01自然環境体験公園駐車場
自然環境体験公園は、児島湖流域下水道浄化センターで処理した下水処理水を再利用した修景施設です。入場(利用)は9時から17時までとなっています。しばらく舗装道路を歩きます。
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01自然環境体験公園駐車場
自然環境体験公園は、児島湖流域下水道浄化センターで処理した下水処理水を再利用した修景施設です。入場(利用)は9時から17時までとなっています。しばらく舗装道路を歩きます。
02花時計
いつ訪れても何かの花が咲いているのでしょう。葉をよく見ていなかったので確かではありませんが、ポーチュラカだったように思います。
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02花時計
いつ訪れても何かの花が咲いているのでしょう。葉をよく見ていなかったので確かではありませんが、ポーチュラカだったように思います。
03公園内の人工滝
暑い日は癒される景観と音です。
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03公園内の人工滝
暑い日は癒される景観と音です。
04八重咲きのムクゲ
奈良時代から栽培の記録が残る、歴史ある花です。秋の七草の1つであるアサガオは、このムクゲのことだとする説もあります。7〜10月に淡いピンクや白い花びらの大輪を咲かせます。ここは八重咲きのピンクの花でした。雨に濡れてしっとりしています。
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04八重咲きのムクゲ
奈良時代から栽培の記録が残る、歴史ある花です。秋の七草の1つであるアサガオは、このムクゲのことだとする説もあります。7〜10月に淡いピンクや白い花びらの大輪を咲かせます。ここは八重咲きのピンクの花でした。雨に濡れてしっとりしています。
05カルガモ&コガモ
木製のデッキの上を歩き、野鳥観察小屋からこっそり動画も撮りました。ヨシ原の近くにはカモの群れが常駐しています。ヨシ原には多くの有機物が集まり、分解が行われる肥沃な場で、水の増減によって冠水と干出を繰り返す点から、カモの餌が豊富です。一羽だけ見える小さいのがコガモです。繁殖期にはまだ少し早いので、雌雄ともに同じような色合いです。
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05カルガモ&コガモ
木製のデッキの上を歩き、野鳥観察小屋からこっそり動画も撮りました。ヨシ原の近くにはカモの群れが常駐しています。ヨシ原には多くの有機物が集まり、分解が行われる肥沃な場で、水の増減によって冠水と干出を繰り返す点から、カモの餌が豊富です。一羽だけ見える小さいのがコガモです。繁殖期にはまだ少し早いので、雌雄ともに同じような色合いです。
06コガモ&オオバン
この日はカルガモ、コガモ、オオバンがほとんどでした。4年前のちょうど今頃にはカイツブリの親子がいましたが、今回は幼鳥は見かけませんでした。観察小屋を出るとまた舗装道路です。
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06コガモ&オオバン
この日はカルガモ、コガモ、オオバンがほとんどでした。4年前のちょうど今頃にはカイツブリの親子がいましたが、今回は幼鳥は見かけませんでした。観察小屋を出るとまた舗装道路です。
07八重咲きのムクゲ紫花
花は短命で朝咲いたらその日の夕方にはしぼんでしまう一日花ですが、夏から秋に絶え間なく新しい花を次々と咲かせます。ここは紫花が咲いていました。
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07八重咲きのムクゲ紫花
花は短命で朝咲いたらその日の夕方にはしぼんでしまう一日花ですが、夏から秋に絶え間なく新しい花を次々と咲かせます。ここは紫花が咲いていました。
08八重咲きのムクゲ白花
和歌の世界では、秋の季語とされ、松尾芭蕉や若山牧水など、多くの歌人が詩の題材に使ってきました。ここでは白花が咲いていました。とても美しいです。
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08八重咲きのムクゲ白花
和歌の世界では、秋の季語とされ、松尾芭蕉や若山牧水など、多くの歌人が詩の題材に使ってきました。ここでは白花が咲いていました。とても美しいです。
09オオバン
オオバンだけが単独行動が多いようでした。元々のんきなので、3mも離れているとすっかり安心して羽繕いをしていました。しっかり動画に撮らせてもらいました。
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09オオバン
オオバンだけが単独行動が多いようでした。元々のんきなので、3mも離れているとすっかり安心して羽繕いをしていました。しっかり動画に撮らせてもらいました。
10ツバキの実
口がパックリと開き、黒い種が顔を出したら収穫のサインです。ツバキ油のもとになります。
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10ツバキの実
口がパックリと開き、黒い種が顔を出したら収穫のサインです。ツバキ油のもとになります。
11サルスベリ
ミソハギ科の落葉樹で、幹は猿も滑りそうなほどすべすべしています。丸い実ができていましたが、まだ花もたくさん咲いていました。
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11サルスベリ
ミソハギ科の落葉樹で、幹は猿も滑りそうなほどすべすべしています。丸い実ができていましたが、まだ花もたくさん咲いていました。
12愛宕柿?
