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ヤマレコ質問箱 カテゴリ:その他

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なぜ、山に登るのか
質問2013年12月12日 05:40 (2013年12月15日 22:47更新)
 山に登るなんて、疲れて、膝を痛くして、めんどうで、遭難があって、お金が掛かって・・・など、リスクばかりが多いものです。それなのに、なぜ、山に登っているのですか。

「そこに山があるから」
「景色がいいから」
「自由が好きだから」
「好きだから」

 という風な簡単な回答以外で答えてください。つまり、なにを求めて、山に登っているのか、ちょっと聴きたい訳です。
回答2013年12月15日 19:49 (2013年12月15日 22:47更新)
「アルピニズモ・アクロバチコ」

ギド・レイ著

他、ヘルマン・ブール、メスナー等々 

*******

「頂上の旗」

 生と死のあるところ 原 真著、、、では

いきなり冒頭から

ずばっと「なぜ山へ登るか」で迫ってくる。

######

さて、わたしが「なぜ、山に登るのか」

文章で表現するのは、誤解も含めて難しい。

一緒に山に同行すれば、解るかもしれない。

@@@@@

剱岳、穂高等々、歩いていれば頂きに着く。特に

たいそれた事ではない。

スタンプラリー的なピークハントに興味はない。

では何か、、、、、
お礼 
 解かりません。ですが、みなさん、文章で、なんとか表現しようと、頑張っております。まあ、甲信越の山と言えば、日本の歴史の中でも、山岳信仰の高い山ですから、そういった宗教的世界を含めると、確かに、奥深いものがあると思います。ときに、電気も水道もなかった時代の、山伏や行者の様に、山を歩きますが、彼らは、歴史を求めたのか、疑って終うときがあります。ご回答ありがとうございました。
回答2013年12月15日 10:41 (2013年12月15日 22:35更新)
なぜ山に登るんでしょう?自分でも時々思います。

一人山行が多い私は
「自分の力で辿り着いた者にしか味わえない達成感と、 その場に立って感じられるものへの期待感」
こんな感じだと思います。

もちろん山行実施のプロセスも楽しいのですが、
たとえ里山であれ、上級者の方々がアタックするような
山であれ、自分の力で考え行動した結果がその日の
到達点で、通過点で色々な姿で激励してくれたり、
時には叱られたりとか感じつつ山を楽しんでいます。
自分が自然に育てられている感じでしょうか?
(修行じゃないんですが・・・・)

求めている回答になっていないかとは思いますが
私の山登り感でした。
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お礼 
 いえ、よく解かります。時に、山と自分との見境いが、無くなるという事がありませんか。わたし自身も、実際、まだ、なにを求めて、山に登っているのか、本当に確信出来ていない処があって、他の人が、どうなのか、ちょっと聴いてみたかったのです。だから、わたしが求めている回答なんて、ありません。

 ものづくりの職人などは、ものに結果が現れるので、それなりの実感は、あると思うのですが、登山者は、登っても、降りても、なにの結果を生み出さない―という事になる処まで来たとき、そういう境遇になったときに、改めて考えてみると、自身に思いっきり疑問を抱いて終う。考え過ぎかも知れませんが、やっぱり、山に問い掛けられているような気がする訳です。お前は、なんなんだ、と。
回答2013年12月13日 18:20 (2013年12月15日 22:35更新)
通常は単独行がメインです。
山もスキーも最初は仲間に誘われたりメディアの情報に触発されたりが切っ掛けなのですが、
今日まで続けて来た理由を改めて整理してみると
一人で計画しやり遂げる楽しみが比較的容易に味わえる「遊び」乃至「冒険」だからではないかという気がします。
yamanjii2gouさんのコメントと重複しますが
あれこれと準備し、気持ちを整え、体と頭を酷使して首尾よく行けば良し、計画通り行かなくてもその場の判断で修正し、うまく行けば達成感が得られる。
全くの無計画で山に登られる方は殆ど居ないと思います
つまりこの過程が楽しいからではないかと。。

ただし安全第一ということからBCスキーや沢登りなどでは行動範囲が限られるのも事実で、こればかりは単独行の限界です。
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お礼 
 わたしも、単独がメインです。過程が楽しいというのは、もの凄く共感しますね。わたしなんかも、山に登るより、計画を立てたり、どこへ行こうか、地図を眺めるほうが、楽しいと思って終うときがあります。

