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記録ID: 3981278
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講習/トレーニング
丹沢

四十ハ瀬川の寺屋敷跡を探して−歴史探訪

2022年02月07日(月) [日帰り]
 - 拍手
体力度
1
日帰りが可能
GPS
02:35
距離
6.5km
登り
241m
下り
255m
歩くペース
標準
1.11.2
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
2:35
休憩
0:01
合計
2:36
9:34
77
スタート地点
10:51
10:52
78
12:10
ゴール地点
天候 晴れ/曇り。少し肌寒い。
過去天気図(気象庁) 2022年02月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
西山林道手前の路肩に停めた。
コース状況/
危険箇所等
(1) 西山林道手前〜西山林道〜寺屋敷跡降り口:林道。
(2) 寺屋敷跡降り口〜四十ハ瀬川〜三廻部病院:少し急なヤブっぽい所を降りると、竹林がある寺屋敷跡(推定)へ降りる。観察後、四十ハ瀬川を渡渉して、表丹沢県民の森への林道に上がる。
(3) 三廻部病院〜観音院〜才戸橋〜駐車場所:車道。
大倉バス停へのバス道路途中にある蔵林寺。綺麗な寺です。
2022年02月07日 09:24撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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大倉バス停へのバス道路途中にある蔵林寺。綺麗な寺です。
改修された鐘楼堂と梵鐘。これが今日の探索のきっかけとなりました。
2022年02月07日 09:25撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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改修された鐘楼堂と梵鐘。これが今日の探索のきっかけとなりました。
享徳(1452〜55年)の頃に堀山下の寺屋敷に開かれ、文明(1469〜87年)に現在地へ移り、その際、寺屋敷にあった鐘楼堂を現在地に移設したと書かれている。寺屋敷とはどこのあるのだろうか?
2022年02月07日 14:05撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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享徳(1452〜55年)の頃に堀山下の寺屋敷に開かれ、文明(1469〜87年)に現在地へ移り、その際、寺屋敷にあった鐘楼堂を現在地に移設したと書かれている。寺屋敷とはどこのあるのだろうか?
三廻部の農家の人に聞くと、四十ハ瀬川の上流の左岸の竹林の所にあると言う。今は石が残っているだけで何もないと言う。
2022年02月07日 09:28撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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2/7 9:28
三廻部の農家の人に聞くと、四十ハ瀬川の上流の左岸の竹林の所にあると言う。今は石が残っているだけで何もないと言う。
それでは寺屋敷跡を探索に行きます。今日は西山林道から降りるルートで行きます。
2022年02月07日 09:38撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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それでは寺屋敷跡を探索に行きます。今日は西山林道から降りるルートで行きます。
林道ゲート。鍋割への登山者は右の登山道から出てきます。
2022年02月07日 09:45撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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林道ゲート。鍋割への登山者は右の登山道から出てきます。
少し進むと、右に上がると大倉高原山の家方面です。まっすぐ進みます。
2022年02月07日 09:47撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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少し進むと、右に上がると大倉高原山の家方面です。まっすぐ進みます。
この辺りから四十ハ瀬川に向けて降りてみます。ちょっと急で、道らしきものは見当たりません。
2022年02月07日 09:54撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
1
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この辺りから四十ハ瀬川に向けて降りてみます。ちょっと急で、道らしきものは見当たりません。
どうやらここが寺屋敷跡みたいです。平らな部分が2段になっていました。
2022年02月07日 10:04撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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どうやらここが寺屋敷跡みたいです。平らな部分が2段になっていました。
手前は壊れたダルマストーブの様です。
2022年02月07日 10:05撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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手前は壊れたダルマストーブの様です。
洗い場か便所か?
2022年02月07日 10:06撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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洗い場か便所か?
こちらにも水槽の様なものがありました。これ以外はほぼ何もありません。
2022年02月07日 10:06撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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こちらにも水槽の様なものがありました。これ以外はほぼ何もありません。
少し下って四十ハ瀬川に降ります。
