【過去の記録】 ネモフィラ輝く国設ひたち海浜公園
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 31m
- 下り
- 31m
コースタイム
- 山行
- 3:33
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:33
天候 | 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
投稿は2020年4月13日である。
一都七府県に緊急事態宣言が出ている。行きたい山はたくさんあるが、今行くことは控えた方がよさそうだ。そして、過去レコ投稿をヤマレコでは呼び掛けている。
ついでに言うならば、とうとう今週はオフィスが三蜜ということで、年休を使ってほぼ全員が自主的に休むことになった。「出勤自粛」といったところか。(ここで使った年休がどうなるかは、経営陣の話し合いで回復するかどうかが決まるというが・・・無くした物と思っている。)
残念ながら、山に登るとすぐレコにしてしまうために書き残している「山レコ」はほとんどない。でも、「書いておけばあとで赤線繋ぎに活用できそうなレコ候補」はたくさんあることは否定できない、いつか時間がある時に書こうと思っていた「過去レコ」をこの機会に書いておくのもよいと思ったのだ。
特に、今現在国設ひたち海浜公園は閉鎖されている。多分、今年のネモフィラは誰にも見られることなく季節とともに流れて行ってしまうのであろう。
というわけで、過去の写真を引っ張り出してこのレコを最初に書くことにしたのだ。
自分の茨城方面の赤線は、岩間駅→笠間駅→水戸駅→勝田駅と伸び、支線として内原駅から瓜連駅まで伸びている。この赤線群と自宅からの赤線を繋げることも課題ではあるのだが、勝田駅から国設ひたち海浜公園に繋ぐことも十分考えられるのだ。その時に、この赤線と繋ぐことができるのではないかと思っている。
今年の国設ひたち海浜公園のネモフィラはたぶん見られないと思うが、来年以降の楽しみとしてレコにまとめておこう。
さて、国設ひたち海浜公園は、戦争後に米軍の射撃場として整備された土地である。軍用飛行場として整備され、飛行機からの射撃・爆撃訓練を主に行っていたそうである。そんな中、1950(昭和25)年7月、小学校の女子生徒の腹部を米軍機の機関砲が貫通する事件など5件の致死事件が発生していた。また、自転車の女性を航空機の尾部で接触させることで死に至らしめた通称「ゴードン事件」なども起きていたが、いずれも日米地位協定により罪には問われなかったそうである。
1973年に、この土地は国に返却され、国設公園として整備されることとなり、「平和の象徴として公園を整備したい」という地元民の思いからひたち海浜公園が作られ軍用地としての歴史は幕を閉じた。
2000年ごろ、この小山に何を植えたら映えるだろうかということを考えていた職員が、足元の「ネモフィラ」に目が行ったそうである。山から空に青色が続けばさぞかし美しいだろう、山から空・そして海へと青が続けばきっと見てくれる人が増えるだろうということから、公園内にネモフィラが植えられるようになった。
今は、もう「ネモフィラを見るなら国設ひたち海浜公園」と言われるほど有名になり、多くの人が訪れるようになった。
きっと、数年以内にここを訪れることがあると思う。その時は、勝田駅から公園まで歩き赤線を繋げていくとともに、10年前のネモフィラの記憶を凌駕するような素晴らしい景色に会いたいと切に思うようになった。
レコをかきながら、再訪したくなる気持ちが高まることもあるのだなあ。
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