Ju小泉武栄先生と岩殿山・猿橋で地質の勉強
- GPS
- 16:00
- 距離
- 6.7km
- 登り
- 305m
- 下り
- 311m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年07月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
西桂層群は600万年前に丹沢が衝突した時期の浅海性の礫岩。猿橋は9000年前の玄武岩質富士溶岩の末端。 |
感想
学生のころのフォークソングに「この山ができてから何年経ったのだろう」などという歌があったが、山の成因を考えながら登るというのは普段はない。けれども、たまにはこの山がいつ頃どのようにしてできたのかな、などと考えるのも楽しいものである。分野は地質学になるのだが、地質は地形をつくるもとになるとともに植生の違いをも解明する基礎を与えるものであるので、より深く山を知るために勉強しておいて損はない。
そんなわけで地質について1つページを作って整理しているところです。
http://www32.atwiki.jp/jugemu_tokyo/pages/67.html
で、都連盟で小泉武栄先生を招いて岩殿山と猿橋峡谷の勉強会があると聞いて参加することにしました。「自然を読み解く山歩き」を購入してサインももらったのでお得でした。
大月から歩いて資料館の下ではまず岩錐の観察です。そして登るに従って円レキ岩の露頭の観察。平べったい碁石ほどのレキ岩がこの山の材料になっています。この地層は丹沢山塊が本州の秩父山塊に衝突してくる時代に運搬されて浅い海に堆積したものだそうです。桂川沿いの桂川層群と呼ばれ、時代は600万年前とされているようです。
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで・と詠まれた万葉の昔から、砕けたレキはまた固結して岩になるという発想は、このようなレキ岩の観察から導き出されたものなのでしょう。
二つ目は、電車で猿橋まで移動して峡谷の下から溶岩層の観察です。伊豆山塊の衝突は丹沢に遅れて160万年ほど前だそうですが、それが富士・箱根の形成を引き起こし、何度かの溶岩流のうち、富士急線沿いにここ猿橋まで大規模な玄武岩質溶岩流が達したのは9千年前のことだそうです。また、それより以前の2万年前と6万年前の河岸段丘も観察できました。
地形を作る自然の営みについて色々と考えさせられる有意義な勉強会でした。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する