東海道のんびりハイク=その12 吉田宿(豊橋市)〜御油宿〜赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿
- GPS
- 08:57
- 距離
- 36.3km
- 登り
- 144m
- 下り
- 130m
コースタイム
- 山行
- 7:52
- 休憩
- 1:22
- 合計
- 9:14
天候 | 晴れ・風強し |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険な所はありません |
写真
感想
今日は豊橋駅前からスタートしました。
豊橋は吉田宿と言われ、大いに賑わっただったようです。豊橋市内は道が碁盤の目に近く立派なものですが、吉田宿内の東海道は、城下町が相させているのかずいぶん直角に曲げて設定しています。あとで分かったことは、市街地では地図より標識をキョロキョロすのが一番です。
豊川市の市街地は、どちらかというと姫街道沿いの方にあるようです。
繁華街は見当たりませんでした。ただし、このあたりの東海道はどこまでも続く直線道路でした。
御油宿の手前には姫街道の分岐点追分があり、機会があったら姫街道も歩いてみたいと思います。BS TBS街道を歩くでも姫街道が紹介されましたが。浜名湖を北から見てみたいものです。
続いて、御油宿があり、天然記念物の御油の松並木は保存状態が良く、旅人にとっては夏は太陽の陽射しを遮り、冬は寒い風を遮ってくれたのでしょう。
御油宿から1.7キロメートルの近い所に赤坂宿がありました。
赤坂宿の高札場で驚いたことは、当時の住民一人一人の名前とその上に職業というか身分が書かれていました。
続いては、本宿があり、この宿は国道1号線の整備によってなされたのが定かではありませんが、当時は現在の蒲郡市への山道があり、交通の要衝であったようです。東海道ルネッサンスで整備された看板、標識などから当時の様子伺い知ることができます。
本宿の先には、家康公も幼少時の学んだ法蔵寺があり、さらにその先には家康公が一揆に責められ、身を隠したとされる山中八幡宮の燕の窟がありました。
続いて、藤川の宿があり、ここには芭蕉公の句碑もあり、また高札場付近は岡崎市が整備したのでしょか、広い休憩所がありました。
さらに進むと、西大平藩陣屋跡があり、ここは大岡越前守が江戸で大岡裁きをして江戸の町を住みよい街にする前まではここにいたそうです。
西大平一宿里塚も現存する一里塚で、国指定の天然記念物になっていました。
残念ながら岡崎城までは辿りつけませんでしたので、次回紹介したいと思います。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する