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Yamareco

記録ID: 3250878 全員に公開 ハイキング 近畿

古代ロマン 飛鳥 (飛鳥寺)

情報量の目安: S
-拍手
日程 2021年06月06日(日) [日帰り]
メンバー
天候雨のち曇り時々晴れ
アクセス
利用交通機関
自宅から徒歩
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]

日帰り
山行
5時間35分
休憩
47分
合計
6時間22分
Sスタート地点08:1008:22藤原宮跡09:01天香久山09:0809:47明日香村埋蔵文化財展示室09:4910:42甘樫丘10:5011:41亀石12:0714:13藤原宮跡14:1714:32ゴール地点G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻

写真

我が家のベランダからの
AM7:10の景色です。
台風が温帯低気圧となり
本日AMの降水確率は50%。
昼から晴れるとのこと。
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我が家のベランダからの
AM7:10の景色です。
台風が温帯低気圧となり
本日AMの降水確率は50%。
昼から晴れるとのこと。
25
名勝大和三山 香久山に
登っておきましょう。
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名勝大和三山 香久山に
登っておきましょう。
19
山頂からの畝傍山。
遠景右手は二上山。
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山頂からの畝傍山。
遠景右手は二上山。
36
こちらは耳成山。

自宅からずっと小雨です。
折畳み傘を指して
登りました。
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こちらは耳成山。

自宅からずっと小雨です。
折畳み傘を指して
登りました。
28
(大官大寺址)

本日は
飛鳥寺にフォーカスして
古代ロマンを
楽しみましょう。

その前に、
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(大官大寺址)

本日は
飛鳥寺にフォーカスして
古代ロマンを
楽しみましょう。

その前に、
15
2021年5月30日に
お伝えしました
日本🍶酒自販機です。

萬葉 飛鳥は
醸造元/河合酒造
販売元/森酒店
(奈良県明日香村)
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2021年5月30日に
お伝えしました
日本🍶酒自販機です。

萬葉 飛鳥は
醸造元/河合酒造
販売元/森酒店
(奈良県明日香村)
28
飛鳥寺には
複数の呼称があります。

飛鳥の地につくられた寺
であるので飛鳥寺と
よばれ、法号で法興寺
とも元興寺ともよばれた。

岩波書店
『 日本書紀』補注
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飛鳥寺には
複数の呼称があります。

飛鳥の地につくられた寺
であるので飛鳥寺と
よばれ、法号で法興寺
とも元興寺ともよばれた。

岩波書店
『 日本書紀』補注
16
飛鳥寺=法興寺=元興寺
としています。
これが歴史学や考古学の
常識になっています。
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飛鳥寺=法興寺=元興寺
としています。
これが歴史学や考古学の
常識になっています。
26
日本書紀は蘇我馬子が
法興寺を創建したと
書いています。
法興寺は「蘇我氏の氏寺」
といわれています。
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日本書紀は蘇我馬子が
法興寺を創建したと
書いています。
法興寺は「蘇我氏の氏寺」
といわれています。
18
(皇極)四年 (645年)六月
中大兄、密かに
倉山田麻呂臣に、
蘇我入鹿を斬る謀を
陳べる。
天皇、大極殿に御す。
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(皇極)四年 (645年)六月
中大兄、密かに
倉山田麻呂臣に、
蘇我入鹿を斬る謀を
陳べる。
天皇、大極殿に御す。
19
中大兄、佐伯子麻呂等と
共に剣を以て入鹿の頭
肩を傷つけ割る。
佐伯子麻呂・稚犬養連網田
入鹿を斬る。
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中大兄、佐伯子麻呂等と
共に剣を以て入鹿の頭
肩を傷つけ割る。
佐伯子麻呂・稚犬養連網田
入鹿を斬る。
16
中大兄、即ち法興寺に入り
城と為し、而して備える。

日本書紀
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中大兄、即ち法興寺に入り
城と為し、而して備える。

