高野山の観光



- GPS
- --:--
- 距離
- 6.3km
- 登り
- 30m
- 下り
- 63m
コースタイム
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2016年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
帰りは奥の院前バス停より。 |
写真
装備
個人装備 |
スニーカー
|
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感想
2016年9月の金曜日、観光で高野山へ行き、その最後、奥の院へ向かいました。
一の橋より歩き始めました。まさに聖域という感じです。無数の墓石、墓碑が立ち並んでいます。全国の武将達のお墓が有ります。それぞれ、本拠地にお墓が有り、ここのお墓は分骨のもののようです。織田信長公のは1つの小振りなお墓です。豊臣家の墓所は一段高い場所の広い区画です。大きな石が使われた巨大な墓塔がたくさん有ります。重機が無かったときにどうやって立てたのか、思いを馳せました。緩やかな下り上りの歩きやすい道です。途中に中の橋が有り、細い沢を渡りました。
綺麗な玉川に御廟橋が架かっています。ここからは撮影禁止でした。観光旅行なので、写真撮りたいなぁ。
奥の院の大きな建物が燈籠堂です。奥の院は拝観料が不要でした。お参りしました。
燈籠堂の奥が空海先生の霊廟だそうです。空海先生は今も生きていると考えている人が多いそうで、お墓と言ってよいか微妙です。
空海先生は承和2年旧暦3月21日(835年4月22日)に亡くなられたとされています。病死され、荼毘に付されたとの書が有るそうです。しかし、入定について諸説有るそうです。
「入定」とは土中の石室に篭り、閉じ込められ、断食しながら、鐘を鳴らし、読経し、やがて、生死の境を超えるというものです。体はさらに長時間を経て、ミイラ化し、人体がそのまま仏となる即身仏となるというものです。
空海先生の霊廟の中の様子は秘密であるため、一般には不明のままです。空海先生は今も奥の院の霊廟で禅定をされていると考えられています。
燈籠堂は地下に入れました。地下には無数の大小の燈籠が有ります。1つ1つに氏名が記されており、1つ1つが1人1人のものなのでしょう。
さて、帰りのバスの時刻まであと15分。「奥の院前」のバス停はどこでしょうか。御廟橋の近くでお寺の職員の方に訊いたら、的確に教えてくれました。
ロケット型のユニークなお墓等が有りますが、立ち止まらず、走りました。
無事、16:01発のバスに乗れました。
大阪から高野山への日帰りの観光でした。高野山の滞在時間は約4時間。ちょっと慌しい観光でした。お昼ご飯は食べられませんでした。ケーブルカーの高野山駅近くのお店で高野豆腐やゴマ豆腐の買い物をしました。
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