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[遭難事例から学ぶ部屋] トピック
2012年09月06日 23:11
報道記事等リンク
e-hara1990 誤報も含めて、新聞社等で発信された遭難記事のURLありましたらお願いします。
けど、新聞社の記事って時間が経つとリンク切れになってしまうので、抜粋等コピペしていただけると助かります。

コメント
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4件中 1-4件を表示
2012年03月16日 11:33
1
Mt_theta 雪崩:天神尾根で 山岳ガイド死亡 /群馬
 14日午前11時10分ごろ、みなかみ町湯檜曽の谷川岳天神尾根の頂上付近で雪崩が発生。同町網子の山岳ガイド、高月泰治さん(37)が巻き込まれた。高月さんは県の防災ヘリで病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。死因は窒息死。

 沼田署によると、高月さんは36歳と37歳の女性2人と尾根付近をスキー中だった。発生時は、女性2人が尾根の上に残り、高月さんが雪崩の危険を判断するため、尾根の斜面を滑りながら雪の状態を確認していたという。

 雪崩は横幅約40メートル、長さ500メートル、深さ約60センチ。女性らが雪に埋もれた高月さんを発見して所属するツアー会社を通じ通報したという。【塩田彩】



http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120315ddlk10040184000c.html
2012年03月24日 12:05
2
--------- 長野県飯山市、鍋倉山にて雪洞くずれ、3人重傷
7人はインターネットのコミュニティーサイトを通じて知り合い・・・

これって当サイトのユーザー?ではないよね?


http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120319ddm041040142000c.html
2012年05月10日 12:20
3
(このコメントは削除されました)
2012年09月06日 23:18
4
e-hara1990 2010年3月1日(月)に、宮城山形県境にある船形山(1500m)で、70代と60代男女3人が遭難しました。3人は二晩雪洞で過ごし、3月4日に無事救助されました。以下は、朝日新聞による遭難発生から救助、記者会見までの記事です。文中、氏名などはカットしてあります。また各社で同様の記事を出しており、アーカイブに残っているかと思われますが、ほぼ同内容でした。
(かなり長文になります)

2010年03月03日

 山形県との境にある船形山(1500メートル)で起きた山岳遭難。1日朝に登山に出かけた仙台市などの男女3人のグループからは2日、無事を知らせる連絡が携帯電話などで寄せられたが、この日、居場所は特定できなかった。県警は捜索隊の人数を増員し、3日早朝から再捜索に乗り出す。家族は、3人が無事に救出されることを祈っている。
 遭難したのは仙台市泉区のNさん(70)とTさん(73)、多賀城市のSさん(63)の3人。
 大和署員ら12人からなる捜索隊は2日午前7時前、船形山旗坂キャンプ場の登山口から雪が積もる山に入り、そこから南西に約5キロ離れた蛇ケ岳を目指した。Nさんが2日朝、携帯電話でNさんの妻に連絡した際、「山頂から蛇ケ岳に下山する途中で迷った」と話していたためだ。
 だが蛇ケ岳付近で3人の居場所はつかめない。捜索隊は午後から、蛇ケ岳の北にある船形山の山頂方面と南の三峰山方面の二手に分かれた。

 3人からは携帯電話やメールで午後2時ごろまでに数回、「無事だ」との連絡があった。悪天候と日没が近いこともあり同3時半には下山しながら3人を探したが、手がかりを得られなかった。
 捜索に加わった県山岳遭難防止協議会大和支部山岳救助隊の小松淳・副隊長(49)は「ガスが多く、視界が悪い。今日はだいぶ通路を作ったので、明日は登りやすいだろう。3人は日帰りの予定で装備は不安だけれども、山に慣れている人たちなので大丈夫だと思う」と話した。
 3日早朝からの再捜索には自衛隊なども加わり、197人態勢という。捜索範囲も、船形山山頂までの別ルートや三峰山のさらに南へと広げる。県警と消防の防災ヘリ2機は空から調べる。

 3人の家族らは2日朝から大和署に詰めかけた。Sさんの夫(71)によると、3人は登山仲間という。Sさんの登山歴は7、8年で、仙台市の泉ケ岳や福島などにある山を登ることが多いという。
 Sさんからは1日午後5時40分ごろ、「私よ」と電話があったが、直後につながらなくなってしまったという。普段は登山前に天候を調べているといい、夫は「用心深いのに、なぜ今回は間違ってしまったのか」と戸惑った様子だった。
 捜索の一時打ち切りが決まった後、同署の担当者は「とにかく見つかってほしかった。電話が通じても十分に話せず、場所が特定できなかった。もう一晩だけ辛抱してもらいたい」と話した。

【2日の主な動き】
午前6時50分 大和署員や山岳救助隊員ら12人が捜索開始
    56分 Nさんから家族に「3人無事」と連絡
  10時7分 Tさんの携帯電話から110番通報。県警が「そこから動かないように」と伝える
  11時23分捜索隊が蛇ケ岳に到着
午後0時48分 Tさんから県警に「遭難しているTです……」と連絡あったが、すぐ途切れる
  2時2分  Nさんから携帯メールで夫に「本日も帰れません」
    40分 捜索隊が船形山山頂に到着
  3時半   捜索隊が蛇ケ岳から下山を始める
  6時13分 この日の捜索打ち切りを大和署が発表


2010年03月04日
 「道に迷った」との一報から43時間。山形県境の船形山で1日から遭難していた仙台市などの男女3人が3日、捜索隊により助け出された。雪洞で辛抱強く救助を待つなど、冬山経験が豊富なメンバーの判断が中高年登山者の生還につながった。一方、身近な山に潜む怖さも浮き彫りになった。
 ◇発見
 「大丈夫です」
 ヘリコプターで後白髪(うしろ・しら・ひげ)山に降り、捜索していた陸上自衛隊多賀城駐屯地のS3等陸曹(26)。雪洞の3人に声をかけると、うれしそうな声が返ってきた。時計は午後0時17分を指していた。
 隊員の1人が後白髪山から500メートルほど進んだ斜面で足跡を見つけたのは約30分前。ふぶいていた。