日本書紀
29
中大兄皇子は蘇我一族が
反撃してくるのに
対戦するために
「法興寺に入り、
城として備えて」いる。
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中大兄皇子は蘇我一族が
反撃してくるのに
対戦するために
「法興寺に入り、
城として備えて」いる。
23
法興寺が蘇我氏の氏寺
であるならば
中大兄皇子は蘇我入鹿を
伐って蘇我氏の氏寺に
入るはずがない。
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法興寺が蘇我氏の氏寺
であるならば
中大兄皇子は蘇我入鹿を
伐って蘇我氏の氏寺に
入るはずがない。
15
法興寺が
「蘇我氏の氏寺」
というのは疑わしい。
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法興寺が
「蘇我氏の氏寺」
というのは疑わしい。
13
591年に上宮法皇は
阿毎王権から独立して
「上宮王家 (王権)」を
樹立します。

(推古)四年(596年)十一月
法興寺造り党 (おわ)る。

      日本書紀
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591年に上宮法皇は
阿毎王権から独立して
「上宮王家 (王権)」を
樹立します。

(推古)四年(596年)十一月
法興寺造り党 (おわ)る。

      日本書紀
13
(ここを右へ)

法興寺は上宮法皇が建立した
「上宮王家の寺」です。
日本書紀は上宮法皇を
抹殺しています。そのため
蘇我馬子が法興寺を建立
したと捏造しています。
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(ここを右へ)

法興寺は上宮法皇が建立した
「上宮王家の寺」です。
日本書紀は上宮法皇を
抹殺しています。そのため
蘇我馬子が法興寺を建立
したと捏造しています。
13
一方の元興寺は

(推古)十四年(606年)四月
銅・繍の丈六の仏像、
並びに造り党(おわ)る。
是の日、また丈六の銅像を
元興寺の金堂に
坐 (す)える。

       日本書紀
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一方の元興寺は

(推古)十四年(606年)四月
銅・繍の丈六の仏像、
並びに造り党(おわ)る。
是の日、また丈六の銅像を
元興寺の金堂に
坐 (す)える。

       日本書紀
16
元興寺の創建は606年です。
日本書紀は
法興寺と元興寺を明確に
区別して書いています。
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元興寺の創建は606年です。
日本書紀は
法興寺と元興寺を明確に
区別して書いています。
21
創建者は阿毎王権の天皇。
(『隋書』
倭国伝の多利思北孤)
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創建者は阿毎王権の天皇。
(『隋書』
倭国伝の多利思北孤)
13
日本書紀には 606年に
鞍作鳥が仏像を元興寺の
金堂に座(す)えた
とあります。
鞍作鳥(止利仏師)は
605年〜623年まで
北部九州に居ます。
鞍作鳥は九州の人です。
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日本書紀には 606年に
鞍作鳥が仏像を元興寺の
金堂に座(す)えた
とあります。
鞍作鳥(止利仏師)は
605年〜623年まで
北部九州に居ます。
鞍作鳥は九州の人です。
12
2000年10月18日付の
朝日新聞は奈良県中院町
元興寺極楽坊の禅室
(国宝)の建築部材が、
飛鳥時代初めの
582年頃伐採されたヒノキ
であるとわかった、と
報じました。
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2000年10月18日付の
朝日新聞は奈良県中院町
元興寺極楽坊の禅室
(国宝)の建築部材が、
飛鳥時代初めの
582年頃伐採されたヒノキ
であるとわかった、と
報じました。
17
(推古)十七年(609年)に
百済の僧等は漂流して
肥後国芦北に流れ着き、
「道人等十一人」は
日本に留まりたいという。
そこで
「元興寺に住まわしむ」
とあります。
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(推古)十七年(609年)に
百済の僧等は漂流して
肥後国芦北に流れ着き、
「道人等十一人」は
日本に留まりたいという。
そこで
「元興寺に住まわしむ」
とあります。
25
法興寺と元興寺は
同じ時期に「肥前の飛鳥」
と「筑紫」にあります。
法興寺と元興寺は
全く別のお寺なのです。
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法興寺と元興寺は
同じ時期に「肥前の飛鳥」
と「筑紫」にあります。
法興寺と元興寺は
全く別のお寺なのです。
16
日本書紀に
飛鳥寺が出てくるのは
「657年」からです。
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日本書紀に
飛鳥寺が出てくるのは
「657年」からです。
14
「657年」以前は
法興寺や元興寺であり
飛鳥寺は出てきません。
日本書紀は飛鳥寺・法興寺・
元興寺を明確に区別して
書いています。
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「657年」以前は
法興寺や元興寺であり
飛鳥寺は出てきません。
日本書紀は飛鳥寺・法興寺・
元興寺を明確に区別して
書いています。
11
「657年」は
天武王権の時代です。
筑紫を支配しているのは
「天武天皇の父」です。
天武天皇の父の本拠地は
宗像なのです。
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「657年」は
天武王権の時代です。
筑紫を支配しているのは
「天武天皇の父」です。
天武天皇の父の本拠地は
宗像なのです。
13
次に壬申の乱の時に
飛鳥寺が出てきます。