 だけど、実際に行くと、不備も出て来る。そのたびに、計画を立て直したりするのが、また、おもしろいんですよね。ご回答ありがとうございました。
回答2013年12月12日 22:46 (2013年12月15日 22:35更新)
何も求めていません。
時々、無性に登りたくなるからです。

では、その理由は?
自分で考え、行動し、結果が良くても悪くても我が身だけ。気楽でもあり、厳しくもあり。
一人で登るのは、結局、これが心地いいからだと思います。

誰かと一緒に登るときは、その時々の理由があるので、別です。
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お礼 
 わたしも、単独で登る事が多いです。人と一緒に登って解からないものが、単独で得られるという事には―けっこう、厳しい意味が含まれているんですよね。なにも、求めていないと言う割には、ちゃんとした理由がある訳ではないですか。ご回答ありがとうございました。
回答2013年12月12日 18:02 (2013年12月15日 22:35更新)
この質問は人により大きく異なると思います。
私は基本的に山は車やロープウェイで登るもの・・
運動は大嫌い。辛いだけ〜 温泉が良いよって
思ってました。それが4年前・・低山でも苦しくて
疲れて、友人に誘われて無理して行きました。

しかし、ある時に目標の山ができた。
それは、アルピニストがあこがれる剱岳でした。

この山に登るには上級レベルの体力が必要である事や
技術力に判断力も求められる。
いろんな山をトレーニングで登りました。
始めは辛いのが多かった、足が止まった。
気持ちが切れた・・・シャリバテ・・・苦闘と修行を
感じる登山が続いたけど、なぜか辞めなかった。
それでも山が好きになっていったからです。

それは、それなりの登山ができる体力が備わり
辛いの登りが、ある時から気持ちが良い・・楽しいに
変わりました。
そして、登山者なら憧れの穂高や槍、剱を登り
北アルプスの天空の縦走路を歩ける体力が備わると
日本というより、宇宙とか天国を歩いてる自分が
居ました。
広大な大自然、大展望を自分が歩いている素晴らしさ。
楽しさ、喜びを存分に味わえる。
普段の生活を完全に忘れて、穂高を目指す・・・
帰ってくれば、本当は疲れ果てるのに
自分のモチベーションは山に行くたびに上がり
仕事も考え方も円滑になって行きます。
山は人を変えてくれ、精神的なレベルを上げてくれると
ともに、全国から集まった人たちが
同じ目標に向かって登って行く素晴らしさ
それが山だと思います。
低山も素晴らしいですが、本当に山を知りたいなら
北アルプスや南アルプス、八ヶ岳の稜線を歩けば
解ります。

これは解る人には解るし、理解できない人には出来ないです。ただ人の遺伝子には自然に対する欲求はあるので
必ず癒やされ与えてくれるのが山である事は確かだと
思います。

遭難や事故は山を理解して、体力が技術に合った
ステップアップをすればかなり防げる範囲です。
いろんな山の楽しみ方が沢山あるので、
それを知るのも良いと思います。
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お礼 
 わたしは、思うのですが、carolさんの言う事は、アルプスや剱岳に限らず、けっこう多くの登山者に、理解されると思いますよ。ただ、どれだけ多くの山に登っても、どれだけ高い山に登っても、自分から、積極的に気が付こうとしなければ、見えて来ないものがあるんですよね。それが、非常によく伝わる。

 楽しく読ませて貰いました。ご回答ありがとうございます。
回答2013年12月12日 09:53 (2013年12月15日 22:35更新)
すみません、変な回答します。

山に登るのは・・・。

苦しさホドホド感がある為ではないでしょうか?
日常生活で使い慣れてる行動ではなく特に雪山の
場合は全ての力を総動員しなくちゃなりません。
中、高時代の部活のシゴキ??のような感覚が
あります。
基本的に”M”さんが多いのではないでしょうか?
自分のペース、レベルで行動も可能ですしね!
お礼 
 んー、どうなんですかね。苦しさホドホド感を求めるのなら、別に、山に限らず、それこそ、部活動や、社会人のクラブでも、同じ道理で、山に求める必要は、ないのだと思います。わたし自身、柔道とホッケーをやっていて、そのシゴキの頻度が、上下関係を含めて、ハンパなかったのですが、それと、比べれば、山に登るのは、まだ、いいほうだと思う程度の事です。

 と、言うのも、一般生活と、山に登るということの違いに、大差が無くなって来たという事なのです。その境遇から、どうなんだろう、と。