記録ID: 3817354
全員に公開
ハイキング
赤城・榛名・荒船
【過去の記録】 春真っ只中、風雲箕輪城
2010年04月10日(土) [日帰り]
- GPS
- --:--
- 距離
- 1.5km
- 登り
- 23m
- 下り
- 24m
過去天気図(気象庁) | 2010年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
【記録投稿日 2022年4月29日】
箕輪城は取って取られてまた取ってを繰り返し、あまたの知が流されたお城だ。最初にこの地を収めたのは長野氏で関東管領上杉氏の部下であった。1500年代の初頭である。上野国の要所であるここは、戦国時代にはいくつかの大名の最前線であった。
上杉氏、武田氏、北条氏による三つ巴の戦いを制したのは武田氏で、1560年以降、この地を攻め落とす。その際にここをそれまで守っていた長野氏当主である長野業盛は自刃した。
武田氏はこの地に配下の内藤、甘利、浅野、真田などを置き、上野国経営の礎にしようとするが、天目山の戦いで武田勝頼が滅亡すると、ここを北条氏と織田氏が取り合う展開となる。
織田はこの地に滝川一益を派遣し摂取を図るが本能寺の変で織田信長がこの世を去ると北条氏がこの地に攻め込む、滝川一益はこの地を離れ北条氏政の弟である氏邦がここに入城する。
小田原城の戦いの際には、前田利家・上杉景勝の連合軍がここに攻め入り開城した。その後関ヶ原の戦いののちにこの地は井伊直政に与えられた。井伊直政はこの城を近代城郭に作り直したが1598年に高崎城に移封し箕輪城は取り壊された。
長野氏による築城からわずか80年、この地を取り合う攻防はまさに苛烈であった。そんなことを思いながら歩いたような気がする。今、まとめ直しても、こんな戦ばっかりの城があったんだなあと思い直す。
写真が残っていたので過去レコにしたが、これはとてもよかったことだなあと思った。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:29人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する