お墓参りハイクー三増峠・志田峠・大峰・半原カタクリ自生地+厚木市郷土資料館「厚木発掘」
- GPS
- 05:52
- 距離
- 11.2km
- 登り
- 583m
- 下り
- 632m
コースタイム
- 山行
- 5:26
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 5:45
天候 | 曇り・霧 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
三増峠まで新しい枝尾根に挑戦したが、アップダウンがきつく、時間がかかった。尾根筋には道がついているが、ピークを迂回するのは藪と谷が険しく容易でない。志田峠への下降路は新しい部分が見えたが、相変わらず急下降で雨上がりの日は滑りやすく結構大変だった。大峰からの下降もそれなりに急なところがあり、雨の日は結構滑りやすいので注意。 |
その他周辺情報 | 半原バス停前のコロッケは結構いけます。半原のカタクリ自生地は開花を始めた株が10〜20株くらいか?見ごろは来週から4月初めまでかな? |
写真
装備
備考 | 雨上がりの丹沢はやはりスパッツがある方がよい。今日は持ってこなかったので、靴もズボンも泥だらけになった。 |
---|
感想
一昨年秋以来のお墓詣り+清掃、いろいろあって、ようやく実施。昨日午後、庭に咲くクリスマスローズ、水仙、菜の花などの花を切って準備し、お墓の掃除道具をザックに詰めて、早朝出発。始発で本厚木に向かい、上三増行きのバスに乗る。バスは荻野川・中津川を渡り国道129号線を進むが朝から渋滞でなかなか進まない。今日の天気予報は曇りとガスの多い日、ということでバスの車窓から遠くの山は見えない。129号線から離れると鳶尾山など近くの山が見えるがその先の華厳山や仏果山などは何も見えない。上三増には少し遅れて到着、さっそく霊園に上がってお墓の清掃。草取りに始まり、お墓を専用洗剤と様々なブラシで浄めるが、目地周辺などこびりついたカビのような汚れは容易に取れない。今回は新機軸の電動ブラシも少し試したが、最初忘れていたので、洗剤を落としてから試したので効き目はない(わからない)。自宅から持ってきた花を活け、線香をあげ、御まんじゅうなどをお供えして写真を撮り、終了する。予定時間を少し過ぎ、出発。今回は牛松山には登らず上の方までお墓が広がる霊園の最上階まで歩く。一番上はフェンスがなく、土手に出ることができたのでそのまま土手の上を歩き、牛松山から続く稜線に出て、浦のゴルフ場前から続く舗装路に出る。少し先に枝尾根に上がるような旧道のような道が見えるのでそこに入る。地形図の破線の旧道だが、私有地かもしれない。誰もいないのでロープを越えて進んでみるー地主さんごめんなさい−―この道は昨年bicmosさんが逆コースで歩いていることを後で知ったーといっても一つ東側の小尾根だったようだ。村のお墓が出てきて、山道に入る。まだお墓や竹藪など私有地か、村の道かわからない。しばらく傾斜の強まった山道を登り切って小ピークに出ると村の祠があった。集落の山の神様だろうか?道はやや不確かになるが尾根に続いている。後からこれまでの歩いたコースや人のコースをチャックしたら、この区間を歩いた記録は見つからなかった。私はかつて歩いた道のように思っていたが、登ってみると途中から様子が違うことに気づいた。前に見えるピークはかなり急で高い。こんなピーク登ったことあったかな?不審に思い、GPSでチェックするが思い当たらない。かつて小倉山まで歩いた時は少し西側の菅原神社の先から登り、二つ目のピーク前あたりに出て、そのまま290mピーク、小倉山方面に向かったので、ここは歩いていなかったのだ。目の前の大きなピークを見て、左側にまくような踏み跡があったので、誘惑されて入る。しかし西側は深い谷で急激に落ち込んでおり、とても上手く巻けそうもないし、次第に藪が厳しくなる。やむを得ず、途中から尾根に復帰すべく斜面を斜めに歩き易い場所を探して登る。厳しい斜度だった。何とか尾根に復帰し、ピークを登器詰める。結構休憩舎だ。最初の祠の小ピークからは標高差110m以上あった。この標高366m位のピークは山頂が広く尾根が四方八方に分かれているため、どの尾根筋に入るかが問題だ。初めピーク手前の踏み跡に入りかけたが、これはまっすぐ南に急降下して菅原神社方面に下る尾根なので戻って、少し先のピークの北側から西に向かう尾根に入る。この辺りは尾根が複雑に分岐しているのでわかりにくい。っこから一気に40m近く下り、再びもう一つのピークまで登り返す。結構アップダウンの厳しいトレイルだった。ここでかつて見たことのある手描きの「小倉山」のテープの歩きを見つけた。この手描きのテープではこのピークを少し先に進んでから小倉山ルートに出るよう指示している、今回登ってきたルートは子の指示と違い、急な尾根筋をそのまま歩いてきている。余裕があれば小倉山ルートを確かめたいが、今回は時間がなさそうなので先に進む。予定より既に一時間遅れてしまった。こんな厳しいルートとは予想していなかった。厳しいルートから見慣れたコースに入り、そのまま三増峠に出る。三増峠では峠のお地蔵さんなど少し撮影しただけで、休まずにすぐ志田峠方面に向かう。この道も久しぶりで、雨上がりの急斜面にはロープがあり、滑らないよう気を張って登る。手描きテープの道標はところどころに続き、ありがたい。道はよくなっているのだが、標高320mの三増峠から標高415mのピークまで結構アップダウンがあり、急斜面にはロープがある。