賤機山~谷津山(ブラ静&蓮の花)
- GPS
- 05:02
- 距離
- 30.8km
- 登り
- 616m
- 下り
- 620m
コースタイム
天候 | くもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年06月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
市街地や市街の低山なのでマスク着用必須 |
写真
感想
なにかと最近忙しく、朝の早起きも辛いし遠出する気にもならない。先日アプリで静岡の古地図を入手したので、久々にテーマを持って近場を回ってみた。
今日のテーマはブラタモリ風に「家康はなぜ駿府を終の棲家に選んだか」、それとついでに麻機の蓮の花も見に行くことに。
駿府の町の地形を見れば、宇津ノ谷峠を越えてくるであろう西からの攻めには強固な守りを発揮できる地形、丸子方面は平地が狭く大軍の展開が難しい、静岡平野は千代田の名前でもわかるように平地で兵糧になる水田もある、唯一の難である安倍川を薩摩土手により捻じ曲げ、駿府の町の外堀にすることによりより強固な守りに。さらにこれにより平地が増えたことにより駿府の町割りをすることができて一石二鳥、そして駿府96ヶ町の西に寺町を配置し、さらなる防御力を高めた。そして、西には横内川・十二双川を活用し、巴川を経由して清水湊から江戸への水運の道を整備している。これは、物流の道とも取れるが、万が一の際の逃走経路とも思える。こう考えれば最強の対西国の最強の城を築き終の棲家に選んだと考えてしまう。
さらには、一富士二鷹三茄子の茄子にあるように、静岡には豊かな食材があった。麻機の蓮根もその一つで、丸子のとろろと併せて家康が好んで食したともある。駿府城近くには薬草園もあり、田中城の鷹狩りと併せ健康オタク家康にとっては趣味も楽しめた場所であろう。
駿府は晩年に家康が過ごした場所でもあるが、幼少期も過ごしている。今川の人質としてだが、臨済寺で雪斎和尚の当時の最高の教育を受けるなど好待遇、浅間神社とも所縁があり、幼少期に嫌な思い出があれば年をとって住みたいとは思わないだろう。つまり幼少期の良い思い出もどこかにあったことであろう。
他にも、側室の墓、安倍奥金山があり金座・銀座など経済流通の拠点、東海道の宿場町・安倍峠越え甲斐との交易など交通の要所、富士山の眺望、温暖な気候、満を持して選んだ場所が、ここ駿府なのであろう、と想像を膨らまして地元をまわるとそれはそれで楽しい。
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