カナクソも強烈だが『穴毛谷』は「金糞山」の10倍は耳に残る。何と言ってもアナゲですよ、穴毛!  そもそもは、石氏が石氏と穴毛大滝を登る計画をされていた話を聞いて、かねてからその強烈に過ぎる名称の谷に入る機会を伺っていたこともあって同行を願い出たのが発端だった。あの滝を登攀する!  しかし、お二人の想定ラインが私の思っていた水際ラインにはなく、大滝側壁クラックラインだったことを図示されて以降、私の及ぶところではないとその登攀計画からは身を引いた経緯があった。    別の話として、この7月に常念岳から望んだ名峰鷲羽岳への登路を、あれやこれやと想像に遊ぶのがここ最近の趣味だった。  黒部川上ノ廊下遡行からの登頂が沢登り愛好家ならずとも常套、ヒネた私なら高瀬川湯俣川赤沢から名の由来となったというその池に上がって登頂するのが筋だろうか。  その際にハタと思いついたのが懸案だった穴毛谷を経由してのロングアタックだった。だがしかし、ロングに過ぎやしまいか。  台風22号来襲の気配有る先週土曜、山採りナメコをその足でお持ち下さった石氏が、計画を延期した件に加えて有給休暇を取得して平日水曜二人で実践に移るという。カレンダーが真っ赤っ赤に最近なったばかりの私がこれに乗らない手はない。この段では、お二人の登攀を観ながら火でも焚いて応援しよう、位の思いが正直なところだった。日を置いて考えると、ムクムクと湧き上がるものが、、、。ハンパはイカン。  あ、また風邪ひいてまった。あ、カメラ忘れた。  3時起床でマワシして、40分に石氏の迎えがあって関でもう一方の石氏と合流して新穂高温泉目指す。  せせらぎ街道で外気は3℃と表示がある。寝不足で後部座席でウトウトしていると、テヘランからカスピ海沿いの町を目指した夜行バスを思い出した。見えてきた飛騨の山々はやはり雪化粧している。11月の北アで沢登りとは酔狂なことかもしれない。この段で既に、両石氏は滝もしくは穴毛岩の登攀に掛かり、私は状況を見て穴毛谷を詰めて杓子平から笠新道を下る別行動を取ることは決まっていたが、さてどこまで行けるだろう。  720駐車場を発ち、左俣林道を上流へ向かい穴毛谷出合を過ぎて左俣谷に掛かる一つ目ではなく二つ目の橋を渡って穴毛谷へ降り立ったのが800、この道を辿ると堰堤越えは一つで済む。濡れ石表面が飛沫で凍っており、ツルッとするのがこんな季節外れの遡行を特徴づけている。予想の通り流木は少なく、登路左手穴毛谷右岸は実に荒々しい。四ノ沢出合からはピナクルが、も少し上がると左俣第一岩稜の末端も見えた。今年は不思議と登山大系Fの表紙写真掲載岩壁を見る機会に恵まれた。深沢左股F6クラック登攀の報告、待ってます。  四ノ沢を過ぎて、とよく記載有る谷名由来の噂の「穴毛岩」は五ノ沢出合手前という表現の方が適切に思う。登路右手に現れたポッカリ穴は、その名称に反して淫靡にして卑猥な感じはしない。いやしかし、よくもまぁこんな自然の造形が成されたものよと感心する。須田郡司氏はこれをご存知だろうか? 信仰の対象にはならなかったようなので埒外か。それにしても大地震で崩壊する前に是非。  両氏はこちらを登るといい、私はここから上流を目指す。じき立派な雪渓ブリッジが見えて、その奥に穴毛大滝が垂れるのが視認できた。雪渓に乗ると、その上の登高は踝までの雪踏みで、頭の中で季節感が混ざる。斜面トラバースも、ホールドは軍手雪ズボ雪面蹴り込みで、いよいよ手足がかじかんできた。大滝というソレは25m程であろうか。