桐生、三峰山 ゴ・ドーハンの山旅 沢に落ちた石祠を救出するも・・・
- GPS
- 05:30
- 距離
- 7.2km
- 上り
- 801m
- 下り
- 655m
コースタイム
天候 | 晴れたり曇ったり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
自転車
|
写真
感想
満を持して桐生の三峰山の調査山行に出かけました。梅田橋から三峰山に至る尾根に点在する石祠の確認や三十六童子を下って、清浄の滝の上にある岩場から沢に落ちていた祠を見つけて岩上まで戻したり、未確認だった滝の絶壁にある不動尊を確認したり、八海山大神像下の気になっていた未踏のルートを探索したりと収穫はたくさんありましたが、残念ながら編集作業中にすべての写真を削除してしまいました。
最近物忘れが激しいのですが、覚えている範囲で心眼で振り返りたいと思います。つづく。
・金沢林道の駐車地(何かの記念碑のすぐ上)からMTBで兼宮神社まで下り、まずは「秩父分地三峯山道」の道標を確認しました。紀年銘は文政?山頂までの里程の他、左に根本山までの距離もありました。
・MTBを梅田橋にデポして忠霊塔の裏手から稲に取り付きました。しばらくすると3つの石祠が並んでいました。左の物には「寶暦・・・」と「立山神宮」とあり、あの立山?この辺りでは見たことないな!と思ったのを覚えています。さらに登ると栗生山の三角点。山名板はなし。西斜面は伐採されていて桐生市街から水道山〜吾妻山の峰々が入江の様にみえました。鋭角峰の城山が印象的でした。
・時々白い花が咲いている尾根を進むと今度は筬沢山の三角点。こちらは展望は無く、標高の数字のみにプレートがありました。しばらくすると今度は東斜面が伐採されており、幼木が育っているのか厳重な金網が巡らされていました。しばらくそれに沿って歩くことになりますが、鳴神山〜残間山〜根本山〜熊鷹山、丸岩岳の峰々が展望されました。
・金網フェンスが600mあたり東への支尾根に消えていくと。三峰山の岩稜帯がはじまります。じきに急登の先に石祠が見えてきました。屋根の先端部に彫られた扁額には「妙見宮」とあり、祠の左右には亀と蛇が彫られていました。妙見様といったら秩父神社なので三峰にあってもいいですね。台石には「村内安全」、紀年銘は「文政・・・」だったと思います。さらに進むとこちらも岩峰に奥宮と呼ばれる石祠がありました。こちらもなかなか立派なものでした。扁額の「三峰山」のは「峰」の字が使われていました。台石には「眷属守護」、紀年銘はこちらも「文政・・・」だったと思います。妙見宮の石祠と同様、こちらも桐生市街(金沢集落)の方を向いて有ました。またその直下にはいい感じの尾根筋が突きあがっているので、それが本来の参道かもしれません。
・そこから急登をひとのぼりするとあっけなく三峰山の山頂に出ました。明治四年の大きな「三峯山」石祠と御嶽山座王大権現像は特に変わった所はありませんでしたが、石垣の中にゼリー飲料のゴミが押し込められていました。少しでも身軽になりたい気持ちはわからなくはないですが・・・
・三十六童子エリアは特に変わった様子もなく、首のない童子像と三笠山刀利天宮像の先の急斜面を下り、八海山大神像への分岐を過ぎて、滝上の沢沿いのトラバース道を歩いていると、沢に何か違和感を感じて良く見ると、あきらかに石造物が沢の石に混じって転がっていました。沢まで降りて確認すると、祠の胴部で「寛政元・・・」とありました。これは大水が出たら紛失してしまうと思い救出いたしました。初めは沢上の杉の根元にでも置こうと考えましたが、この上の岩場にあるという3つの石祠の一つだと推察し、どうせなら上まで持ち上げることにしました。
・岩場の上まで(と言ってもこちら側は土の斜面なのですが)這い上がると、三カ所に点在する祠の中央の物は、屋根と柱等の部材が積み上げられていて、胴部分がありませんでしたビンゴでした!ただ組み直すには人手がなかったので、落ちる心配のない所に置かせていただきました。残りの石祠を確認すると、岩場の先にある物には屋根の横に「小」、手前の物には「大」の字がありました。おそらく小天狗、大天狗の祠だと思います。(ということは中央は石尊宮で雨乞いがされた?と妄想していたら・・・)*「桐生山野研究会」hishiyamaさんの記録(2009年1月)の「名久木の大崩にある川内側の登山道の道標」写真に何と「右 三峯山 金沢」「左 御嶽山 石尊宮」とあるのを見つけました!ということは多分これが石尊宮で間違いないと思います。この道標は実際には未見なので、次回探してみたいと思います。
