日本海海岸線・糸魚川〜富山
- GPS
- 10:00
- 距離
- 27.8km
- 登り
- 295m
- 下り
- 289m
コースタイム
歩行距離27.8km 歩行時間7時間49分 平均時速約3.5km/h
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年05月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所は親不知のトンネル歩行に尽きる。もう一度同じ企画をやるのであればここだけは他の手段を考える必要がある。全トンネルの天蓋を歩けるならそれでもいいし、波打ち際をどの程度歩けるか調査して見ないと分からないが、特に子ども対象の場合は電車を利用することも必要かも。 |
写真
感想
糸魚川発富山へ〜08年5月3日
08年5月3日。安曇野明科発4:30。糸魚川市役所P6:20着。弁当を食べて7:20に出発。本来なら直接海岸線に出てから西進,姫川港を経て姫川河口を遡り、R8に出て姫川を渡るべきところ、端折って駅からまっすぐ西に向かいR8に突き当たって左折。8:10姫川大橋東詰めで休憩。
日本海に面した全海岸線を歩く〜,と言う途方もない計画を思い立ったのが3年前。その後何の準備をするでもなく徒に時が過ぎるのを見送っただけだったのであまり前後を考えず、糸魚川市役所を出発点としてとりあえずポンと飛び出すことにした。歩き出せばそのうちに色んなことが分かってくるだろう〜,と軽い気持ちでのスタート。
何処まで行けるか分からないが、もう30年くらいは歩くつもりでいるのでかなりのところまでは行けるのではないいかと思っている。
8:17発。姫川大橋を渡って河口に沿って海岸線に出るべきところ、横着をして海岸線に自然に合流する地点まで国道を行き、8:55,コンビニのある地点で海岸線にぶつかり砂丘の道に入る。
海岸線に沿ってどこまでも続くクロマツの林は、本来なら砂浜と対になって『白砂青松』をなすところだが、緩やかな斜面の大部分はコンクリートで覆われており、その内側の平らな部分はインターロッキングを敷き詰めた歩道になっていたり草地であったりして別の様相を呈している。
沖合いには消波ブロックを積み上げた一文字と呼ばれる防波堤が設けられており、またクロマツの林と浜の間にも巨大なテトラポットが並べられていて、荒々しい日本海の海岸線の厳しさを覗かせている。
田海川と言う川の橋を渡るために一旦国道に出て再び松並木のある海岸の長い長い堤防を歩く。海岸と国道の間には団地があり、堤防は団地の裏を通る感じになる。
クロマツは、風の強い所では防風林と呼ばれ、砂丘のある所では飛砂防護林と呼ばれたりする。農作物を潮風から守る防潮林でもある。
クロマツの林の根元に当たる部分にはガードレールを何段も重ねたような柵がめぐらされていた。
海岸線に入って3km,細長い団地は2km近く続き、荷物の重さ,肩の痛さがつらくなって9:27からベンチで5分の休憩。9:32発,青海駅付近を通過して長かったクロマツの並木が終わり、青海川にぶつかって橋を渡るために国道に出る。
ここからまもなく恐怖のトンネル歩きが始まる。
親不知隋道は命不知の道
青海川にぶつかって国道に戻ると歩道がなくなっており、そこからは仕方なく路側帯を歩くことになる。親不知・子不知のトンネルを前にして嫌な予感がした。
国道が北陸線を越えると左手に数戸の民家があり、そこでその先の道路の様子を聞くとトンネル内に歩道はないのではないかと言う。そのまま行くしかない。
10:27最初のトンネルに入る。案の定、歩道がない。しかもカーブの連続。左側の路肩を歩くので右カーブの時はいいが左カーブになると後ろから来る車に発見してもらえない恐れがあるので両方向の車が途絶えるのを待って素早く右側に移動し右カーブになるまで歩く。途切れるまではその場で待つしかない。
