石標の地点から廣田神社の方へ北東へ進み、武庫川は髭の渡しで渡っていたと思われます。
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中国大返しの正確な経路には、不明な点があったり、また、軍勢も複数に分かれていました。
秀吉(の本軍)は、遠回りにはなりますが、兵庫(湊川あたりから岩屋まで)を出た後、大阪周辺の諸侯を味方につけたり、自軍の将兵を編成しながら、明智光秀との情報戦を繰り広げるために、尼崎に進んで、淀川沿いから摂津富田を経て山崎に向かったということです。
中国大返し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E8%BF%94%E3%81%97
尼崎からそのまま西国街道を進み富田に着陣とありますが、尼崎には西国街道は通っていなかったので、尼崎から淀川の西岸側、神崎、伊丹といったあたりを通って山陽道富田に着いたのかもしれませんね。
中国大返し詳細
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_ogaesi.html
宿駅と街道
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/03kinsei/kinsei2-5.html
秀吉の「中国大返し」に新説が登場。信長用の”接待設備”が奇跡の理由?
https://number.bunshun.jp/articles/-/844322
中国大返しを伝説にした情報戦と「足軽=トレイルランナー」説。
https://number.bunshun.jp/articles/-/844324
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菜切山と尼崎の陸地化
菜切塚(なきりづか)について
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000241085
菜切塚については、古墳であり武内宿禰の墳墓であるという伝承があり、昭和年代の刊行物には「菜切山古墳」と記すものもありますが、現在は市教育委員会が設定する埋蔵文化財包蔵地の遺跡ではなく、古墳ではないと考えられます。
昭和年代の刊行物により、伝承及び調査した形状等の記録を調べることができます。
国土地理院は、地元自治体からの申請により「山」と表示するので、ある時期から申請がなくなり「山」と表示されなくなったと考えられます。
ということです。
神戸新聞NEXT 2021/4/17 05:30
日本一低い山、尼崎にあった 1966年まで地図表記、その後消滅なぜ?
https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202104/0014247544.shtml
古墳時代、このあたりはまだ海だったということです。
5−1.縄文海進のピークは6,000年前
http://www2.kobe-c.ed.jp/shizen/strata/oska_org/04053.html
5−2.縄文海進のピークは6,000年前
http://www2.kobe-c.ed.jp/shizen/strata/oska_org/04057.html
縄文海岸線は、現在の海岸線近くの標高 4m のラインに相当するそうです。
超ざっくりで一網打尽!尼崎の漁業の歴史
http://www.amaken.jp/53/5302/
論:古代尼崎の自然地形と信仰 ―海に浮かぶ島々―
http://www.amaken.jp/45/4513/
古代、大阪湾に海流の影響で砂州ができた。その後、堆積と海岸線の後退で尼崎の平野部ができたということです。
現在でも、尼崎市内に若干土地が高いところがあるということです。菜切山もそういう砂州の高い所だったのかもしれませんね。
尼崎の歴史の舞台
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/00josetsu/josetsu1-0.html
原始・古代の尼崎
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/history/022gensi.html
「あまがさき」という地名の由来
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/history/022yurai.html
尼崎は砂州の陸地化でできたそうです。
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その他の資料
「中国街道を歩く-阪神尼崎から甲子園まで-」実施報告
http://ecomukogawa.web.fc2.com/190209tyugokukaidou.html
鳴尾
http://info.leaf.or.jp/information/history_culture/item11.html
ちょっと歴史っぽい西宮
江戸時代〜西国街道と中国街道
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55425819.html
ちょっとぶらぶら
中国街道〜その1 西宮神社前〜武庫川・小松の渡し
http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-49.html
中国街道、ふたたび〜その11
http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-346.html
鳴尾の歴史について
https://geolog.mydns.jp/space.geocities.jp/komatu_h23kenmin/siryou/h27naruorekisi.pdf
宝塚やまぼうしとハナミズキの山歩道
2020/11/03 313.中国街道 西宮あたりを歩く
http://mohry.blog.fc2.com/blog-entry-318.html
あますい
https://www.amacci.or.jp/topics/amasui/img/center.pdf
++++++++++
西宮市地理情報システム
https://webgis.nishi.or.jp/index.php
白地図もあります。
西宮を流れる川や水路、池
https://www.nishi.or.jp/kotsu/kasen/kawa.html
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