(天武)元年(672年)
六月二十九日
穂積臣百足等 飛鳥寺の
西の槻の下によりて
営を為す。
       日本書紀
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次に壬申の乱の時に
飛鳥寺が出てきます。

(天武)元年(672年)
六月二十九日
穂積臣百足等 飛鳥寺の
西の槻の下によりて
営を為す。
       日本書紀
11
有名な「飛鳥寺の西の槻」
が出てきます。
大友皇子 (天皇)が派遣した
「穂積臣百足」等が
「営を為す」とあります。
飛鳥寺は本当に
存在しているのでしょうか。
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有名な「飛鳥寺の西の槻」
が出てきます。
大友皇子 (天皇)が派遣した
「穂積臣百足」等が
「営を為す」とあります。
飛鳥寺は本当に
存在しているのでしょうか。
11
天武天皇は
「天武王権の天皇」です。
日本書紀は「天武王権」を
抹殺するために
天智天皇と天武天皇を
兄弟にして、天皇は
「天智天皇」にしています。
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天武天皇は
「天武王権の天皇」です。
日本書紀は「天武王権」を
抹殺するために
天智天皇と天武天皇を
兄弟にして、天皇は
「天智天皇」にしています。
12
現在ちょうどこの辺りです。

話に夢中になり行き止まり
となりました。
金剛山未踏ルート攻略の
経験を生かして
強行突破します(笑)。
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現在ちょうどこの辺りです。

話に夢中になり行き止まり
となりました。
金剛山未踏ルート攻略の
経験を生かして
強行突破します(笑)。
21
では 続けます。

天智天皇が
近江へ遷都したとき
弟の天武天皇も一緒に
近江へ行ったことに
しています。
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では 続けます。

天智天皇が
近江へ遷都したとき
弟の天武天皇も一緒に
近江へ行ったことに
しています。
10
天武天皇は壬申の乱が
はじまる前に近江から
吉野へ逃げますが
高市皇子はそのまま
近江に留まっている
ことになります。
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天武天皇は壬申の乱が
はじまる前に近江から
吉野へ逃げますが
高市皇子はそのまま
近江に留まっている
ことになります。
11
そのため壬申の乱が
はじまる時、天武天皇は
高市皇子 ・大津皇子を
近江から呼び寄せた
としています。残念ながら
これらはすべて
日本書紀の捏造です。
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そのため壬申の乱が
はじまる時、天武天皇は
高市皇子 ・大津皇子を
近江から呼び寄せた
としています。残念ながら
これらはすべて
日本書紀の捏造です。
11
天智天皇と天武天皇は
兄弟ではありません。
「王権」が異なるのです。
日本列島には天武王権と
天智王権が
存在していたのです。
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天智天皇と天武天皇は
兄弟ではありません。
「王権」が異なるのです。
日本列島には天武王権と
天智王権が
存在していたのです。
20
天智天皇は
天武天皇を恐れて
大和の飛鳥から近江へ
逃げています。
「近江遷都」は
「近江への逃亡」です。
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天智天皇は
天武天皇を恐れて
大和の飛鳥から近江へ
逃げています。
「近江遷都」は
「近江への逃亡」です。
12
次に日本書紀に
飛鳥寺が出てくるのは
677年です。
飛鳥寺において
「一切経を読ましむ」と
あります。
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次に日本書紀に
飛鳥寺が出てくるのは
677年です。
飛鳥寺において
「一切経を読ましむ」と
あります。
11
(天武)六年(677年)二月
是月、多禰嶋人等を
飛鳥寺の西の槻の下に
饗えたまう。人月、大いに
飛鳥寺に斎を設けて以て
一切経を読ましむ。
 