25では大滝の部類に入ろうはずもないけれど、周辺を取り巻くその環境がこれを大滝と言わしめているのだろう。振り返ると雪の付いたこの場違いな環境下に居る自分の不思議さを思う。両岸の水際登攀ラインを見定めてから(両岸共に可能性があるが、私なら右手のトラバースバンドからの直上ラインを採りたい。登らないけど。)、定石通りにザイテングラートからの捲きに掛かる。この時、引き返しの選択肢が大きく私の目の前に垂れていたものの、捲きの尾根に乗ってから判断しようと自分に言い聞かせて、いつもの倍手間のかかる登高を始めた。常識的、杓子定規な判断をすればまずは引き返しだろう。乗った尾根上からは六ノ沢はおろか次の左支流がそこに見えており、灌木トラバースから沢床に降り立つ捲きラインに自然身体が反応していた。続く小滝群が凍った飛沫でツルツルで、脇を捲こうにも今度は雪ズボラッセルとなる。季節は冬、装備は夏、私は阿呆。開けた所で地下足袋と木綿軍足を脱いで、素足を手で温める。予備で持ってきた乾いた木綿軍足に履き替えるが、もちろんすぐに濡れた。しかし鮭皮履きのアイヌ人に負けるわけにもゆかぬ。南面の谷であり、また無風なのが救いだ。加えて、雪面の日射の照り返しでサングラスが欲しいところに適度に雲が湧いて有り難い。工程が捗らないのは何も再度ひいた風邪のせいばかりでもなかろう。滝も果て、傾斜も緩んだと思ったらそこが杓子平で、笹這松バリズボの腿ラッセルが少々キツい。登山道目指して右寄りにラッセルを続けるとおや、トレースがある。足がジンジンするので笠ヶ岳はおろか抜戸岳を目指す気も怒らない、いや起こらない。24時間前の今頃、巨大ショッピングモールのフードコートでガーリックステーキランチを食べていたのが俄に信じ難い。早速下降に掛かろうと・2472尾根を越えるやバンと唐突に展望が広がった。峨々たる穂高連峰に、本年二度めの槍ヶ岳も挨拶呉れた。返す挨拶そこそこに、y=-@xの更なる新記録樹立を目論んで辿り着いた笠新道だったがどうやらその手の道ではなかったようで、九十九折のその道は積雪も手伝って下降が中々捗らない。途中、大荷物の若者とすれ違ったが、私のつい一時間前にトレースの主の先行者が居た模様だ。落葉広葉樹林帯に転じた下半でようよう雪も消え、足の痺れも収まった。お二人を待たせては悪いと林道では駆け足下山の1450着だったが、果たしてお二人は未着だった。書き置きをして、2000年末撮影行補助時に浸かった記憶有るロープウェイ乗り場の足湯で冷え冷えとした足のウォームアップならぬホットアップに努めた。この周辺の観光産業従事者は人擦れが過ぎたのかオジサンもオバサンも愛想も目付きもヨロシクナイ。  迎えたお二人だったが、石氏は下山途中の沢中でロープを落としてしまったとのこと。紺色ブラックダイヤモンド袋に入ったオレンジ色60mザイルとのことなので、拾った方は連絡願います。  石氏は杓子平のスキー地としての適性を私に尋ねることを忘れなかったが、それは質問する相手を間違っています。曖昧な返答しか出来ずスミマセン。想像だが、大滝を私が辿ったラインの尾根踏み替えでザイテングラートに入って捲いての、杓子平から下まで滑降した記録があるに違いない。  昇った月に追われるよう、帰途についた。  名称強烈谷での、強烈体験だった。  末筆となりますが、今回の単独行動を大らかに認めてくれた両石氏に感謝します。杓子遊戯、いや杓子定規なモノの考えからすれば別行動は常識外ともされ得るけれど、これまでの同行歴からご容赦頂きました。