二上山〜いにしえに思いを馳せて
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 785m
- 下り
- 767m
天候 | 曇りときどき雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
何気に楽しく登っている二上山。
ひょんなことから、十三重石塔をあらぬところで見つけてしまいました。
二上山の十三重石塔は鹿谷寺が有名ですが、そこまで古くはなさそう。
いったい誰が建立したのでしょうか?
いろいろと二上山に関する文献やネットを調べていくとこれが結構面白い。
2000万年前の火山爆発で今の形になった二上山。
大和(奈良)側から見ると西方浄土の入口として信仰の対象になっていました。
謀反の疑いをかけられ自害させられた大津皇子。
皇子の死を嘆き悲しんだ姉の大伯皇女が詠んだ「うつそみの 人なる我や
明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む」
という万葉集の歌は有名です。
他にも、日本最古の官道「竹内街道」、當麻寺に伝わる中将姫の伝説など
興味深い出来事が多い。
そのなかでも、雄岳にあったという「二上山城」にひかれます。
城郭を築いたのが楠木正成で、河内国七城のひとつであるといわれています
が確証はないようです。
足利幕府の管領、細川政元の命をうけ、赤沢朝経が明応8年(1499年)に
この山城を拠点として大和を制圧。
永正4年(1507年)に細川政元が暗殺されると赤沢氏も没落。
その後、天文8年(1541年)河内守護代の木沢長政が改修したとされています。
山城は雄岳の山頂にあり、東西170m二段にもなる長大な曲輪で、
いまでも帯曲輪、空堀、土塁が確認できるそうです。
雌岳にも城郭があったといわれ、数段の腰曲輪も確認できるそうなので、
今回の十三重石塔や石垣もこの城郭に関係あるのかもしれません。
今回は、二上山城の遺構を確認に行ってきました。
城郭跡や案内板もないので、城があったとはほとんど知られていないような
気がします。
城郭マニアの皆さんなら、どこが曲輪、空堀や土塁跡だとわかるのでしょうが、
いまは整地されたり、樹木に遮られたり、面影はほとんどありません。
でも、山を削って平らにした場所が何段もあるのがわかりました。
また、万歳山城があったとされる原岳にも立ち寄りましたが、
ここも荒れていたのでよくわかりませんでした。
十三重石塔を調べていくうちに、二上山の知らない歴史に触れることができました。
新たな二上山の魅力を発見です。
何度ものぼりましたが、今回はいにしえに思いをはせる登山となりました。
気になる十三重石塔はもう少し調べてみます…
コメント
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こんばんは、stayさん。
ご無沙汰してます。
二上山の色々な道歩き、お疲れさまでした。
原岳への道は、この前三十三間山が中止になった時に
歩きました。二上山とは思えないようなしっかりした
山歩きでした
このままどんどん暖かくなるのかな
アイゼンを要るのか要らないのかわからないような
山歩きはもういいですわ
またご一緒したいです。
お疲れさんでした。
katatumuriさん こんばんは♪
こちらこそご無沙汰です。
二上山の新たな課題解決は難しそうです
でも山城があったとはビックリでした。
まだまだ登りごたえありそうですよ
またご一緒しましょう。
コメントありがとうございました。
こんばんわstayさん
二上山の歴史、肉と野菜、もちろん酒にしか興味がわかない私ですら、何気に興味が・・・
二上山も奥が深いですね〜
気になるのが、中将姫ですが、確か駅前にある餅屋が中将餅だったような・・・
関係あるんでしょうか!?
yokoyanさん こんばんは♪
二上山の歴史も興味深いでしょう?
今までと違う思いで登れそうです。
中将姫の伝説は継子いじめのお話。
実在していなかった説もありますが、
一晩で當麻曼荼羅を織り上げたりするスーパーお姫様。
當麻北共同墓地内にお墓があって、ここも花崗岩で造られた
十三重石塔があるので、二上山のものと何か関係あるのかな
と思ってます。
中将餅は、この中将姫にちなんでつけられたそうですよ。
おいしいヨモギ餅です。
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