今朝はリメイクの材料(夕飯の残り物)が無かったので、こちらで朝ごはん。
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今朝はリメイクの材料(夕飯の残り物)が無かったので、こちらで朝ごはん。
♪甘く長い口づけをかわす〜
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3/1 10:15
♪甘く長い口づけをかわす〜
久しぶりの武蔵野線、荒川を渡ります。
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3/1 10:27
久しぶりの武蔵野線、荒川を渡ります。
東所沢駅をスタート。
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東所沢駅をスタート。
まずは亀谷神社
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3/1 10:59
まずは亀谷神社
手水鉢「弘化四丁未年林鐘吉祥旦(1847)」願主銘
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手水鉢「弘化四丁未年林鐘吉祥旦(1847)」願主銘
石燈籠「文政二己卯年八月吉日(1843)」
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石燈籠「文政二己卯年八月吉日(1843)」
御由緒
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御由緒
境内社、左)天保十四卯,1843願主銘 中)文化五辰,1808 右)嘉永五子,1852
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境内社、左)天保十四卯,1843願主銘 中)文化五辰,1808 右)嘉永五子,1852
稲荷社なのでお狐さん「昭和三年二月十四日」がおります。
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3/1 11:11
稲荷社なのでお狐さん「昭和三年二月十四日」がおります。
稲荷橋から東川、桜の季節は良さげですね。
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稲荷橋から東川、桜の季節は良さげですね。
続いてG地図で見つけた御嶽神社、ですが何の確証も得られず、ご近所の方にお聞きしましたが、わからないそう。
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3/1 11:16
続いてG地図で見つけた御嶽神社、ですが何の確証も得られず、ご近所の方にお聞きしましたが、わからないそう。
祠内には上機嫌の布袋様
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祠内には上機嫌の布袋様
こちらでお聞きしようおもいましたが、
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3/1 11:19
こちらでお聞きしようおもいましたが、
残念ながら本日は閉館日でした。
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3/1 11:19
残念ながら本日は閉館日でした。
敷地内に放置?された富士登拝碑と石祠
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3/1 11:20
敷地内に放置?された富士登拝碑と石祠
♪ほら春咲小紅〜
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♪ほら春咲小紅〜
お花と武蔵野線、車両がすれ違っています。
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お花と武蔵野線、車両がすれ違っています。
狭山丘陵のハケに「霧吹きの井戸」、枯れているようです。
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狭山丘陵のハケに「霧吹きの井戸」、枯れているようです。
その先に「大峯大権現(現))/成田山不(動明王)/鎮守八幡(宮)」背面に願主、紀年銘があったみたいですが確認できず。
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その先に「大峯大権現(現))/成田山不(動明王)/鎮守八幡(宮)」背面に願主、紀年銘があったみたいですが確認できず。
擁壁の上に手水鉢と石燈籠、その上に木祠の稲荷社がありました。元はこちらが参道だったのかな。
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擁壁の上に手水鉢と石燈籠、その上に木祠の稲荷社がありました。元はこちらが参道だったのかな。
上り坂のカーブの先が城山神社の表参道のようですが、道なりに進みます。
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3/1 12:15
上り坂のカーブの先が城山神社の表参道のようですが、道なりに進みます。
ここが現在の稲荷社参道の入口、手水鉢(嘉永五壬子,1852惣村中願主銘)
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ここが現在の稲荷社参道の入口、手水鉢(嘉永五壬子,1852惣村中願主銘)
車道をはさんだ反対側の斜面に常夜燈「明治十九戌年十月吉日(1886)/願主 城村中」、この上方にある明治期の不動三尊のものと思われます。
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車道をはさんだ反対側の斜面に常夜燈「明治十九戌年十月吉日(1886)/願主 城村中」、この上方にある明治期の不動三尊のものと思われます。
坂道の途中、「血の出る松の跡」ですって!現在は松の木はないようです。お隣には、
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坂道の途中、「血の出る松の跡」ですって!現在は松の木はないようです。お隣には、
三面六臂の馬頭観世音立像「寛政十一乙巳年三月吉日(1799)武州入間郡城村中 願主埜村勘兵衛」
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三面六臂の馬頭観世音立像「寛政十一乙巳年三月吉日(1799)武州入間郡城村中 願主埜村勘兵衛」
