【白山】清浄ヶ原の秘密の池


コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・ 石川県道53号線(岩間一里野線)は通行止め中だが、新岩間温泉までは路面はきれいで、自転車でアプローチ可能。その先は落石が多くなり、特に楽々新道登山口を過ぎて丸石谷林道に入ると林道の崩壊が激しくなる。路盤崩壊や雪渓の残骸などもあり通過注意。 ・ 清浄ヶ原の北に伸びる尾根は、末端からわずかながら刈り払いがあり、薄い踏み跡もあるが、途中で終わってしまう(おそらく、地元の方が山菜取りなどで使っているのではないかと思う)。そのあとは笹と灌木の藪。 ・ 清浄ヶ原の台地は背丈を越える頑強な笹藪に覆われており、かなりタフな藪漕ぎになる。視界もゼロに近いため、今回訪問した池を見つけるのは正直なところ容易ではない。何度も木登りして周囲を観察しながら進行方向を絞り込んでいったが、最終的に池の位置を教えてくれたのは「カエルの声」だった。 |
写真
それさえ怪しくなってくる。
装備
備考 | ・ ラバー底の沢靴を使用し、念のためアイゼンも携行した。丸石谷林道は崩壊が激しく路面が川のようになっている箇所もあり、沢靴で来てよかったと思った。また、林道上に雪渓の残骸が随所に残っており、アイゼンも役立った。 |
---|
感想
白山の清浄ヶ原に池塘が点在していることは、よく知られていることだと思う。一部は地形図にも記載されているし、加賀禅定道から眺めると、地形図に記された池から小さな谷状地形をはさんだ南側にもいくつかの小さな池が散らばっているのを見て取ることができる。しかし、今回目指したのは、これらのよく人の目に触れている池とは別の池である。
きっかけは、2020年9月に目附谷を遡行したあと、加賀禅定道を下山中、清浄ヶ原の台地の北端に近いあたりに、何やら池らしいものが見えることに気が付いたことだった。しかも、上述の見えやすい位置にある他の池よりも大きいように見える。地形図を見てもその位置に池の記号はないし、周囲の木々の間から垣間見える程度なので、それが本当に池なのか半信半疑だったが、いちおう手持ちの地形図に池らしきものが見えた位置をプロットしておいた。
それから約5年が経った(ずいぶん経ったなぁ…)今週末、そのときに見た池らしきものの正体を確かめてみることにした。この時期を選んだのは、豊富な残雪もようやく解けて、(もしそれが本当に池であれば)もしかしたらミズバショウも顔を出しているかもしれない、という希望的観測に基づいたものだった。
清浄ヶ原はもちろん藪に覆われていることが予想されたが、今回目指す池(らしきもの)はその台地の北端に近いところにあるので、それほど苦労はしないだろう、早々に下山して明るいうちに温泉に入れるかもしれない、と正直ナメていた。しかし、清浄ヶ原の藪は生易しいものではなかった。野伏ヶ岳や薙刀山に匹敵する激ヤブで、背丈を越える笹に常時覆われて視界ゼロなうえに、清浄ヶ原ののっぺりした地形も相まって、ナビゲーションも容易でなく、油断すればすぐにリングワンデルングに陥りそうだ(私はGPSを使わないので、余計に困難が大きい。半面、一番面白いシチュエーションでもあるわけだが…)。少しでも見通しを得ようとして何度も虚しく木登りさせられた挙句、最終的に池まで導いてくれたのは、藪の向こうからかすかに響いてくるカエルたちの声だった。
池は確かに存在していた。思ったよりも小さく、ちょうど加賀禅定道にある天池くらいの大きさだ。山中に数ある湿原のうちの一つ、といったところだろうか。しかし、気持ちの良いミズゴケとダケスゲの湿原に囲まれ、周囲は雄大な残雪の稜線に取り巻かれて、山上の池としてはまさに理想的。その箱庭のような光景に、一目で気に入ってしまった。わずかに期待していたミズバショウには出会えなかったが、ゼンテイカやマイヅルソウと思われる若芽が群生していたので、7月くらいには素晴らしい花畑が人知れず展開されるのかもしれない。モウセンゴケの群生もおびただしい朝露を結んで、元気いっぱいハエを捕食していた。
この池にもう一回行って来いと言われたとしても、再度この池を訪ね当てられる自信は私にはない。それくらい清浄ヶ原を覆い尽くす藪は頑強で、方向感覚を惑わせる。そして数メートル離れただけで、藪の向こうにあるものが全く視界に入らなくなってしまう。今回にしても、カエルの声に導かれなければ、自分のすぐ真横にある池に気づかず、とんでもないあさっての方向に進んでしまい、それっきり終わりになっていたかもしれない。
二度と訪れることのできない場所、二度と見ることのできない風景。我々は普段、今いる場所にはいつでも再び訪れることができるという無意識の観念を持って日常生活を送っているので、こうした場所に佇み、こうした風景を眺めることに慣れていない。目の前の風景が実は貴重なもので、よく心に刻んでおかなければならないということは分かっているのだが、大抵いつも何か大事なものを取りこぼしたような、どこか満ち足りない気持ちで、そうした場所を去ることになる。
あるいはむしろ、そうした場所は、あまりに人の訪れが稀なので、風景のほうが人間に見られることに慣れていない、と言ったほうが正確なのかもしれない。私のようなたまさかの闖入者が立ち去ったあとでようやく、池のおもてには白い夏雲がくっきりと浮かび上がり、ゼンテイカの群落が次々に花開いて、池は本来の美しさをひっそりと取り戻すのかもしれない。神様の庭と言い伝えられているような場所は、おそらくそうした場所なのだろう。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する