放射冷却で寒かった屋代駅前よりスタート。
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放射冷却で寒かった屋代駅前よりスタート。
桜が満開でした。
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4/9 6:17
桜が満開でした。
寂蒔の土手。元禄年間のもので千曲川の水害から守るために作られています。
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寂蒔の土手。元禄年間のもので千曲川の水害から守るために作られています。
寂蒔(じゃくまく)宿。間の宿です。
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4/9 6:52
寂蒔(じゃくまく)宿。間の宿です。
おそらく寂蒔宿の出口付近。北長野では宿場の出入り口に秋葉さん(中央)を祀ることが多いです。
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おそらく寂蒔宿の出口付近。北長野では宿場の出入り口に秋葉さん(中央)を祀ることが多いです。
国道に出て左へ。
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4/9 7:13
国道に出て左へ。
右に姨捨道の道標があります。
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4/9 7:21
右に姨捨道の道標があります。
姨捨山が右手奥に確認できます。
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姨捨山が右手奥に確認できます。
下戸倉宿「下の酒屋」明治になって温泉開発と戸倉駅誘致に成功して戸倉温泉の礎を築きました。
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下戸倉宿「下の酒屋」明治になって温泉開発と戸倉駅誘致に成功して戸倉温泉の礎を築きました。
本陣付近。この先にある上戸倉宿とともに2つで1つの役割を持つ合宿で下戸倉宿が1日から21日まで上戸倉宿が22日から末日まで交代制で宿駅を行っていました。
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4/9 7:27
本陣付近。この先にある上戸倉宿とともに2つで1つの役割を持つ合宿で下戸倉宿が1日から21日まで上戸倉宿が22日から末日まで交代制で宿駅を行っていました。
明治天皇行在所跡。本陣「上の酒屋」は痕跡はこれのみ。戸倉宿は加賀藩の参勤交代では使用されず一般の庶民や武士の利用が多かったといいます。
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4/9 7:29
明治天皇行在所跡。本陣「上の酒屋」は痕跡はこれのみ。戸倉宿は加賀藩の参勤交代では使用されず一般の庶民や武士の利用が多かったといいます。
旧道分岐。右へ。
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4/9 7:49
旧道分岐。右へ。
国道と交差して踏切を渡ります。
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4/9 7:50
国道と交差して踏切を渡ります。
カーブミラーの辺りを右へ。
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4/9 7:56
カーブミラーの辺りを右へ。
上戸倉宿。左が本陣です。
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4/9 7:57
上戸倉宿。左が本陣です。
国道から離れているので静かな雰囲気です。
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4/9 8:00
国道から離れているので静かな雰囲気です。
踏切を渡って国道沿いを進みます。
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4/9 8:08
踏切を渡って国道沿いを進みます。
国道18号だけあって交通量は多めです。コンビニが点々とあります。難所である横吹八丁が奥に見えてきました。
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4/9 8:09
国道18号だけあって交通量は多めです。コンビニが点々とあります。難所である横吹八丁が奥に見えてきました。
刈谷原交差点。右奥の広くなってるスペースが旧道の痕跡と思われます。道路左手のスペースは旧信越本線です。
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4/9 8:21
刈谷原交差点。右奥の広くなってるスペースが旧道の痕跡と思われます。道路左手のスペースは旧信越本線です。
特長ある岩井堂山を千曲川越しに。ここは有名な笄(こうがい)の渡しがありました。村上義清公の居城の葛尾城が陥落して奥方が逃げ延びる際の話から名づけられたものです。
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4/9 8:26
特長ある岩井堂山を千曲川越しに。ここは有名な笄(こうがい)の渡しがありました。村上義清公の居城の葛尾城が陥落して奥方が逃げ延びる際の話から名づけられたものです。
横吹八丁の案内板。現在の国道は明治に作られたもので江戸時代は千曲川から避けるために山の中腹を進んでいました。
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横吹八丁の案内板。現在の国道は明治に作られたもので江戸時代は千曲川から避けるために山の中腹を進んでいました。
左手の擁壁の隙間に登り口があります。
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左手の擁壁の隙間に登り口があります。
赤いテープを目印に上っていきます。
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4/9 8:33
赤いテープを目印に上っていきます。
眼下に国道と千曲川が見えます。
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4/9 8:34
眼下に国道と千曲川が見えます。
階段が整備されています。
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階段が整備されています。
道が崩落してる箇所があったので引き返しました。この先にも赤テープがあったので無理をすれば行けるかもしれません。
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道が崩落してる箇所があったので引き返しました。この先にも赤テープがあったので無理をすれば行けるかもしれません。
明治の道で迂回します。歩道部分は旧信越本線の線路跡です。
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4/9 8:49
明治の道で迂回します。歩道部分は旧信越本線の線路跡です。
ここを左へ。
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4/9 8:50
ここを左へ。
旧信越本線と交差します。
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4/9 8:51
旧信越本線と交差します。
現在の信越本線と交差した先で山側に上ると旧道の痕跡が一部残っています。ここはその入り口。
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4/9 8:56
現在の信越本線と交差した先で山側に上ると旧道の痕跡が一部残っています。ここはその入り口。
つるし仏といわれるものでしょうか?