名札にはカキノキとだけ書いてありました。先端が尖っているので、愛宕柿かもしれません。
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12愛宕柿?
名札にはカキノキとだけ書いてありました。先端が尖っているので、愛宕柿かもしれません。
13リンゴ?
水路の対岸だったので名札が確認できませんでしたが、葉や実の形などから判断するとリンゴのようでした。ここでかなり浅い水路を潜水したまま泳いでくる生き物を見ました。大きな魚?、カエル?、いや、カイツブリだ!浮上してきたとたん、右脇に連れがいるのに気付いたカイツブリは、飛び立とうと慌てて助走しはじめましたが、今度は左に私が・・・結局、再び潜水し、そのまま泳ぎ去りました。
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13リンゴ?
水路の対岸だったので名札が確認できませんでしたが、葉や実の形などから判断するとリンゴのようでした。ここでかなり浅い水路を潜水したまま泳いでくる生き物を見ました。大きな魚?、カエル?、いや、カイツブリだ!浮上してきたとたん、右脇に連れがいるのに気付いたカイツブリは、飛び立とうと慌てて助走しはじめましたが、今度は左に私が・・・結局、再び潜水し、そのまま泳ぎ去りました。
14せせらぎ水路
浄化センターできれいにした下水の処理水がせせらぎを流れています。周辺にはトンボがたくさんいます。止まってくれなかったのではっきりとはわかりませんが、シオカラトンボのオスのようでした。この辺りからはしばらく土の道でした。
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14せせらぎ水路
浄化センターできれいにした下水の処理水がせせらぎを流れています。周辺にはトンボがたくさんいます。止まってくれなかったのではっきりとはわかりませんが、シオカラトンボのオスのようでした。この辺りからはしばらく土の道でした。
15ミズスギナ&人工滝
あずまやで休憩し、出てくるとこれらが目につきました。水中にはミズスギナが生えています。
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15ミズスギナ&人工滝
あずまやで休憩し、出てくるとこれらが目につきました。水中にはミズスギナが生えています。
16ミズスギナズーム
ミソハギ科の水草で、アクアリウムによく用いられます。細い葉が輪生しているので、上からのぞくと丸っこく見えます。香川県など一部の地方自治体では絶滅しているそうです。
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16ミズスギナズーム
ミソハギ科の水草で、アクアリウムによく用いられます。細い葉が輪生しているので、上からのぞくと丸っこく見えます。香川県など一部の地方自治体では絶滅しているそうです。
17アンパンマン芝生
展望台の前の芝生にアンパンマンが描かれていました。駐車場から外に出て舗装道路を歩きます。
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17アンパンマン芝生
展望台の前の芝生にアンパンマンが描かれていました。駐車場から外に出て舗装道路を歩きます。
18ヤブラン
児島湖流域下水道浄化センター前にたくさん植えられています。ほふくして伸びないので、あちこちに広がることなく、せまい敷地内で紫色の穂状の花を綺麗に咲かせていました。
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18ヤブラン
児島湖流域下水道浄化センター前にたくさん植えられています。ほふくして伸びないので、あちこちに広がることなく、せまい敷地内で紫色の穂状の花を綺麗に咲かせていました。
19石造りの二本橋
作成年は不明ですが、『明治8年頃の八浜の町並み』の地図には記載されていないそうなので、それ以降でしょう。樋門として造られたものが、結果として石橋にもなったのでしょう。岡山の伝統的スタイルではなくて、単に樋板をはめ込む形式です。この近くに“鳥人”幸吉の生誕の地があるらしいのですが、見落としてしまいました。
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19石造りの二本橋
作成年は不明ですが、『明治8年頃の八浜の町並み』の地図には記載されていないそうなので、それ以降でしょう。樋門として造られたものが、結果として石橋にもなったのでしょう。岡山の伝統的スタイルではなくて、単に樋板をはめ込む形式です。この近くに“鳥人”幸吉の生誕の地があるらしいのですが、見落としてしまいました。