       日本書紀
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(天武)六年(677年)二月
是月、多禰嶋人等を
飛鳥寺の西の槻の下に
饗えたまう。人月、大いに
飛鳥寺に斎を設けて以て
一切経を読ましむ。
 
       日本書紀
12
672年の壬申の乱で
日本列島を統一した
天武天皇は
672年〜677年の間に
大和に飛鳥寺を創建します。
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672年の壬申の乱で
日本列島を統一した
天武天皇は
672年〜677年の間に
大和に飛鳥寺を創建します。
22
飛鳥寺(安居院)の飛鳥大仏は
鳥仏師の作であると
いわれています。鳥仏師は
606年〜623年に九州で
活躍しています。
672年頃は
既に死去してます。
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飛鳥寺(安居院)の飛鳥大仏は
鳥仏師の作であると
いわれています。鳥仏師は
606年〜623年に九州で
活躍しています。
672年頃は
既に死去してます。
18
飛鳥大仏が鳥仏師の作で
あるならば
飛鳥寺 (飛鳥大仏を含む) は
672年以降に新しく造って
いるのではありません。
法興寺か元興寺を
移築しているのです。
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飛鳥大仏が鳥仏師の作で
あるならば
飛鳥寺 (飛鳥大仏を含む) は
672年以降に新しく造って
いるのではありません。
法興寺か元興寺を
移築しているのです。
20
万葉集をみますと
「大和の飛鳥」に
「元興寺」があります。
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万葉集をみますと
「大和の飛鳥」に
「元興寺」があります。
15
慶雲二年(705年)冬十一月に
大伴坂上郎女は
肥前の佐保から上京して
大和の飛鳥で
「元興寺の里」の歌を詠む。
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慶雲二年(705年)冬十一月に
大伴坂上郎女は
肥前の佐保から上京して
大和の飛鳥で
「元興寺の里」の歌を詠む。
11
大伴坂上郎女、
元興寺の里を詠む歌一首

故郷 (ふ るさと)の
飛鳥はあれど
あおによし
平城 (なら)の明日香を
見らくし好(よ)しも

万葉集第六巻992番歌
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大伴坂上郎女、
元興寺の里を詠む歌一首

故郷 (ふ るさと)の
飛鳥はあれど
あおによし
平城 (なら)の明日香を
見らくし好(よ)しも

万葉集第六巻992番歌
12
(甘樫丘展望台から西側)

故郷の飛鳥はあるけれども
平城 (なら)の明日香を
見るのは好いものだ。
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(甘樫丘展望台から西側)

故郷の飛鳥はあるけれども
平城 (なら)の明日香を
見るのは好いものだ。
30
故郷の飛鳥はあれど、とは
肥前に飛鳥はあるけれども
という意味です。
大伴坂上郎女は
平城 (なら)の明日香に
来ているのです。
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故郷の飛鳥はあれど、とは
肥前に飛鳥はあるけれども
という意味です。
大伴坂上郎女は
平城 (なら)の明日香に
来ているのです。
24
甘樫丘展望台東側

飛鳥寺・入鹿の首塚を
バックに記念にパチリ(笑)。
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甘樫丘展望台東側

飛鳥寺・入鹿の首塚を
バックに記念にパチリ(笑)。
53
元興寺 大和国添上郡
平城左京五條四條七坊之内

   (南都七大巡礼記)

元興寺は 平城京の
左京五條四條七坊に
あるとい います。
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元興寺 大和国添上郡
平城左京五條四條七坊之内