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4/9 8:57
つるし仏といわれるものでしょうか?
ここにも古い石仏があります。前後25mほど旧道の痕跡が確認できましたが先は崩れてるようで進むことができませんでした。戻ります。
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4/9 8:59
ここにも古い石仏があります。前後25mほど旧道の痕跡が確認できましたが先は崩れてるようで進むことができませんでした。戻ります。
ここが本来の横吹八丁の出口。左斜め後ろ方向から合流していました。真っすぐ進みます。
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ここが本来の横吹八丁の出口。左斜め後ろ方向から合流していました。真っすぐ進みます。
横吹八丁の坂城側の登り口と思われます。坂道の面影はあるものの擁壁が出来てしまって見るも無残です。
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4/9 9:05
横吹八丁の坂城側の登り口と思われます。坂道の面影はあるものの擁壁が出来てしまって見るも無残です。
坂木宿の西の桝形。正面に善光寺常夜灯が立ちます。左へ。
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坂木宿の西の桝形。正面に善光寺常夜灯が立ちます。左へ。
道なりに進んで右へ。
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道なりに進んで右へ。
坂木宿は葛尾城の城下町でもあります。道幅が広いのは中央に水路があったことから。
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坂木宿は葛尾城の城下町でもあります。道幅が広いのは中央に水路があったことから。
突き当りを右へ。
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突き当りを右へ。
越屋根の家々が立ち並びます。ここは本陣もあるメインストリート。水路は中央部より右側にありました。
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越屋根の家々が立ち並びます。ここは本陣もあるメインストリート。水路は中央部より右側にありました。
名主坂田家。
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名主坂田家。
本陣跡。ふるさと歴史館になっていて坂木宿と北国街道の展示がありました。100円。
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本陣跡。ふるさと歴史館になっていて坂木宿と北国街道の展示がありました。100円。
坂木宿本陣門。陣屋から移設してきたという話もありますが果たして。
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4/9 9:22
坂木宿本陣門。陣屋から移設してきたという話もありますが果たして。
この写真によると昭和初期までは江戸時代の雰囲気を保っていたように見えます。
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4/9 9:25
この写真によると昭和初期までは江戸時代の雰囲気を保っていたように見えます。
真っすぐに進むと駅ですが街道は左へ。
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4/9 9:42
真っすぐに進むと駅ですが街道は左へ。
坂木宿はまだまだ続きます。当初の宿場は横町と立町だけだったのですが参勤交代などで通行が多くなっていくと新たに新町と大門町を宿場として追加されていきます。
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4/9 9:43
坂木宿はまだまだ続きます。当初の宿場は横町と立町だけだったのですが参勤交代などで通行が多くなっていくと新たに新町と大門町を宿場として追加されていきます。
右へ。
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右へ。
村上義清の供養塔。
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4/9 10:12
村上義清の供養塔。
のどかな一本道が続きます。
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4/9 10:16
のどかな一本道が続きます。
国道と交差します。
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4/9 10:22
国道と交差します。
国道の右手に旧道が残ります。
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4/9 10:25
国道の右手に旧道が残ります。
善光寺常夜灯を見て国道に合流。
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4/9 10:30
善光寺常夜灯を見て国道に合流。
中之条。かつて陣屋がありました。元々は坂木宿にあったのですが大火で移ってきています。
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中之条。かつて陣屋がありました。元々は坂木宿にあったのですが大火で移ってきています。