20鳥人櫻屋(浮田)幸吉
生誕の碑
天明6年(1786年)6月の夜8時頃、28歳の幸吉は鳥の翼をヒントに作った翼をつけ、岡山市の中央を流れる旭川の京橋から見事に滑空しました。飛距離は約50mほどで、ライト兄弟が初めて飛行した年よりも118年も前のことでした。
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20鳥人櫻屋(浮田)幸吉
生誕の碑
天明6年(1786年)6月の夜8時頃、28歳の幸吉は鳥の翼をヒントに作った翼をつけ、岡山市の中央を流れる旭川の京橋から見事に滑空しました。飛距離は約50mほどで、ライト兄弟が初めて飛行した年よりも118年も前のことでした。
21屋根で生育するツメレンゲ
慶応元年(1865年)創業の藤原酒造の屋根にツメレンゲが生育していました。屋根の一部が所々欠け落ちており、歴史を感じます。ツメレンゲは岩の上などに生育する多肉植物ですが、このように屋根の上にもよく生えます。倉敷市の美観地区では、11月になると花を目当てに観光客が訪れます。
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21屋根で生育するツメレンゲ
慶応元年(1865年)創業の藤原酒造の屋根にツメレンゲが生育していました。屋根の一部が所々欠け落ちており、歴史を感じます。ツメレンゲは岩の上などに生育する多肉植物ですが、このように屋根の上にもよく生えます。倉敷市の美観地区では、11月になると花を目当てに観光客が訪れます。
22藤原元太郎旧宅
「八浜町並み保存拠点施設」と表記されていました。この建物は旧八浜町長や衆議院議員を務めた藤原元太郎の旧宅です。 貝の養殖で財を成した人物で、東児銀行(後に第一合同銀行に合併)の頭取でもありました。 月曜をのぞく9〜16時は無料で内部見学ができます。
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22藤原元太郎旧宅
「八浜町並み保存拠点施設」と表記されていました。この建物は旧八浜町長や衆議院議員を務めた藤原元太郎の旧宅です。 貝の養殖で財を成した人物で、東児銀行(後に第一合同銀行に合併)の頭取でもありました。 月曜をのぞく9〜16時は無料で内部見学ができます。
23大正初期までの生活の間
八浜町並み保存拠点施設<写真22>の中を案内していただきました。大正時代初期頃までは生活の中心が一階でした。生活の間が全部で6部屋ありました。ひな人形、タイプライター、テレビ、電話室など生活レベルを示すものがいくつかありました。建物の中ではGPSのログが乱れ、縦横に伸びています。
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23大正初期までの生活の間
八浜町並み保存拠点施設<写真22>の中を案内していただきました。大正時代初期頃までは生活の中心が一階でした。生活の間が全部で6部屋ありました。ひな人形、タイプライター、テレビ、電話室など生活レベルを示すものがいくつかありました。建物の中ではGPSのログが乱れ、縦横に伸びています。
24古備前の甕&ウナギ篭
八浜町並み保存拠点施設<写真22>の玄関です。安土桃山時代作の古備前の甕の隣にウナギを入れておくかごがありました。漁業が盛んな所で、サルボウガイ(地元ではモガイ)などをとって船で岡山市の京橋まで運んでいたそうです。町並み保存地区を抜け、両児(ふたご)山に向かいます。
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24古備前の甕&ウナギ篭
八浜町並み保存拠点施設<写真22>の玄関です。安土桃山時代作の古備前の甕の隣にウナギを入れておくかごがありました。漁業が盛んな所で、サルボウガイ(地元ではモガイ)などをとって船で岡山市の京橋まで運んでいたそうです。町並み保存地区を抜け、両児(ふたご)山に向かいます。
25天神宮
石段の途中にありました。八浜八幡宮の摂末社でしょうか。詳細は不明です。この辺りから蚊に襲われました。
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25天神宮
石段の途中にありました。八浜八幡宮の摂末社でしょうか。詳細は不明です。この辺りから蚊に襲われました。
26石鎚神社
八浜八幡宮の摂末社です。詳細は不明です。愛媛県の石鎚山をご神体とする石鎚神社と関係があるのでしょう。
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26石鎚神社
八浜八幡宮の摂末社です。詳細は不明です。愛媛県の石鎚山をご神体とする石鎚神社と関係があるのでしょう。
27八浜八幡宮