   (南都七大巡礼記)

元興寺は 平城京の
左京五條四條七坊に
あるとい います。
12
平城京の元興寺です。
大和の飛鳥の元興寺を
平城京へ移築しています。
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平城京の元興寺です。
大和の飛鳥の元興寺を
平城京へ移築しています。
13
敏達天皇御宇十二年九月
自百済国渡馬喘之弥勒像、
則安本元興寺金堂云々
   
   (南都七大巡礼記)

敏達天皇十三年に百済国が
献上した馬増の弥勒像は
本元興寺に安置してあると
あります。
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敏達天皇御宇十二年九月
自百済国渡馬喘之弥勒像、
則安本元興寺金堂云々
   
   (南都七大巡礼記)

敏達天皇十三年に百済国が
献上した馬増の弥勒像は
本元興寺に安置してあると
あります。
12
件本元興寺者、
橘寺之西北方

  (南都七大巡礼記)

本 (もと)元興寺は
橘寺之西北方にあると
とのこと。 飛鳥寺です。

飛鳥寺=本元興寺です。
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件本元興寺者、
橘寺之西北方

  (南都七大巡礼記)

本 (もと)元興寺は
橘寺之西北方にあると
とのこと。 飛鳥寺です。

飛鳥寺=本元興寺です。
11
平城京の元興寺は
「元興寺」と呼ばれ、
飛鳥寺は
「本元興寺」
と呼ばれています。
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平城京の元興寺は
「元興寺」と呼ばれ、
飛鳥寺は
「本元興寺」
と呼ばれています。
11
本元興寺 (飛鳥寺)には
敏達天皇御宇十二年
(584年)に百済国が献上した
薦培の弥勒像が
安置してある、といいます。
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本元興寺 (飛鳥寺)には
敏達天皇御宇十二年
(584年)に百済国が献上した
薦培の弥勒像が
安置してある、といいます。
12
584年は
阿毎王権の時代です。
阿毎王権は筑紫に
元興寺を建立しています。
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584年は
阿毎王権の時代です。
阿毎王権は筑紫に
元興寺を建立しています。
11
阿毎王権は百済が献上した
璃喘の弥勒像を
「筑紫の元興寺」に
安置しています。
それが今は大和の飛鳥の
本元興寺 (飛鳥寺)にある
といいます。
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阿毎王権は百済が献上した
璃喘の弥勒像を
「筑紫の元興寺」に
安置しています。
それが今は大和の飛鳥の
本元興寺 (飛鳥寺)にある
といいます。
12
本元興寺 (飛鳥寺)は
「筑紫の元興寺」を
移築したものであると
小生は考えています。
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本元興寺 (飛鳥寺)は
「筑紫の元興寺」を
移築したものであると
小生は考えています。
17
1956年からの
発掘調査によって
創建当初の伽藍の位置が
明らかになりました。
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1956年からの
発掘調査によって
創建当初の伽藍の位置が
明らかになりました。
12
蘇我馬子が建てた
飛鳥寺中金堂の跡地があり
1966年に飛鳥寺跡として
国の史跡に
指定されました。
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蘇我馬子が建てた
飛鳥寺中金堂の跡地があり
1966年に飛鳥寺跡として
国の史跡に
指定されました。
15
(亀石の隣で)

自称・古代ロマン研究家
としては非常に複雑な
心境でございます(笑)。
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(亀石の隣で)

自称・古代ロマン研究家
としては非常に複雑な
心境でございます(笑)。
24
気を取り直して
昼食です。昆布と
高菜の🍙を先程調達。

と、くれば
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気を取り直して
昼食です。昆布と
高菜の🍙を先程調達。

と、くれば
32
麒麟一番搾りですナ(笑)。

本日は350缶にしました。
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麒麟一番搾りですナ(笑)。

本日は350缶にしました。
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本日は6時間19分。
31,506歩 24辧
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本日は6時間19分。
31,506歩 24辧
17
昨日の夕日が
とても綺麗でしたので。

