妙見山622.0m(西脇市、丹波市)
- GPS
- 04:15
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 577m
- 下り
- 574m
コースタイム
所要時間 延4時間15分
天候 | 曇り時々晴れ、山頂付近で一時雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
●登山道は過保護なまでに整備されている。 ●店舗:JAみのり特産開発センター、東はりまフォルクスガーデン黒田庄(本格的なイングリッシュガーデンは見もの) ●温泉、銭湯:西脇市内に西脇温泉へその湯、銭湯西脇温泉 |
写真
感想
雲の多い空・・・・
気象学的には、これでも晴れになるのだろう。
白山へ直行するコースがあるはずなのだが、取ったはずのコースはそうではなかったようで、妙見山へ至る。アカマツ主体の植生を見せており、下部にはシダが密生する。コースはよく整備され、よくふまれており迷うことはない。
高度を増し頂上付近は樹氷にも見える細枝を広げる雑木の群れ。
妙見堂には戦時中と思しき落書きが散見されるのが面白い。木目が新しく見えるのだが、それなりに年月を経た建物なのだろう。お堂の建つあたりは嫌にさびしい雰囲気である。白山への稜線を歩き、往路分からなかった白山からの下山道を探すべく時間を見れば既に3時45分。道に迷った場合を想定し、あきらめもとのコースを下山。
誰一人とも出会わぬ山行であった。
下山後、西脇市内の廃業寸前の銭湯へ向かう。
車内に流れる音楽は、Alban Berg's Violin Concerto
アルバン・ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」
西脇の火葬場、多可広域斎場『やすらぎ苑』に立ち寄る。
火葬場へ行く道程にふさわしい音楽だ・・・・
「ある天使の思い出に」
tanbashinpo さんが 2012/01/29 にアップロード
『火葬場へ行く道にふさわしい音楽』
Alban Berg's Violin Concerto was written in 1935 (the score is dated August 11, 1935). It is probably Berg's best-known and most frequently performed instrumental piece.
The piece stemmed from a commission from the violinist Louis Krasner. When he first received the commission, Berg was working on his opera Lulu, and he did not begin work on the concerto for some months. The event that spurred him into writing was the death by polio of 18-year-old Manon Gropius, the daughter of Alma Mahler (once Gustav Mahler's wife) and Walter Gropius. Berg set Lulu to one side to write the concerto, which he dedicated "To the memory of an angel."
Berg worked on the piece very quickly, completing it within a few months; it is thought that his working on the concerto was largely responsible for his failing to complete Lulu before his death on December 24, 1935 (the violin concerto was the last work that Berg completed). The work was premiered after the composer's death, with Krasner playing the solo part, on April 19, 1936, in Palau de la Música Catalana, Barcelona.
アルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》は1935年8月11日に完成された。おそらくベルクの最も有名な作品であり、なおかつ最も演奏回数に恵まれた作品である。「ある天使の思い出に Dem Andenken eines Engels」との献辞が付されているが、ときにこれが副題のように看做されることもある。
ヴァイオリニストのルイス・クラスナーによって依嘱された。ベルクは初めてこの依嘱を受けた時、歌劇《ルル》に取り組んでおり、しばらく協奏曲は手付かずのままであった。しかし、アルマ・マーラーがヴァルター・グロピウスともうけた娘マノン・グロピウスが、19歳という若さで急死する。ベルクはマノンを可愛がっていたため、この訃報を知ると、オペラをいったん脇にのけ、クラスナーから委嘱されていた協奏曲を「ある天使の想い出に」ささげるものとして作曲にとりかかった。
《ヴァイオリン協奏曲》の作曲は非常にはかどり、2〜3ヵ月で脱稿したが、虫刺されから敗血症を起こしたベルクは、この作品が自分自身へのレクイエムになるであろうこと、そしておそらく歌劇《ルル》を完成できないであろうことを察知した。ベルクは1935年12月24日に急逝し、《ヴァイオリン協奏曲》はベルクが最後に完成させた作品となった。したがってベルクは、本作の演奏に接することができなかった。
世界初演:1936年4月19日、国際現代音楽協会バルセロナ大会。ルイス・クラスナーの独奏。アントン・ウェーベルンが指揮の予定であったが、亡き友のことを思い出してしまったウェーベルンは、練習すらまともにできず、逐電してヘルマン・シェルヘンに事後を託した。
英国初演:1936年5月1日、ロンドン。招待者のみの非公開演奏。独奏者はやはりクラスナー。アントン・ヴェーベルン指揮、BBC交響楽団。アセテート盤に録音され、クラスナーにより保管されていた。後にCDに復刻された音源の出典でもある。
英国公開初演:1936年12月9日、BBC定期演奏会。ロンドンのクィーンズ・ホールにて。クラスナーの独演。ヘンリー・ウッド指揮。BBC交響楽団。
日本初演:1959年3月30日、東京の日比谷公会堂。ウィリアム・ストリックランド指揮、B・アール独奏、日本フィルハーモニー交響楽団による
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