ハケの斜面を上りきると、こちらにも神社(城跡)入口がありました。
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ハケの斜面を上りきると、こちらにも神社(城跡)入口がありました。
二重堀跡、思った以上に立派な城跡みたい。
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3/1 12:25
二重堀跡、思った以上に立派な城跡みたい。
物見櫓跡
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物見櫓跡
二の郭との間の中堀
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二の郭との間の中堀
櫓跡から下る途中に役行者と不動三尊がおりました。
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櫓跡から下る途中に役行者と不動三尊がおりました。
これは嬉しい!江戸期の役行者像です。杖は無くなるっているようです。背面の、
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これは嬉しい!江戸期の役行者像です。杖は無くなるっているようです。背面の、
上段「勅會千百五拾回 嘉永三庚戌歳春三月七日(1850)御正當」
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上段「勅會千百五拾回 嘉永三庚戌歳春三月七日(1850)御正當」
下段に「権大僧都法印秀膳代 願主下清戸村 小寺文治郎」
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下段に「権大僧都法印秀膳代 願主下清戸村 小寺文治郎」
こちらも江戸期の不動三尊像、手前の香炉石には「成田山」とあります。
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こちらも江戸期の不動三尊像、手前の香炉石には「成田山」とあります。
主尊の不動明王坐像、残念ながら両腕が消失しています。
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主尊の不動明王坐像、残念ながら両腕が消失しています。
右に眷属の矜羯羅(こんがら)童子立像と、
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右に眷属の矜羯羅(こんがら)童子立像と、
左には制多迦(せいたか)童子立像
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左には制多迦(せいたか)童子立像
主尊の背面には一寸読みづらいですが「弘化二乙巳九月吉辰(1845)龍蔵院秀膳代 世話人村役人中 願主上田村 三尊立 中村(恵)五郎」
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3/1 12:34
主尊の背面には一寸読みづらいですが「弘化二乙巳九月吉辰(1845)龍蔵院秀膳代 世話人村役人中 願主上田村 三尊立 中村(恵)五郎」
物見櫓跡から中堀に下りた所
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物見櫓跡から中堀に下りた所
反対側の二の郭の斜面にも別(明治期)の不動三尊像が祀られていました。
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反対側の二の郭の斜面にも別(明治期)の不動三尊像が祀られていました。
矜羯羅童子坐像、とてもふくよかな御尊顔です。
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矜羯羅童子坐像、とてもふくよかな御尊顔です。
制多迦童子坐像、こちらは強面ですが、愛嬌もあるお顔
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制多迦童子坐像、こちらは強面ですが、愛嬌もあるお顔
主尊の不動明王坐像、台石の真ん中はお水(滝)でしょうか?
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主尊の不動明王坐像、台石の真ん中はお水(滝)でしょうか?
消失しやすい剣と羂索がよく残っています、しかも両方とも良い彫りです。
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消失しやすい剣と羂索がよく残っています、しかも両方とも良い彫りです。
「入間郡城村」発起人、願主、世話銘の最後に「明治十九戌年十月吉日(1886)建之」、先程の石燈籠とセットのようです。
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「入間郡城村」発起人、願主、世話銘の最後に「明治十九戌年十月吉日(1886)建之」、先程の石燈籠とセットのようです。
二の郭の中堀
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二の郭の中堀
同じく中堀
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同じく中堀
残念ですがパンフレットは在庫切れ
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残念ですがパンフレットは在庫切れ
縄張図
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縄張図
二の郭、周囲は少し土塁になっているようです。
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二の郭、周囲は少し土塁になっているようです。
参道通路とその先が物見櫓台
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参道通路とその先が物見櫓台
堀との比高差もかなりありますね。
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堀との比高差もかなりありますね。
馬出とその向こうに三の郭
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馬出とその向こうに三の郭
内堀を隔てて社殿の建つ本郭
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内堀を隔てて社殿の建つ本郭
社務所は閉じていましたが、その前に置かれていますよ!
