沖縄1周ジャーニーラン4日目
- GPS
- 10:04
- 距離
- 62.9km
- 登り
- 688m
- 下り
- 681m
コースタイム
- 山行
- 10:26
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 10:26
7:01スタート-8:00屋我地島-8:57国道58-10:07塩屋湾-11:47ゆいゆい国頭、昼食12:11-13:08県道2号安波方面分岐-14:56国道を離れる-15:15茅打ちバンダ15:21-15:45辺戸岬15:56-17:11共同売店17:18-17:27海山人ゴール
天候 | 晴れ、暑い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年02月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
歩道の完備した国道か、交通量の少ない裏道で全区間問題なし 辺戸岬過ぎると、歩道の状態が悪く走れず車道の端を走行。でもこのへんになると交通量少ない。ヤンバルクイナの交通事故防止を注意喚起する看板をときどき見かけた。 |
写真
感想
*ほぼ終日、美しいビーチぞいの道だった。沖合いのさんご礁のところに白い波が立ち、その外側はコバルトブルー、内側の浅瀬はエメラルドグリーン。
*辺戸岬の祖国復帰闘争碑はすごい。これが県民の総意として堂々と岬の果ての真ん中に立っているのがすごい。文面はもちろんすごい。
http://www.okinawainfo.net/hedo.html
辺戸岬の”祖国復帰闘争碑”の全文
祖国復帰闘争碑
全国のそして全世界の友人へ贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。
“鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。
*今夜の宿、海山人はオーナーの手作り感満載、そのオーナーさん、だじゃれ連発でめちゃ楽しい。
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