両児(ふたご)山の山頂にあり、池田藩主が代々にわたって崇敬し、造営、修繕、社領、代参、寄進等を行いました。随神門を入ると正面に唐破風(曲線状の屋根の装飾)付きの大きな拝殿がありました。
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27八浜八幡宮
両児(ふたご)山の山頂にあり、池田藩主が代々にわたって崇敬し、造営、修繕、社領、代参、寄進等を行いました。随神門を入ると正面に唐破風(曲線状の屋根の装飾)付きの大きな拝殿がありました。
28快神社と八浜八幡宮の本殿
左の快(こころよし)神社の本殿のねずみと大根の彫刻は市の文化財に指定されていますが、見落としてしまいました。右奥には三間社流造りの八浜八幡宮の本殿があります。
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28快神社と八浜八幡宮の本殿
左の快(こころよし)神社の本殿のねずみと大根の彫刻は市の文化財に指定されていますが、見落としてしまいました。右奥には三間社流造りの八浜八幡宮の本殿があります。
29八浜&児島湖景観
八浜八幡宮より児島湖を望むことができます。
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29八浜&児島湖景観
八浜八幡宮より児島湖を望むことができます。
30御崎神社
八浜八幡宮の摂末社として祀られています。漁業の神様でもあり、山頂より児島湾を見守っています。
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30御崎神社
八浜八幡宮の摂末社として祀られています。漁業の神様でもあり、山頂より児島湾を見守っています。
31快(こころよし)神社
八浜八幡宮の摂末社として祀られています。子授けの神様として有名で、池田藩主から崇敬され、池田綱政公自筆の絵馬も奉納されています。
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31快(こころよし)神社
八浜八幡宮の摂末社として祀られています。子授けの神様として有名で、池田藩主から崇敬され、池田綱政公自筆の絵馬も奉納されています。
32八浜八幡宮二の鳥居&狛犬
参道入口からは石段の参道が続き、二の鳥居が出てきます。そこには明治32年生まれの備前焼宮獅子がいました。我々はここを下りましたが、ここから上ると、左に快神社<写真31>、中央に八幡宮<写真27>、右に御崎神社<写真30>が並んで見えるようになっています。
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32八浜八幡宮二の鳥居&狛犬
参道入口からは石段の参道が続き、二の鳥居が出てきます。そこには明治32年生まれの備前焼宮獅子がいました。我々はここを下りましたが、ここから上ると、左に快神社<写真31>、中央に八幡宮<写真27>、右に御崎神社<写真30>が並んで見えるようになっています。
33両児山三角点
標高36.3mの三角点です。両児(ふたご)山はその名の通り、ラクダのこぶのように双児峰(それぞれ標高50m超)となっており、この北側に八浜八幡宮<写真27>、そして南側に八濱城址<写真34>があります。
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33両児山三角点
標高36.3mの三角点です。両児(ふたご)山はその名の通り、ラクダのこぶのように双児峰(それぞれ標高50m超)となっており、この北側に八浜八幡宮<写真27>、そして南側に八濱城址<写真34>があります。
34八濱城址
天正9年(1581年)宇喜多直家が児島支配のため築城し、猶子(養子)の宇喜多(与太郎)基家が城主となりました。天正10年(1582年)柳畑の浜辺で合戦となり、基家はこの戦いで負傷しました。
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34八濱城址
天正9年(1581年)宇喜多直家が児島支配のため築城し、猶子(養子)の宇喜多(与太郎)基家が城主となりました。天正10年(1582年)柳畑の浜辺で合戦となり、基家はこの戦いで負傷しました。
35八濱城空堀跡等
城址の周囲は、西尾根を堀切で遮断し、南から東側側面にかけて横堀を巡らせ、部分的に竪堀に変化させてかぎ状の屈折を設けるなど、急造の陣城の遺構がそのまま残っています。
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35八濱城空堀跡等
城址の周囲は、西尾根を堀切で遮断し、南から東側側面にかけて横堀を巡らせ、部分的に竪堀に変化させてかぎ状の屈折を設けるなど、急造の陣城の遺構がそのまま残っています。