・岩から降りて、その大岩を巻きながら下ると、まずは滝の左の岩屋の不動尊を確認。ここも時に変化なく不動明王にしてはとても穏やかなお顔です。次に前回確認できなかった滝の右にあるという不動尊を探しました。すると思った以上に上の方に、不動尊座像と少し離れて矜羯羅童子の文字塔が岩壁にはりついてました。岩場を中段のテラスまで登って確認するも、これ以上は危険なので止めました。今では滝の下に並んでいる八大童子塔も本来はこうして岩壁にあったようです。
・下ってきた大岩の巻道を再び戻り、八海山大神に会いにいきました。前回は直接神像に向かうトラバース道にヒヤヒヤしたので、今回はその上方にある安全なルートから向かいました。この道だとまず烏天狗像があります。すると前回はしっかり立って、ご自慢の背中の羽を見せていた像が何と倒れていました(涙)。そこから崖の方に慎重に下ると、神像の背中が見えました。八海山大頭羅神王像は健在でしたが、もしこれが倒れたら谷に落ちてしまうことになります。御無事を祈るばかりです。
・前回、八海山から山側に下った所に大岩が見えたので、非常に気になったのでしたが、日没の関係であきらめました。今回はそのルートを下ってみました。残念ながら岩場には何もありませんでした。その後谷筋を詰めて主要ルートに合流しました。
・金沢峠から梅田方面に下ると、すぐに林道になり、コンクリ舗装がとても滑りや
すくなっていました。
・帰りに兼宮神社を参拝しました。沢山の境内社の石祠が並んでいたり、天明の巨大な庚申塔などが集められていました。なかでも珍しい宝珠型仏塔の<種子>ソ字弁財天は「文化」の銘だったと思いますが、新品?のようでした。
以上、覚えている事を長々と書いてしまいました。 godohan
コメント
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レコ、入れていただき、ありがとうございます✨
もの忘れ激しいどころか、ものすごい記憶力 です( °ω° ;) ドキドキワクワクしながら読ませていただきました。
特に、沢の石に混ざって祠の胴部を発見し、岩場にある石祠のひとつと推察し、運び上げるとビンゴ!更に、残りの石祠の大と小の文字から、中央は石尊宮で雨乞い?と想像していたところに、調べると石尊宮を裏付ける資料が!そして、また、その裏付けとなった道標探しが始まるというくだりは、いろいろわかっていない私までテンションが上がりまくりで、ドキドキワクワク読ませていただきました。すごいです!!!私は天狗と石尊宮について無知なので調べてみようと思います。わかると、もっとドキドキワクワクですね✨
前回見つけることの出来なかった不動尊方も発見出来てよかったですね。岩壁、建立当時はどれだけ壮観だったことでしょう。それをお祀りしていた人やお詣りに来ていた人のことも想像してしまいますね。
烏天狗が倒れてしまってショックです。羽根を見せて立っていていただきたかったです(涙)。
倒れると谷に落ちてしまうのも、心配ですね。みんな、そういうのをなんとかかいくぐって、今残ってくれているけれど、みんな本当に崖っぷちですね。心配です。
祠の救出、ありがとうございました。持ってみようとしたことないですが、相当重そうですね。慎重なgodohanさんですから無茶はされないと思いますが、気をつけて下さいね。
また、次に繋がるレコとなりましたね。道標が発見されるといいなぁ✨
また、楽しみにしております。
私も危なくない辺りまで、お詣りに行けるよう、精進します。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。石祠の件はほんとうに紛失してしまう前に発見できて良かったです。実は前半の三峰山への行程でほぼ満足して、そのまま金沢峠から降りようとも思ったのですが、折角近くまできたのだからと気を取り直して、行ってみて良かったです。まさに呼ばれたのでしょう(笑)。祠自体は小型の物で中もくり抜いてあるので左程重くはありません。流石に屋根は少し重くて(屋根の重さに耐えきれず倒壊してしまう祠が多いですよね)、下手に組み直してまた落ちてしまっても、と思いそのまま置いてきました。石尊宮はもちろん大山から勧請されたもので、あちこちに石尊山がありますが、それもその関連です。「石尊宮」の道標がある事を知り、妄想?が裏付けられた(大げさ!)ようで良かったです。早くそれを確認しに行きたい気持ちで一杯です。
ほんとここは三峰信仰と御嶽信仰に同時にふれることのできる穴場?ですね。益々気に入ってしまいました。
兼宮神社の弁財天もよく気づきましたね。教えていただいてよかったです。そうそう、あの後、例の御札をいただこうとあのカフェに行ったのですが、残念ながらお休みのようでした。それでは。godohan
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