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社務所は閉じていましたが、その前に置かれていますよ!
本郭と二の郭の内堀
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3/1 12:53
本郭と二の郭の内堀
それでは神社のある本郭へ行ってみましょう。
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3/1 12:53
それでは神社のある本郭へ行ってみましょう。
拝殿の横から入る感じです。右手の隅に新しい手水場、石碑群などがあります。
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拝殿の横から入る感じです。右手の隅に新しい手水場、石碑群などがあります。
滝の城址
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滝の城址
説明板 狭山丘陵の崖を利用した平山城、北条氏照の持ち城で滝山城の支城、秀吉の小田原攻略で落城
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説明板 狭山丘陵の崖を利用した平山城、北条氏照の持ち城で滝山城の支城、秀吉の小田原攻略で落城
「北條陸奥守氏照之持城 /瀧之城本丸趾/大正十四年三月(1925)建設」
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「北條陸奥守氏照之持城 /瀧之城本丸趾/大正十四年三月(1925)建設」
表参道の石段を上った所にある先代の狛犬「紀元二千六百年記念 昭和十五年四月三日/石工 所沢 小泉」
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3/1 12:59
表参道の石段を上った所にある先代の狛犬「紀元二千六百年記念 昭和十五年四月三日/石工 所沢 小泉」
武蔵野線がよく見えます!昔は本数が少なく、風は吹くとすぐ止まっちゃうので大変でしたね!
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3/1 12:59
武蔵野線がよく見えます!昔は本数が少なく、風は吹くとすぐ止まっちゃうので大変でしたね!
こちらには使用されていない手水鉢「冨士登山紀念 昭和九年七月二十五日頂上」年齢順に講員銘、最後に
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3/1 13:02
こちらには使用されていない手水鉢「冨士登山紀念 昭和九年七月二十五日頂上」年齢順に講員銘、最後に
「飛行学校前 石工 (ニ力)源吾 仝 内田久作」
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「飛行学校前 石工 (ニ力)源吾 仝 内田久作」
こんなに立派な社殿のある神社だとは思いませんでした。
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こんなに立派な社殿のある神社だとは思いませんでした。
今度は貨物列車、眺めが良くこの後ランナーの方々や三脚を持った撮鉄の方も来ました。
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今度は貨物列車、眺めが良くこの後ランナーの方々や三脚を持った撮鉄の方も来ました。
この崖の斜面には横穴墓があるようです。
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3/1 13:04
この崖の斜面には横穴墓があるようです。
本殿の裏手、本郭の橋には
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3/1 13:07
本殿の裏手、本郭の橋には
虎口の橋があったみたいです。
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虎口の橋があったみたいです。
内堀を隔てて三の郭、ランナーの方がいます。
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3/1 13:08
内堀を隔てて三の郭、ランナーの方がいます。
社殿左手には伊勢太々神楽や伊勢参宮などの巡拝碑
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社殿左手には伊勢太々神楽や伊勢参宮などの巡拝碑
一寸した高台に稲荷大明神と、
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3/1 13:09
一寸した高台に稲荷大明神と、
木祠のお宮
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木祠のお宮
夫婦樫、一旦下って
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夫婦樫、一旦下って
石段脇に「御嶽太々神楽奏上記念」碑、一瞬ドキっとしましたが(笑)、“みたけ”ですね。
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石段脇に「御嶽太々神楽奏上記念」碑、一瞬ドキっとしましたが(笑)、“みたけ”ですね。
その石段を上った正面にある石祠、もしかしたら御岳社かな。台石には、
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その石段を上った正面にある石祠、もしかしたら御岳社かな。台石には、
「柳瀬村大字城 信徒中/明治二十九丙申年第六月吉日(1896)建之」
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「柳瀬村大字城 信徒中/明治二十九丙申年第六月吉日(1896)建之」
本丸虎口、こちらに橋が架かっていたようです。
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本丸虎口、こちらに橋が架かっていたようです。