振り返って。横吹八丁と坂木を見渡せました。
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振り返って。横吹八丁と坂木を見渡せました。
左へ。
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4/9 10:41
左へ。
若干のアップダウンがある道筋。
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4/9 10:47
若干のアップダウンがある道筋。
「玄古たばこ」の碑。坂木の特産品で江戸時代からタバコを栽培していました。
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4/9 10:49
「玄古たばこ」の碑。坂木の特産品で江戸時代からタバコを栽培していました。
青空に桜が映えます。
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4/9 10:58
青空に桜が映えます。
郵便局の先で国道に合流します。
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4/9 11:05
郵便局の先で国道に合流します。
鼠宿入り口。この付近に桝形がありました。
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4/9 11:10
鼠宿入り口。この付近に桝形がありました。
鼠宿の名前のいわれは幾つか説がありますが関所のような場所でもあったので寝ずに番をする(寝不見)からみたいです。
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4/9 11:22
鼠宿の名前のいわれは幾つか説がありますが関所のような場所でもあったので寝ずに番をする(寝不見)からみたいです。
明治天皇小休止跡。鼠宿は松代藩が設けた間の宿で本陣や旅籠などはなく茶屋があった程度でしたが難所「六寸街道の切通し」を控えてることもあって実際には泊まる人もいて坂木宿から苦情が常々あったといいます。
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4/9 11:23
明治天皇小休止跡。鼠宿は松代藩が設けた間の宿で本陣や旅籠などはなく茶屋があった程度でしたが難所「六寸街道の切通し」を控えてることもあって実際には泊まる人もいて坂木宿から苦情が常々あったといいます。
この左手に神社があって旧道は神社の東側を通って「六寸街道の切通し」の上りに入っていたように思います。
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4/9 11:26
この左手に神社があって旧道は神社の東側を通って「六寸街道の切通し」の上りに入っていたように思います。
整備された国道横の歩道は明治の地図で確認すると旧信越本線跡と合致します。せっかく江戸時代風に整備されていますが勘違いする人が出てきてしまうので注意書き程度は欲しいところです。
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4/9 11:28
整備された国道横の歩道は明治の地図で確認すると旧信越本線跡と合致します。せっかく江戸時代風に整備されていますが勘違いする人が出てきてしまうので注意書き程度は欲しいところです。
とりあえず明治時代に出来た国道横を進みます。
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4/9 11:31
とりあえず明治時代に出来た国道横を進みます。
上を見上げると切通しが見えます。凄い崖です。
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4/9 11:34
上を見上げると切通しが見えます。凄い崖です。
かつては崖下まで千曲川の流れがあったそうです。明治の地図では現在の国道の場所が旧信越本線跡で左側の草道が明治の旧道跡のようです。「六寸街道の切通し」へは奥に見える橋を渡ります。
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4/9 11:34
かつては崖下まで千曲川の流れがあったそうです。明治の地図では現在の国道の場所が旧信越本線跡で左側の草道が明治の旧道跡のようです。「六寸街道の切通し」へは奥に見える橋を渡ります。
橋を渡った先にある上り口。左へと上っていきます。
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4/9 11:35
橋を渡った先にある上り口。左へと上っていきます。
六寸街道と言われるように道幅が本当に狭く危険です。殿様も籠から降りて歩いたのも納得がいきます。
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4/9 11:36
六寸街道と言われるように道幅が本当に狭く危険です。殿様も籠から降りて歩いたのも納得がいきます。
江戸時代のままの切通しです。
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4/9 11:41
江戸時代のままの切通しです。
切通しには機器が設置しているのでむやみに触ると危険です。
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4/9 11:40
切通しには機器が設置しているのでむやみに触ると危険です。
切通しから上田方向。良い眺め!