  降りて足跡を追うと青いシートが見えた。「いる!」。3曹が近づくと、木の根付近に掘った雪洞から出てくるSさん(63)の姿が。中をのぞくと、3人入るのがやっとの空間に、Nさん(70)とTさん(73)がひざを折って座っていた。
 3人は上空から見つけてもらおうと黄色いシートを近くに広げていた。S3曹がパエリヤやチョコレート、水を渡すと、3人は「本当にもらっていいんですか」と言って、あっという間に平らげた。遭難した原因は「視界が悪く、道に迷った」と話したという。
 4時間近くかけて下山する際も、3人はしっかりとした足取りで、数分の休憩を2、3回取っただけだという。S3曹は「絶対捜してやろうと思っていた。(見つけたときは)信じられないくらいうれしかった」。
◇待機の家族、安堵
 遭難した3人の家族らが待機していた大和署に「遭難者発見」の一報が入ったのは、午後0時18分。
 西条規夫副署長が家族が待つ3階の部屋に赴くと、いすに座っていた家族が立ち上がった。西条副署長が「自衛隊の無線で要救助者発見。自力歩行可能」と伝えると、「ありがとうございます」と言ったり、黙って頭を下げたり。一様に安堵(あん・ど)の表情に変わったという。
 約1時間後、署内で報道陣の取材に応じたTさんの長男(43)は深々と頭を下げてわびた後、県警や消防、自衛隊に感謝し、「今日見つからなかったら、最悪だった。よく無事で戻ってきた」と目を潤ませて話した。
 家族らはその後、3人が運ばれた仙台市宮城野区の仙台オープン病院に移動し、診察を受けた3人と対面した。
 Sさんの夫(71)は「助かってホッとした。これでゆっくり眠れます」と安心した様子。遭難を知ってから、好きな酒を断ち妻の帰りを待ったという。診察室で会ったSさんは「こんなに大騒ぎになっているとは思わなかった」と話し、駆けつけた兄弟らと無事を喜び合ったという。

2010年03月05日
 山形県との境にある船形山(1500メートル)近くで男女3人が遭難した事故。無事に下山して一夜明けた4日、仙台市泉区Nさん(70)、同区Tさん(73)の2人が搬送先の病院で会見に応じ、救助を待っていた時の様子などを語った。3人はいずれも回復に向かっているといい、同日午後に退院した。
「救助をしていただいたみなさまに、感謝を申し上げます」。会見はTさんの言葉とともに頭を下げて始まった。
 遭難時は、ガスが立ちこめて方向が定まらなくなり、「動かない方がいい」と判断したという。ところが持っているのは簡易テントだけ。そこでNさんの山菜採り用のナイフや、Tさんのカッターで雪洞を掘った。
 趣味の農園の話などをしながら励ましあい、体が冷えると、雪洞から出て足踏みをして温めた。日帰り予定だったため、食料は少なく、救助時は「チョコレートしかなかった」という。
 遭難2日目は、寒さをしのげる広場に移動し、初日より大きな雪洞を掘った。救助のヘリコプターが来たら気付くよう、小枝で「SOS」と並べたという。

 会見の主なやりとりは以下の通り。(敬称略)
 ――登山の目的は。
T 「毎年船形山に登って、それで冬山のシーズンが終わる。雪が少ないということで、例年より少し早くに登った」
 ――危機意識は。
T 「前日の日曜日、天候がいいという予報があり、登るつもりだったが、夕方は天候が悪いとなったため、急きょ月曜日に変更した。その判断の甘さがこういう結果になったと思う。それでも登った当日はガスで見えなくなるようなことはないという判断だった」
 ――野営時は。
T 「我々もビバーク(野営)は初めての経験。ナイフなどで雪洞を掘り、上にテントを張った。中はマイナスの温度。あまり寝ず、時々起きて雪の上で足踏みして体を温めて休む。それを繰り返して明るくなるのを待っていた。1日目は幸い、温度が下がらなかった。しかし2日目は下がって、一変した。2日目のビバークのほうがずっと大変だった」
N 「農園など自分の趣味をお互い話し合いながら、時間を過ごした。そういう話をしたほうが会話が弾むというか」
 ――つらかったことは。
T 「居る場所がどこなのか、ガスで2日間まったくわからなかった。どのように過ごしたらいいのか、追いつめられた」
N 「ビバークしているとき。寒さがつらかった。足が冷たい。上半身をあたため、足が冷たくなってきたら震えもでてきた」
 ――遭難中に助からないと思ったことは。
T 「2日目に死ぬという実感はなかった。もう1日くらいは生きていけるとは思っていた」
 「ある程度そういう意識はあった。自分の体力では1週間くらいはなんとかなるかなと思い、生き延びようと思った。問題なのは寒さだった」
 ――救助された状況は。
N 「笛の音がするなと思って外に出た。しかし風で方向がわからなかった。ずっと見ているうち、自衛隊が笛を吹きながら上がってくるのが見えた。それでしめたと思って、私も笛を吹いた。接近してきて『食事しましょう』と言われ、インスタントのご飯と水を飲んで、それでほっとして感激した」

※本件についてのヤマレコ日記内での議論
http://www.yamareco.com/modules/diary/4477-detail-6964

・元記事提供 kiyoshi氏 2010/03/07
・トピ整理の為、管理人が移記 2012/09/06 
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