ある時は大型のトレーラーが猛スピードで突っ込んで来る。牽引されている後方の車両は先頭の車よりどうしても内廻りになるので路側帯を掠めて通り過ぎて行く。待たずに歩いていたら・・,と肝を冷やす。そう言う場面が何度かあった。
だが右側にいる時の右カーブは左側にいる時の左カーブよりもはるかに恐いし危ない。トンネルは片方に柱を設けて天蓋を施した洞門と言われるもので、右側は海側なので太い柱がある。その柱と柱の間には安全なスペースがあるのだが柱に区切られているので隠れ場にはなっても通路にはならない。
前から車が来るのが分かると運転手を驚かさないよう先方が気づく前にそこに隠れて車の往来が途絶えるまで待つ。事故に会うのも嫌だが事故を誘発するのも嫌だからだ。なので遅々として進まない。進まないがここは焦らずに行くしかない。
所々にではあるが海側の柱の外側に通路が設けられている所がある。それは点検用の通路と思われ、入れないように柵でガードされていたし、完全に繋がっていなくてしばしば途切れる。それでもそちらの方がはるかに安全なので柵を乗り越えて断崖絶壁に張りだしているその通路を歩いた。
最初に短いトンネルがあった後、3.8kmにわたって断続的に3つのトンネルが続き、その間は生きた心地がしなかったが、最後に駒返しと言う名の本物のトンネルがあって、ここだけは歩道が設けられていた。それを通過して1kmあまりで『おやしらずビアパーク』と言う道の駅に着き(11:30)食堂で昼食を摂り12:00発。地図を見るとトンネルはまだまだ続く。
道の駅に着く直前に右脚のふくらはぎに鋭い痛みが走った。筋が断裂したかと思うほど痛くて続行不能になるのではないかと思ったので休んだのだが、かばいながらでも歩き続けるしかない。
12:40、昼食後最初のトンネルに入る。ここはこれまで以上にカーブがきつくてしかもかなりの登りになっていた。1つ抜けると右手に夕日を見る展望場があり、そこから先を見て思わず唸った。道が海岸線の屈曲に沿って激しく蛇行しながら一気に高度を増しているのだ。すぐ目の前に見えている道に行くために何百メートルも回って来こなくてはならない。しかも全部洞門。
自転車が追い越して行った。続いてもう1台。歩く者はいないが似たような人がいるのに意を強くする。
13:15,激しく行き交う車に細心の注意を払いながら坂の頂上の随道に辿り着く。そこは天険パークと言う公園になっていた。思いがけずそこに『栂海新道』登山口を発見。予期できぬことではなかったが予想してはいなかった。
天険随道は700mあまりだが迂回路があるのが嬉しい。親不知・子不知の中でも最難所と言われる核心部の真上を通る遊歩道である。公園には様々な碑や説明版があり、どれも興味深い。
遊歩道を中心とする一帯の道は『越しの歴史自然ルート』と名づけられ、天険パークと言う小公園には親不知・子不知の道の歴史等が展示してあった。
13:30からその迂回路を歩き始め同:45に髄道の先に出る。
すぐに次の洞門にかかろうとして左手に上に向かう道があるのに気づき、もしかすると洞門の屋根を歩けるかも知れないと考えてその道を上がる。同じようなことを考える者はいるもので上にはバイクが1台行き詰まっていたが踏み跡があり、歩きなら行けそうなのでそのまま進む。
天蓋の端から下を覗き込むと30mくらいの擁壁で、海岸にも道があるのが見えた。洞門の最後まではおよそ2km。うんざりしたが同門の中を歩くよりはいい。
ところが幸いなことに洞門が1つ終ってその切目にハシゴがあり、強制的に下ろされた所から先ほど見えた海岸の道に降りることができたので今度はトンネルの下を歩く。それは護岸用の波消しブロックを運ぶための道路らしかった。
最後の3kmは洞門の屋根と海岸の道を歩いたりして10kmにおよんだトンネル群が終わり、15:00に市振漁港に着く。
国道を離れて市振港への道を右に折れると道はすぐに2つに分かれる。左は町並みの通りで右が港につながる道,その分岐点に『海道の松』と呼ばれる大きな松の木があり、松の下には次のような説明文の看板があった。