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4/9 11:40
切通しから上田方向。良い眺め!
千曲川と岩鼻(半過岩鼻)が見えます。
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4/9 11:46
千曲川と岩鼻(半過岩鼻)が見えます。
鼠宿方向にも道が続いてるように見えますが時間の関係で引き返しました。戻ります。
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4/9 11:41
鼠宿方向にも道が続いてるように見えますが時間の関係で引き返しました。戻ります。
切通しへの道筋はこういう場所もあります。滑落の危険があるので設置してあるロープをしっかり握りましょう。
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4/9 11:47
切通しへの道筋はこういう場所もあります。滑落の危険があるので設置してあるロープをしっかり握りましょう。
地平に下りてさっき渡った橋を渡らずに崖横の旧道を進みます。
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4/9 11:50
地平に下りてさっき渡った橋を渡らずに崖横の旧道を進みます。
やがて民家が見えてくると藪道は終わりです。
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4/9 11:52
やがて民家が見えてくると藪道は終わりです。
振り返るとこんな感じ。
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4/9 11:55
振り返るとこんな感じ。
下塩尻。良質な水が出るので酒造さんがあります。
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4/9 12:02
下塩尻。良質な水が出るので酒造さんがあります。
国道に合流します。
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4/9 12:06
国道に合流します。
この左の膨らみは旧道の痕跡でしょう。
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4/9 12:07
この左の膨らみは旧道の痕跡でしょう。
左斜め方向の狭い道へ。元々の道幅は倍ぐらいあったようですが半分は民間に払い下げられてしまっています。
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4/9 12:08
左斜め方向の狭い道へ。元々の道幅は倍ぐらいあったようですが半分は民間に払い下げられてしまっています。
上塩尻は風情溢れる町並みです。塩尻の名前は高田塩と倉賀野塩の終着地だったことから。
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4/9 12:22
上塩尻は風情溢れる町並みです。塩尻の名前は高田塩と倉賀野塩の終着地だったことから。
北陸新幹線が見えてきました。
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4/9 12:24
北陸新幹線が見えてきました。
街道は国道バイパスで分断されているので右にあるトンネルで向こう側へ。
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街道は国道バイパスで分断されているので右にあるトンネルで向こう側へ。
トンネルを潜った先に分断された旧道の一部が上に残ります。
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4/9 12:32
トンネルを潜った先に分断された旧道の一部が上に残ります。
その旧道がこちら。
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その旧道がこちら。
右、北国街道。左、さくば道。さくば(柵場)道とは農道の意味。佐久のことと思ったのですが違うようです。
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4/9 12:33
右、北国街道。左、さくば道。さくば(柵場)道とは農道の意味。佐久のことと思ったのですが違うようです。
先は新道建設時に削られて通り抜けることが出来ません。元に戻ります。
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4/9 12:33
先は新道建設時に削られて通り抜けることが出来ません。元に戻ります。
左へ。
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4/9 12:42
左へ。
この付近は上田城の防衛を効果的にするために作られた町並みといいます。
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4/9 12:48
この付近は上田城の防衛を効果的にするために作られた町並みといいます。
左手に古杉の切り株を見て国道に合流します。
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4/9 12:52
左手に古杉の切り株を見て国道に合流します。
ここを右へ。
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4/9 12:57
ここを右へ。
この辺りから六文銭の案内標識が出てきます。
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4/9 13:00
この辺りから六文銭の案内標識が出てきます。
このような町のいわれの看板も。
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4/9 13:00
このような町のいわれの看板も。
左へ。そしてすぐに右の橋を渡ります。
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4/9 13:01
左へ。そしてすぐに右の橋を渡ります。
善光寺道標。
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4/9 13:02
善光寺道標。
上田城の外堀の役目もあった川だけに石積みが立派です。
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4/9 13:02
上田城の外堀の役目もあった川だけに石積みが立派です。
上田城下の町並み。宿場機能はまだまだ先です。
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4/9 13:11
上田城下の町並み。宿場機能はまだまだ先です。
ここで右へ、
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4/9 13:30
ここで右へ、
保命水。明治になってから元々の湧き出ていた場所から引っ張ってきています。