二上山の北側に
沈んでいきました。
そのあとの夕陽を
共有させていただきます。
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昨日の夕日が
とても綺麗でしたので。

二上山の北側に
沈んでいきました。
そのあとの夕陽を
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今朝より体重が2.5垳此
BMIが21.1。
急いで増量が必要です。
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今朝より体重が2.5垳此
BMIが21.1。
急いで増量が必要です。
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毎週末(土・日曜)
フルマラソンの距離を
ウォーキングしています。

どんどん
シェイプアップされます。
望んでもいないのに
困ったもんです(笑)。
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毎週末(土・日曜)
フルマラソンの距離を
ウォーキングしています。

どんどん
シェイプアップされます。
望んでもいないのに
困ったもんです(笑)。
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今宵は鉄板焼きです。
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今宵は鉄板焼きです。
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先ずは牛肉から。

小食なので
あまり食べられません。
文句を言っては
叱られます。

楽しい週末でした。
明日からまた
仕事を頑張りましょう(笑)。
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先ずは牛肉から。

小食なので
あまり食べられません。
文句を言っては
叱られます。

楽しい週末でした。
明日からまた
仕事を頑張りましょう(笑)。
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感想/記録

本日は香久山を新ルートで下りました。

甘樫丘は初めてのルートで登りました。

小生はやはり金剛山未踏ルート攻略が
性に合ってると痛感した一日でした(笑)。

来週から
上宮王権・阿毎王権・天武王権の真相に
切り込むことにいたしましょう。
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この記録へのコメント

登録日: 2018/10/17
投稿数: 317
2021/6/6 22:21
 夏灯煤くも優し飛鳥仏
sanshoさん今晩は。
飛鳥寺=法興寺=元興寺
中々ややこしく理解が大変です。
40数年前の旅行で飛鳥大仏を拝見しました。
約1400年存えた仏像、灯明に煤きったお身体、そしてお顔の傷(補修跡)が労しく思った所です。

梅雨寒や頬の傷みの飛鳥仏
六月や頬の傷跡飛鳥仏
夏灯煤くも優し飛鳥仏

それではまた。
登録日: 2018/6/23
投稿数: 92
2021/6/6 23:21
 阿毎王権と上宮王権について
阿毎王権について全く詳しくないのですが磐井の乱にて滅ぼされた九州の王権(一族)という解釈で宜しいのでしょうか?

また、上宮王権(かむつのみや)は没年からも厩戸皇子という事になるかと思いますがsanshoさんの見解と一致していますか?

聖徳太子は存在しないという説もありますがsanshoさんはどの様にお考えでしょうか?

多数の王権が同時並列していた時がある(地域別に)と考えて良いのかなとsanshoさんの解説を拝読して自分なりに解釈しました、この点も如何でしょうか?

宜しくお願い致します
登録日: 2015/6/8
投稿数: 679
2021/6/6 23:25
 Re: 夏灯煤くも優し飛鳥仏
yasuokambaiさん、こんばんは。

 “鳥寺は蘇我馬子と全く関係がありません。
◆“鳥寺=法興寺=元興寺ではありません。
➂ 飛鳥寺は九州から移築されています。

飛鳥寺を訪れるたびに 複雑な気持ちでありました。
ブラタモリで 飛鳥寺が放送されましたが
核心には触れられていませんでした。

今回も素敵な句を有難うございます。
次週もよろしくお願いいたします(笑)。
登録日: 2015/6/8
投稿数: 679
2021/6/6 23:43
 Re: 阿毎王権と上宮王権について
物部尾輿が552年に王権を奪い
阿毎王権を樹立しています。

上宮王権の直系は 
上宮法王〜上宮皇子〜山背大兄皇子です。
中大兄は上宮法王の曾孫です。

次週の古代ロマンシリーズから
海東諸国紀・二中歴を紹介しながら
消された天武王権の復元に
迫りたいと考えています。
登録日: 2018/6/23
投稿数: 92
2021/6/7 22:02
 浅慮でした
質問内容に配慮が足りませんでした
これからはよくよく考えてからお訊きしようと思います

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