『昔の北陸道はこの海道の松から海岸へ降りて、西からの旅人は、いよいよ寄せくる波におびえながら、天下の険,親不知子不知(おやしらずこしらず)を東へ越えることになったのである。
また、西へ上る旅人は10キロ余りの波間を命がけでかいくぐり、海道の松にたどりついてようやくホッとして市振の宿へ入ったのである。
目通り2.5mで200年以上の風雪にたえたと言われ、地元の人々からも大切に守り育てられて来たが、明治16(1890)年には崖の中腹に如砥如矢(とのごとくやのごとし)の国道がつき、大正元(1912)年には汽車が通るに至り、記念の老松が忘れられようとしている。』
元禄2年(1689年),芭蕉が奥の細道の道すがら当地の桔梗屋に一夜の宿を取って詠んだと言われる句。
一つ家に遊女も寝たり 萩と月
海道の松のある分岐点を右に進んで港へ向かうと護岸に沿って擁壁で仕切られた盛土があってそこが公園になっており、植え込みが青々と葉を繁らせて涼しい木陰をつくっていた。その公園に上がる階段に腰かけてトンネル越えの疲れを癒しているうちにウトウトと眠ってしまったらしい。
右のふくらはぎの痛みは治まったが代わりに左足裏に肉刺が出来ていた。荷物が肩がに食い込んで肩も背も強張っている。昨夜は2時間しか寝ていなかったので疲労が極限に達していたのかもしれない。それらの諸々から解放された刹那の体と心の何と軽やかで快く、吹く風の心地よかったことか・・。
頭の中に何も浮かんでこない忘我の時間,体がふわっと浮き上がって虚空へ吸い上げられていくような浮揚感・・,随分長い時間,その快感を貪っていたような気がしたが、夢から覚めたように我に返るとまだ30分しかたっておらず、道の反対側では2人の主婦の井戸端会議がそのまま続いていた。
15:35発。市振漁港へは前年5月29日に海釣り教室で来たことがあったので道に見覚えはあるが、この道をこう行けば国道に出るんだった・・,と記憶が道を教えてくれるのではなく、逆に道に記憶を呼び覚まされながら国道へ戻る。
15:55市振駅通過。16:05道の駅『市振の関』着。糸魚川市役所から23km。10分の休憩の間に駅長にあることを頼んで先を急ぐ。
16:15市振の関発。すでに初日の目標点には到達していたが、まだ歩ける時間帯なので行ける所まで行こうと言う感じで歩き始める。
16:35新潟県から富山県朝日町境川に入る。国道の表示では富山まで55km。
国道は境川の町並みをはずれて山よりの峠を越えている。海岸線に近い町並みを通ればよかったものを何も考えずにまっすぐ峠に向かったのが間違いの元,長くて単調でしかも照りつける陽光を遮るものが何も無いつまらない道だった。
だだっ広いだけの無味乾燥なその道は峠を越えてからも延々と続く。山裾を飾るタニウツギの花だけが唯一の彩り・・。
長く単調な境川の国道の峠を下り切ると市街地からの道が合流する信号があり、さらにもう一つ信号があって、そこに『牛馬を積んだ車の乗り入れお断り』と書かれた駐車広場があった。その看板に気をとられて線路を渡る踏切があることを見逃したまま通過する。
そこから国道は越中宮崎駅までの2km近くを北陸線と併走することになろうとは知る由もなく、しばらく歩いているうちに線路の向こうに沢山のテント群があるのに気づく。キャンプ場という看板も見える。
何とか線路を渡って海側に出たいと思い踏切を探したが一向にそれらしいものは見当たらず、そろそろ駅があってもいいはずだと前方に駅舎の影を求めても何も見当たらず、そう言えばさっき踏切があったような・・,と、その頃になって迂闊に信号を通過したことを悔やんだが、すでに引き返す距離ではなかった。
17:00,日帰り温泉の入り口で休憩。疲れと足の裏の痛みで座るのも立ち上がるのもよろよろふらふらと容易でない。15分休んだ後に気力を振り絞って立ち上がり、さらに歩くこと30分で越中宮崎駅を見つける。その先100mの踏切を渡ってまた100m戻り、17:45ようやく駅舎に辿り着く。