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三の郭と本郭の内堀
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三の郭と本郭の内堀
三の郭、こちらにも土塁があります。
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三の郭、こちらにも土塁があります。
大井戸跡、この水でお茶を点てたのかな。
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大井戸跡、この水でお茶を点てたのかな。
中堀を隔てて物見櫓跡、その向こうが外郭のようですが宅地になっています。
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中堀を隔てて物見櫓跡、その向こうが外郭のようですが宅地になっています。
三の郭の下方にも郭があるようです。「東の郭」とありました。
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三の郭の下方にも郭があるようです。「東の郭」とありました。
右は三の郭の切岸
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右は三の郭の切岸
はしやすめ
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3/1 13:25
はしやすめ
このハケの先に横穴墓がありのかな?
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3/1 13:26
このハケの先に横穴墓がありのかな?
東の郭から三の郭を見上げる。
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3/1 13:27
東の郭から三の郭を見上げる。
表参道の入口
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3/1 13:35
表参道の入口
観光幟旗、本来は「所沢 滝の城」と続くようです。
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観光幟旗、本来は「所沢 滝の城」と続くようです。
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子供時代だったら絶対探検したくなるような雑木林がたくさんあります。
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子供時代だったら絶対探検したくなるような雑木林がたくさんあります。
常夜燈(安政三丙辰,1856)には、
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3/1 14:20
常夜燈(安政三丙辰,1856)には、
「冨士仙元大(権現)/大山石尊大権現/成田山不動明王」、台石に「願主惣村中…冨士講中」
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3/1 14:20
「冨士仙元大(権現)/大山石尊大権現/成田山不動明王」、台石に「願主惣村中…冨士講中」
重要な石塔を見逃したので戻って来ました。明治の不動三尊の隣の木陰に、
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3/1 14:32
重要な石塔を見逃したので戻って来ました。明治の不動三尊の隣の木陰に、
「蔵王大権現」背面に、
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3/1 14:33
「蔵王大権現」背面に、
「弘化二乙巳九月吉辰(1845)」
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3/1 14:33
「弘化二乙巳九月吉辰(1845)」
「八幡山主秀膳代」と世話人銘、またまた“秀膳”さん登場です。この石塔は元来は役行者と江戸期の不動三尊のある方に逢ったのが、何らかの事情でこちらに移設されたのでしょうね。
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3/1 14:34
「八幡山主秀膳代」と世話人銘、またまた“秀膳”さん登場です。この石塔は元来は役行者と江戸期の不動三尊のある方に逢ったのが、何らかの事情でこちらに移設されたのでしょうね。
♪春なんだな(by小椋佳)
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3/1 14:41
♪春なんだな(by小椋佳)
ナイスなマンホール、彼は“たきじょう君”というらしい。
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ナイスなマンホール、彼は“たきじょう君”というらしい。
柳瀬川を渡る武蔵野線の高架、
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3/1 14:44
柳瀬川を渡る武蔵野線の高架、
土手にはカメラを構えた方々が数名、川に入って水面すれすれにカメラを構えている方もいました。
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3/1 14:48
土手にはカメラを構えた方々が数名、川に入って水面すれすれにカメラを構えている方もいました。
本来はこの後、清瀬の御嶽塚に向かう予定でしたが、城跡巡りと周辺の石分が充実していたので帰ることにしました。
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3/1 14:50
本来はこの後、清瀬の御嶽塚に向かう予定でしたが、城跡巡りと周辺の石分が充実していたので帰ることにしました。
ちょっと遠回りして新座駅でゴールです。
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3/1 15:29
ちょっと遠回りして新座駅でゴールです。
ゾウキリンさん、漢字で書くと“雑木林”ですかねぇ?そのままじゃないかい!