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保命水。明治になってから元々の湧き出ていた場所から引っ張ってきています。
柳町。観光客が多くこの通りだけ奈良井宿のような雰囲気があります。
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4/9 13:38
柳町。観光客が多くこの通りだけ奈良井宿のような雰囲気があります。
古い家も残る良い通りです。夜には行灯でのライトアップがあります。
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4/9 13:38
古い家も残る良い通りです。夜には行灯でのライトアップがあります。
左へ。
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左へ。
右へ。
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右へ。
原町。郵便局付近では川が暗渠化されています。
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原町。郵便局付近では川が暗渠化されています。
ここを左に曲がると海野町。右は上田城大手門。真っすぐは上田駅。
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ここを左に曲がると海野町。右は上田城大手門。真っすぐは上田駅。
上田宿本陣跡。海野町は真田昌幸が自分らが海野氏の後継者である事を示すために海野宿一帯の住民や寺院を上田城下に招いて住まわせたことからきています。元々の海野は本海野と言います。
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4/9 13:58
上田宿本陣跡。海野町は真田昌幸が自分らが海野氏の後継者である事を示すために海野宿一帯の住民や寺院を上田城下に招いて住まわせたことからきています。元々の海野は本海野と言います。
ここを右へ。
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4/9 14:04
ここを右へ。
左へ。
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4/9 14:09
左へ。
車も観光客も少ない普通の町並みになってきました。
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車も観光客も少ない普通の町並みになってきました。
桜が満開の佐久間象山勉学の地。
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4/9 14:14
桜が満開の佐久間象山勉学の地。
科野大宮社。信濃国総社と推定されています。
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科野大宮社。信濃国総社と推定されています。
科野大宮社の先は桝形のようになっています。
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科野大宮社の先は桝形のようになっています。
突き当りを右へ。
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突き当りを右へ。
すぐに左に曲がります。この付近に信州大学繊維学部があります。
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4/9 14:28
すぐに左に曲がります。この付近に信州大学繊維学部があります。
なかなか立派な家。
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4/9 14:31
なかなか立派な家。
国道と交差します。
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国道と交差します。
上田付近の街道は河岸段丘上にあって右崖下に千曲川が流れています。
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4/9 14:43
上田付近の街道は河岸段丘上にあって右崖下に千曲川が流れています。
国分寺への旧道標。
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国分寺への旧道標。
右下に旧道が残っています。
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4/9 14:46
右下に旧道が残っています。
線路で分断してしまっているので向こう側へ橋で迂回します。
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4/9 14:46
線路で分断してしまっているので向こう側へ橋で迂回します。
浅間の山々が見えてきました。
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4/9 14:51
浅間の山々が見えてきました。
歩道橋の右手に旧道の痕跡。
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4/9 14:53
歩道橋の右手に旧道の痕跡。
旧道は新幹線によって分断されています。火の見櫓の場所が旧道の復活場所です。右に進んで迂回します。
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4/9 14:56
旧道は新幹線によって分断されています。火の見櫓の場所が旧道の復活場所です。右に進んで迂回します。
新幹線の高架をくぐります。
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4/9 14:58
新幹線の高架をくぐります。
火の見櫓の場所。ここから復活です。
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4/9 14:59
火の見櫓の場所。ここから復活です。
この立派な門は上田宿の本陣にあったものを移設されてきたものらしいです。
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4/9 15:02
この立派な門は上田宿の本陣にあったものを移設されてきたものらしいです。
川沿いの道と合流。
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4/9 15:11
川沿いの道と合流。
参考書では右ですが左のほうが旧道っぽいです。今回は両方歩きましたが右は線形が良すぎるように思います。
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4/9 15:15
参考書では右ですが左のほうが旧道っぽいです。今回は両方歩きましたが右は線形が良すぎるように思います。
左の旧道と思われる道筋。アスファルトの下に石が眠っています。この先は少し狭くなって神川の手前で右ルートと合流します。
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4/9 15:25