糸魚川市役所から宮崎駅までの距離は約28km。
日本海海岸線行脚の初日は挫折を味わって越中宮崎駅で終わった。明日以降,このままの状態で続行できなければそれは挫折である。旅を続けるのであれば考え方を改めて計画を立て直さなければならない。挫折の原因は明白だ。
初日の28kmは体に大きなダメージを残した。原因は平地の長距離を歩くことに対してあまりにも無知であったことにある。
私の登山は縦走が基本である。日帰りであってもピストンが嫌いで出来れば向こうへ抜けたい・・,軽装備が嫌いでしっかり装備を整えて出来ることなら何日でも幕営したい・・,そのスタイルをそのまま平地の長距離歩行に持ち込んだことが失敗の元である。
山中3泊以上の縦走登山の場合,20〜25kgを担ぐのは普通のことで、パーティーによっては30kgにおよぶこともある。だから『生活しながら歩く』と言うことを重視する意味から20kgまでなら大丈夫だろうと軽い気持ちで大型ザックに、テント,シュラフ,コッフェル,コンロ,ガスカートリッジ等の生活用具を詰め込んだ。
悪いことに集団で行動することが多いので1〜2人用の用具を持っていない。あらゆるものが3〜4人かそれ以上に対応できる大きさであるから、これに食料と衣類を加えればたちまち20kgになる。
それが登山ならどうと言うことはない重さであるのは1歩1歩のペースが平地の3分の1以下だからなのだ。そのことが計算に入っていなかった。
空身であれば人はおそらく時速5km以上で歩くことが出来るだろう。軽いデイパックでも4kmで歩ける。そして20kg近い大型ザックの私は、計算では前半を時速3.5kmで歩いていた。
20kmや30kmの距離を歩いたことは何度もあるが、重装備での長距離歩行はまったく経験のない初体験だった私には、荷物とペースの関係が全然分かっていなかった。つまり平地の歩きに関してはど素人だったのだ。
そのツケが右足のふくらはぎに来た。肉離れのような痛さだった。それをかばううちに左足の足裏に肉刺が出来た。肉刺は『蹴り』の力が加わる足指のつけ根の広範囲に出来、我慢して歩いているうちに血豆となった。足指のつけ根をかばうことによって足裏の後ろ側にも肉刺が出来、左足が痛くなると右足に負担がかかり始めて右にも肉刺が出来た。ふくらはぎの痛さは消えたが足裏の痛さに歩きにくさが手伝って後半はガクンとペースが落ちた。
早いペースは肩にも負担をかける。加重と締めつけだけでなく、こすれて肩の皮膚を破ってしまった。ゆっくり歩く時にはあり得ないことだがペースが速いとザックが揺れて肩の皮膚に摩擦が加わるのだ。
2日目以降を歩き続けるなら荷物を減らして立て直すしかなかった。そこで電車に乗って糸魚川市役所に停めてある車に戻り、市振の関まで移動して荷をつくり直した。即ちテントと余分な衣類,予備のガスや必要以上の食料を除いて10kg以下にする。
車を市振まで持って来たので幕営の必要がなくなり、結果的として初日に担いだ荷物は何の役にも立たなかったことになる。
考えたら分かりそうなものだが,やって見たからこそ分かったことである。そこが素人たる所以だが、無駄になった大荷物には感謝している。
コースタイム&里程
明科4:30⇒6:20糸魚川市役所P・朝食7:20⇒(3.2)⇒8:10姫川東詰8:17⇒(5.5)⇒10:27第1トンネル出口⇒(4.1)⇒10:57駒返しトンネル出口11:10⇒(1.2)⇒11:30道駅親不知12:00⇒(3.7)⇒13:15天険パーク13:30⇒(3.9)⇒15:00市振漁港15:35⇒(6.3)⇒17:45越中宮崎駅18:49⇒19:50糸魚川市役所20:00⇒20:50市振の関・泊
歩行距離27.8km 歩行時間7時間49分 平均時速約3.5km/h
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する