【過去の記録】 小倉城付近は見るものがいっぱいダァ!
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- 5m
- 下り
- 5m
過去天気図(気象庁) | 2013年01月の天気図 |
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感想
【投稿は2022年1月1日】
この冬、私は北九州を訪れていた。小倉城が見たかったのである。小倉城も見たのだが、実はこの辺りは博物館なども充実していて楽しい時間を過ごした。
小倉城は1560年台に毛利氏により築城になった。当時中国地方の覇者である毛利氏は九州進出の足掛かりとしてここに築城したのである。
その後紆余曲折あって関ヶ原の戦い以後は細川氏がここ移封された。さらに、肥後の加藤氏改易の際、細川氏は肥後へ、ここには小笠原氏が配置された。その後は明治維新近くまで代々の小笠原氏がここを治めてきたのである。
1866年の第二次長州征伐の際、長州軍が小倉城に向かった、この時に小倉藩は肥後藩の庇護を受け、小倉城には火が放たれた。和睦後も、小倉一帯は長州が支配することになる。
明治維新後は、小倉には陸軍連隊本部、その後に師団本部も築かれ、軍都として発展する。
1959年に模擬天守閣が復興し、更に1990年にリニューアルされた。その後「続・日本100名城」に選ばれた。
私が見たのはこのリニューアルした後のお城の様子である。なかなか良いお城で、特に庭園の雰囲気がよく、何枚も写真を撮影してしまった記憶がある。
また、付近には文学館、松本清張記念館、ゼンリン地図記念館など、博物館が多数あり、見るのに時間がかかったことも思い出される。
残念ながら松本清張を読んだことはない。ミステリーを読むのって何故か怖くて、なかなか手に取れない。
「松本清張はミステリーに『動機』という要素を盛り込んだ。佐々木嬢は『時代の背景』を盛り込んだ。それが新しく直木賞を取った理由である。」
佐々木穣が直木賞を取った時の審査員1名の言葉である、誰だっただろうか。その言葉でも松本清張の偉大さがわかるのである。
ゼンリンの地図博物館も面白かった。床一面が伊能図になっていて、これまでの測量から地図作り、新しい地図作り、地図の新しい使用方法。特にGPSが当時新しく利用方法を広げている最中であることが多かった。
このエリアは結構ホットなエリアで、2013年にあったものが無くなっていたり、新しいものがあったりする可能性もある。そのうちまた訪れるのだろうなと思うのである。
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