2022年02月07日 10:15撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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少し下って四十ハ瀬川に降ります。
この辺は堰堤が連なっています。渡渉します。
2022年02月07日 10:22撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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この辺は堰堤が連なっています。渡渉します。
向かいの斜面を沢に近い所に沿って上がります。取水口の様なものがありました。
2022年02月07日 10:29撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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向かいの斜面を沢に近い所に沿って上がります。取水口の様なものがありました。
県民の森に向かう林道が見えてきました。
2022年02月07日 10:35撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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県民の森に向かう林道が見えてきました。
林道に出ました。三廻部病院の少し上です。
2022年02月07日 10:36撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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林道に出ました。三廻部病院の少し上です。
土佐原林道への分岐です。ここから旧道を経て観音院へ向かいます。
2022年02月07日 10:52撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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土佐原林道への分岐です。ここから旧道を経て観音院へ向かいます。
農家の人の話だと、寺屋敷にあったのは観音院で、そこから現在の地に移ったと言うが。。。(表尾根)
2022年02月07日 10:56撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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農家の人の話だと、寺屋敷にあったのは観音院で、そこから現在の地に移ったと言うが。。。(表尾根)
また、最近まで寺屋敷には民家があり、そこの子供が西中学へ通っていたと言う話も聞きましたが。。。(鍋割〜小丸)
2022年02月07日 10:56撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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また、最近まで寺屋敷には民家があり、そこの子供が西中学へ通っていたと言う話も聞きましたが。。。(鍋割〜小丸)
そんなことを確かめに観音院へ向かいます。。。(三ノ塔〜大山)
2022年02月07日 10:56撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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そんなことを確かめに観音院へ向かいます。。。(三ノ塔〜大山)
行者〜新大日。
2022年02月07日 10:56撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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行者〜新大日。
天台宗の観音院です。中でご住職にいろいろ話を伺いました。1558年に現在地へ移ったらしいが、どこから移ったかは分からないと言う。
2022年02月07日 11:05撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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天台宗の観音院です。中でご住職にいろいろ話を伺いました。1558年に現在地へ移ったらしいが、どこから移ったかは分からないと言う。
しばらく住職がいない時期があり、住民が寺を管理していたが、過去帳などは虫食い等のため、廃棄されたと言う。(この時点で歴史が失われた!!)
2022年02月07日 11:06撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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しばらく住職がいない時期があり、住民が寺を管理していたが、過去帳などは虫食い等のため、廃棄されたと言う。(この時点で歴史が失われた!!)
ご住職の話では、寺屋敷とは無関係ではないかと言うことだった。
2022年02月07日 11:49撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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ご住職の話では、寺屋敷とは無関係ではないかと言うことだった。
才戸橋から川沿いに帰ります。歴史上の真実は不明なままだった。
2022年02月07日 11:52撮影 by  DMC-TZ35, Panasonic
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才戸橋から川沿いに帰ります。歴史上の真実は不明なままだった。

感想

今日は四十ハ瀬川にあるという寺屋敷跡を確認しました。観音院のご住職からはお話を伺うことができましたが、蔵林寺のご住職は不在で、今のところ、話を伺えていません。
これまで分かったことは:
(1)蔵林寺は室町時代の享徳年間(1452〜55年)の頃に、寺屋敷に開かれ、文明年間(1469〜87年)に現在地へ移った。その際に鐘楼堂が移築された。その時の梵鐘の存在は不明である(その後、蔵林寺で聞いたところ、梵鐘は無かったと言うことでした)。
(2)観音院は1558年ころに今の地に移ったが、どこから移ったのかは不明です。(1558年ころに、金沢(場所は不明)と言う場所で金や銀が産し、多くの鉱夫が檀家になったのが移ったきっかけだと言う。)
(3)寺屋敷から今の場所へ蔵林寺が移った後、寺屋敷には最近まで民家があったようだ。

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