36宗蔵寺如意輪観音堂
宗蔵寺(しゅうぞうじ)の如意輪観音は頭に宝冠をいただき、ふところに子供を抱いた観音です。この観音は鎌倉時代に八浜の海に投げこまれましたが、海中で光を放ったので、漁夫が恐る恐るこれを拾いあげ、小さなお堂を建てて祀ったそうです。
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36宗蔵寺如意輪観音堂
宗蔵寺(しゅうぞうじ)の如意輪観音は頭に宝冠をいただき、ふところに子供を抱いた観音です。この観音は鎌倉時代に八浜の海に投げこまれましたが、海中で光を放ったので、漁夫が恐る恐るこれを拾いあげ、小さなお堂を建てて祀ったそうです。
37宗蔵寺本堂
児島八十八ケ所の七十四番札所です。天正5年(1577年)に建立し、臨済宗妙心寺派禅宗の寺で実相山宗蔵寺と名乗っていました。屋根の棟瓦は飛龍がデザインされたものです。舗装道路まで下りると、蚊もいなくなりほっとしました。ゴールまで舗装道路が続きます。
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37宗蔵寺本堂
児島八十八ケ所の七十四番札所です。天正5年(1577年)に建立し、臨済宗妙心寺派禅宗の寺で実相山宗蔵寺と名乗っていました。屋根の棟瓦は飛龍がデザインされたものです。舗装道路まで下りると、蚊もいなくなりほっとしました。ゴールまで舗装道路が続きます。
38金剛寺
児島八十八ケ所の七十三番札所です。応永31年(1424年)に建立、正しくは両児山金剛寺不動院といい、客殿は児島湾の高島にあったものを移築したものです。山門は、玉野市内唯一の四脚門(四足門)です。
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38金剛寺
児島八十八ケ所の七十三番札所です。応永31年(1424年)に建立、正しくは両児山金剛寺不動院といい、客殿は児島湾の高島にあったものを移築したものです。山門は、玉野市内唯一の四脚門(四足門)です。
39六角井戸
金剛寺<写真38>と蓮光院<写真40>のすぐ近くにあります。この形は中国の様式でしょうか珍しい形です。現在は井戸としては使用されていないようで、アメンボが泳いでいました。
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39六角井戸
金剛寺<写真38>と蓮光院<写真40>のすぐ近くにあります。この形は中国の様式でしょうか珍しい形です。現在は井戸としては使用されていないようで、アメンボが泳いでいました。
40蓮光院
児島八十八ケ所の七十二番札所です。天明5年(1785)に建立、正しくは両児(ふたご)山法雲寺蓮光院といい、櫻屋幸吉<写真20>の檀家で位牌もここに納められています。
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40蓮光院
児島八十八ケ所の七十二番札所です。天明5年(1785)に建立、正しくは両児(ふたご)山法雲寺蓮光院といい、櫻屋幸吉<写真20>の檀家で位牌もここに納められています。
41蓮光院向かいの謎の建物
この建物は長い間使われていないようです。かつての八浜尋常高等小学校が宗蔵寺付近にあったということなので、その校舎かもしれません。
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41蓮光院向かいの謎の建物
この建物は長い間使われていないようです。かつての八浜尋常高等小学校が宗蔵寺付近にあったということなので、その校舎かもしれません。
42与太郎様
天正10年(1582)毛利氏と戦った宇喜田与太郎基家は、脚を負傷し、八浜で身を潜めていましたが、農民たちを尋問した毛利勢に見つかり捕らえられました。そのお詫びと供養のために建てられたお堂は、現在、足腰の神様を祀った与太郎神社となり、地元では与太郎様と呼ばれ親しまれています。隣には与太郎せんべいなどを売っている売店がありますが、この日は閉まっていました。
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42与太郎様
天正10年(1582)毛利氏と戦った宇喜田与太郎基家は、脚を負傷し、八浜で身を潜めていましたが、農民たちを尋問した毛利勢に見つかり捕らえられました。そのお詫びと供養のために建てられたお堂は、現在、足腰の神様を祀った与太郎神社となり、地元では与太郎様と呼ばれ親しまれています。隣には与太郎せんべいなどを売っている売店がありますが、この日は閉まっていました。
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