この小ピークの先で三叉路になり、手書き道標で雨乞山の方向に方向を転換する。ここで間違えるとゴルフ場の方に下ってしまう。5分くらい進んで志田峠の壊れた道標を見る。道標の方向は今回は正しい方向に向いているが、そっぽを向いていることもある。少し先のピーク(志田山?)を越えて、少し進むと尾根が小びろくなり、南東に湾曲する。その先にテープがあり、右側(西側)の急な崖にある枝尾根に入る。ここはわかりにくく、広い尾根をそのまま進んで志田峠より南東側に下ってしまうハイカーも少なくない(そんな記録もヤマレコにある)が、今回は下っていくと東側から新しい道が来ており、もしかしたら道迷いが多いので、地元山岳会が歩き易い道を開いたかもしれない。このあたりは急傾斜の滑りやすい道が多く、結構危険が潜んでいる。気につかまりながら必死に滑落しないように注意して下ると、ようやく傾斜が緩み、志田峠付近が見えてくるとすぐ志田峠に出る。ここは相変わらず工事中で、新しい林道も開かれ、伐採事業中で立ち入り禁止の札が出ている。
大峰への入口は工事のゲートの向こうでここでも立ち入り禁止になっているが、ゲートが開いているので、中に入って尾根に取り付く。稜線上は様々な電波中継塔が立っており、巡視路のような階段がついているがやや荒れている。入口には道標はなく、稜線上には道標がある。稜線から北西に進むとすぐに向山の電波塔に出る。ここには山名板がある。さらに若干のアップダウンを越えて進むと20分くらいで大峰に到着、ただちに半原に向かって下山する。この細長い稜線は南側が特に中津川に向かって急激に落ち込んでいて険しく、半原に向かうこと道も結構急ですべりやすい。ところどころ立ち木につかまりながら滑落しないように注意して慎重に下る。かなり下ると竹藪などが出てきて里に下ったことがわかる。登山口まで下るとすでに12時前、咲きはじめた春の花を愛でながら、半原バス停に向かう。予定ではここからカタクリ自生地を通って再び仏果山に向かい、経ヶ岳・華厳山・高取山を越えてバス停まで下り、厚木郷土資料館に立ち寄るつもりだったが、一時間以上遅れたので、カタクリ自生地まで行ってみてから半原バス停に戻り、直接郷土資料館に行くことにした。
バス停前に御肉屋さんがあり、おいしそうなコロッケを売っていたので牛肉コロッケを買って食べる。少し冷めていたが美味しい。バスの時間を確かめてから歩きはじめ、カタクリ自生地で弁当を広げるつもりであったが、お腹がすいてすぐ食べてしまう。お寺脇を通過し、ホタルの里を越えてカタクリ自生地に出る。少し咲きはじめている。ラッキー。津久井城山のカタクリ園は咲きはじめているとHPに出ていたが、半原はまだかな――と思っていたが咲きはじめていた。雨あがりで太陽が出ていないのであまり開いてはいないが、極力近づいて撮影。写真にとりあえず収めることができたので、満足してすぐにバス停に戻ってからバスの時間まで弁当を食べる。少し遅れてバスが来て、乗り込んだが途中の愛川ふれあいの村野外センター前バス停で大きな荷物を持った学生が大勢乗り込み、乗り降りに時間がかかる。結局20分くらい遅れて、市立病院前バス停に到着、バス停前のお店で資料館の場所を確認して資料館到着。ここは意外と小さく、古い建物で、厚木市はさほど文化財行政には力を入れていないのかなーーと感じる。あるいは予算規模からやむを得ないのか??
今年の厚木の遺跡展のテーマは「厚木の古代を掘る」=つまり奈良。平安時代を中心とした遺跡・遺物の展示だ。鳶尾遺跡、峰ヶ谷戸遺跡など7世紀後半から8世紀の奈良時代の遺跡から緑釉陶器、灰釉陶器など東海地方からの流入品の他、金属製品を生産した鍛冶遺構などが出土している。律令体制が整備される過程で、各地方の修羅雲再編され、7世紀後半から8世紀までに廃絶される集落と8世紀以降に成立する集落など、その再編の様子が見られる遺跡があり、また東日本で少ない掘立柱建物遺構が奈良時代遺構増え始めるなど、古代における厚木地域の社会変化が読み解取れる遺跡の出土品などの展示があった。
奈良時代の仏教文化に関しては愛名宮地遺跡から掘立建物遺構とともに仏堂遺構や仏鉢型土器やミニチュア仏塔などが出土し、村落内寺院の存在が浮かび上がったようだ。
またこの会場の外には常設展示もあり、旧石器時代から民俗関係の展示まで楽しめる。中でも目を引くのは「家型土器」だ。これは初めて見たもので、家形埴輪で博、土器なのだ。昨日としては壺であり、水や酒などを入れることができる。何か特別の用途に使われたものだろうが、全国でも家形の土器は静岡県の鳥居松遺跡出土品の二点のみが知られている貴重品だ。この資料館の目玉展示品らしい。弥生時代末ということで、おそらく東海系の人々の移動、移住と関係すると思われる。なお家形埴輪は古墳時代のものだが、弥生のものとして、家形土製品という穴の開いていない土器ではない土製品もあるようで、それを含めると全国に8点あるそうだ。この家型土器は子ノ神遺跡という厚木を代表する縄文から奈良平安時代までの遺跡のたとい末の住居遺構から発見されたという。良い勉強になった。またこれまで何回か登っている鐘ヶ岳では古代の瓦が出土し、小田原の千代廃寺の瓦と同系統のものがあることから、同時代の山林寺院の存在が考えられているそうだ。厚木方面を歩くときは、この資料館の存在を頭に入れておくのがよさそうだ。この時期は毎年厚木の発掘展が行われているようだ。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する