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ゾウキリンさん、漢字で書くと“雑木林”ですかねぇ?そのままじゃないかい!
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いい石に沢山会えましたね。
役行者像、おだやかないいお顔だと思いました。一緒にいた不動明王の足の裏がしっかりこちらに向いているところが、ありえない感じで個人的には怖いです。反省しきったように俯いた矜羯羅童子、何か背負ってるのでもなさそうですが、後ろに何かあったんでしょうか。制吒迦童子、いいお顔だと思います。
もう一方の不動三尊、いいですね✨
矜羯羅童子、きれいです。お顔もいいし、暖かみを感じるような手もきれい。制吒迦童子はお不動様みたいに強面ですね。お不動さまも、彫りがきれいですね。細かい細工も、火焔の光背が透けているのもきれい。しっかり彫っていながら、落ちてなくならずに残る。いい石工さんですね。明治から、今も、こういう仕事が伝わって残っているといいです。
カップ麺もカレーなんですね。しかも、きつね蕎麦にカレーつゆ、その組み合わせがアリとは。未知の世界でした。
柳瀬郷土民族資料館、閉まって居て残念でしたね。御嶽神社の他にも、無料で面白い事が見つかりそうです。
興味深いレコ、ありがとうございました。
※ ※ ※
血の出る松の跡、怖いけど、石に残すぐらいのことだったんだと思うと気になりました。昭和47年に枯れて伐採されたそうです。
以下、所沢市立所沢図書館さんのコラムからです。
(図書館の方も、いい仕事されてます)
※ ※ ※
「戦国の名残と竜の伝説 滝の城址」
◆血の出る松◆
城跡の北西隅に、樹齢数百年を数える黒松があり、肌を傷つけると血の色をした樹液が出ました。落城したときに討死した城兵の血が地に染み込んだためと言われていました。
現在は枯れてしまっていますが、跡に石碑が残されています。
◆滝の城の竜◆
滝の城には、城に仇をする竜がひそんでいました。城兵たちは何とかして退治しようと相談しました。そして、城の下で踊を踊り、賑やかにはやしたてたところ、竜は踊が見たくなり、 まんまと姿を現しました。待ち構えていた弓の名手が矢を放つと見事命中し、首は射切れて飛んでいきました。
伝説は地名に残っており、踊を踊った場所は、清瀬市下宿の"舞台"竜の首が落ちた場所は、南永井の"井頭(射頭)"、首を射切った矢が落ちた場所は、城の"矢崎(矢先)"という場所だと言われています。 竜ではなく、大蛇とする話なども伝わっています。(K)
※ ※ ※
長くなってしまい、申し訳ありません💦
まさか急遽オプションで訪ねた所で役行者や秀逸な不動三尊で出会えるとは思ってもいませんでした。あの明治期の二童子はホントいい感じだったので後で写真を追加しておきますね。
それから、城址伝説のフォローもしていただいて有難うございます。“血の出る松”と聞いてこれはただ事じゃあないなと思いましたがなかなか調べる時間がないので助かります。さすが歴史があるだけに色々伝説があるようですね。今の長閑な風景からは想像もできませんが、この地でも実際に生死を掛けた緊張感に包まれた時代があったとは。やはり平和が一番ですね。何か話が変な方にいっちゃいましたね。本当にありがとうございます。それでは。 godohan
あの“ゾウキリン”があそび場だったんですね。楽しそうな所がいっぱいでしたね。
何と何とお昼を食べ損なっていたので、一瞬頭をよぎりましたが、御寄りすれば良かったですね。覚えておきます!それでは。 godohan
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