記録ID: 199422
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ハイキング
甲信越
耳取遺跡
2012年06月17日(日) [日帰り]
- GPS
- 02:00
- 距離
- 4.4km
- 登り
- 88m
- 下り
- 72m
コースタイム
10:36耳取遺跡案内板〜10:57耳取遺跡、鉢保坂遺跡〜11:40民俗文化資料館
〜11:51岩沢山忠魂碑公園〜12:23耳取遺跡案内板
〜11:51岩沢山忠魂碑公園〜12:23耳取遺跡案内板
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
昨夜から雨が降り、今日の天気予報も雨で山登りは無理と諦めDSAさんのレコに書か れていた耳取山にある耳取遺跡探索にでかけた。 まず、車のナビでDSAさんが登り始めた耳取遺跡案内板まで行く。(車のナビは便利) 案内板の所からは登り口の道標や踏み跡があるだろうと思っていたがなにも無く、 辛うじて人が分け入ったような所があったのでそこから山(73.2m)を目指して登る。 少し登ると歩きやすい山道があり、暫く登っていくと踏み跡が見えなくなり藪漕ぎとなる。 藪といっても一面シダの葉で膝より少し深いくらいでそれほど大変ではないので地 形図(2万5千図)とコンパスで遺跡に向い道なきシダの藪を登っていくとほどなく木 にピンクテープが付けられた場所が現われそこが耳取遺跡発掘場所。 遺跡の所にはだれもおらず、立ち入り禁止の立札も立ってなかったので発掘場所の 傍まで行き発掘途中の住居跡や土器を見ることができた。 こんなに近くまで行って見ていいのだろうか・・・なにも注意書きが無かったので さすが遺跡の中までは入らなかったが、真近で発掘途中の土器を見ることができた。 土器は中学校の教科書で見たことがあるような縄文時代のような紋様だった。 遺跡の発掘は広範囲に渡っており、かなり大きい大集落だったらしい。 この時点では耳取遺跡の知識がほとんど無かったので帰りに民俗資料館に寄って 土器や説明を聞こうと思って立ち寄ったが残念ながら中には入れたが休日で担当の 人が不在だった。 見附伝承館に土器が展示されているとのことだったので帰りに寄っていくことにした。 民俗資料館から少し南に行くと左側に長い石段があり、岩沢山忠魂碑公園と書かれ た標識がありこの石段を登り石碑の所(山の山頂)に行き、そこから山の北側へ 畑の山腹を歩き、行き止まりの所から道のない杉林を北側に降りるとたんぼに出て 水路沿いにあるあぜ道で出発した遺跡案内板の所まで戻った。 見附伝承館(学校町)には沢山の土器が展示されていた。 |
写真
撮影機器:
感想
こんな近くに3000年以上も前の縄文時代の大規模遺跡があり、また、その発掘中の
遺跡と土器を真直で見ることができるということに少し感動した。
あの耳取遺跡案内板の所から耳取山の奥の遺跡の所まで登るにはDSAさんのルート図
がなかったらとても行くことはできなかったと思う。
みつけ伝承館に行き、出土された土器をみたが耳取遺跡以外にも見附には沢山の遺跡
があることが判り、いつか遠い昔の縄文時代、弥生時代の遺跡めぐりをしようと思った。
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コメント
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おはようございます!
さっそく耳取においでになったのですね!
いやー同じ所に行っても、記録する人によって、まるで違うもののように魅力的に見えますね
「教科書で見たことがあるような紋様」の写真は見事ですね 前回はそんなに見事な物を見ることができなかったので、もう一回ゆっくり見てこようと思います。リアルな埋まっている土器は、博物館に陳列してあるそれよりも貴重な感じがします。
ところで、耳取遺跡の案内看板の道を挟んで反対側の牛舎が前日未明(6/16)に全焼しました。焼け跡に気づかれたかと思います。私は地元消防団として消火活動を行いました。
更にlizhijpさんが耳取に来たときは、少し南にある田井小学校で分団演習(要するに大会です)をしていました。
だからどうしたというわけではないのですが、実はすぐ近くにいたわけですね。
DSAさんこんにちは
長岡、見附の東側にある裏山には大平森林公園周辺くらいしか登ったことがないので、これから機会があればもうすこし裏山探索してみようかと思っています。
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