左の旧道と思われる道筋。アスファルトの下に石が眠っています。この先は少し狭くなって神川の手前で右ルートと合流します。
神川。第一次上田合戦(神川合戦)の地。左側に真田軍、右側に徳川軍が対峙していました。
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4/9 15:29
神川。第一次上田合戦(神川合戦)の地。左側に真田軍、右側に徳川軍が対峙していました。
橋を渡った場所。参考書ではそのまま真っすぐですが現地では右へと案内されています。
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4/9 15:35
橋を渡った場所。参考書ではそのまま真っすぐですが現地では右へと案内されています。
右ルートは草道になっています。旧道に相違ないと思います。
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4/9 15:34
右ルートは草道になっています。旧道に相違ないと思います。
車道に合流します。
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4/9 15:38
車道に合流します。
太鼓岩。増水時に水が当たって太鼓のように音がなったことから。伊勢湾台風まで吊り橋で渡ることが出来ましたが被害が拡大しないように台風前に撤去されてしまい塔だけが残ります。
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4/9 15:42
太鼓岩。増水時に水が当たって太鼓のように音がなったことから。伊勢湾台風まで吊り橋で渡ることが出来ましたが被害が拡大しないように台風前に撤去されてしまい塔だけが残ります。
岩下では明治天皇が小休止されています。
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4/9 15:49
岩下では明治天皇が小休止されています。
右へ。
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右へ。
突き当りを右へ。
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突き当りを右へ。
大屋駅前に出ます。
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4/9 16:03
大屋駅前に出ます。
千曲川の流れ。
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4/9 16:09
千曲川の流れ。
川沿いの道から分岐します。左へ。
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4/9 16:13
川沿いの道から分岐します。左へ。
まだ海野宿ではないですが宿場のように真ん中に水路が流れています。
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まだ海野宿ではないですが宿場のように真ん中に水路が流れています。
この付近は西海野。海野新田です。
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4/9 16:22
この付近は西海野。海野新田です。
桝形の痕跡?
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4/9 16:24
桝形の痕跡?
こちらが古地図にある桝形の痕跡。随分と小さいものです。
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4/9 16:28
こちらが古地図にある桝形の痕跡。随分と小さいものです。
海野宿。本海野です。
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4/9 16:31
海野宿。本海野です。
大きなのぼりが立っています。
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4/9 16:32
大きなのぼりが立っています。
雰囲気抜群ですね。夕方なので人はほとんどいませんでした。もっともそれほど観光地化されていないので町並みの素晴らしい割には人は少ないように思います。
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4/9 16:36
雰囲気抜群ですね。夕方なので人はほとんどいませんでした。もっともそれほど観光地化されていないので町並みの素晴らしい割には人は少ないように思います。
宿場に流れる水路。昔のままです。
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4/9 16:38
宿場に流れる水路。昔のままです。
江戸時代は花見というと梅、立ち木は柳が多かったので立ち木に関しても昔と同じです。これがソメイヨシノだったりするとちょっと萎えますね。
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4/9 16:40
江戸時代は花見というと梅、立ち木は柳が多かったので立ち木に関しても昔と同じです。これがソメイヨシノだったりするとちょっと萎えますね。
うだつの立派な家々。海野宿のハイライト的な場所。隣接する田中宿が寛保2年の大洪水によって被害を受けて本陣が移されてからは伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と大変な賑わいを呈していました。
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うだつの立派な家々。海野宿のハイライト的な場所。隣接する田中宿が寛保2年の大洪水によって被害を受けて本陣が移されてからは伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と大変な賑わいを呈していました。
明治に入り宿場機能が失われてからは養蚕を営むようになっていっています。
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4/9 16:55
明治に入り宿場機能が失われてからは養蚕を営むようになっていっています。
宿場の東で左へ。
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4/9 16:56
宿場の東で左へ。
白鳥神社。
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4/9 16:59
白鳥神社。
旧道を進みます。右下の遊歩道は旧信越本線跡です。
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4/9 17:09
旧道を進みます。右下の遊歩道は旧信越本線跡です。
田中宿。桝形になっていましたが今はわかりにくくなっています。
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4/9 17:26
田中宿。桝形になっていましたが今はわかりにくくなっています。
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