ニサンザイ古墳〜御廟山古墳〜いたすけ古墳 他
- GPS
- 01:59
- 距離
- 8.3km
- 登り
- 14m
- 下り
- 14m
コースタイム
- 山行
- 2:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:00
天候 | 晴れ・暑い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
感想
長引く足首の打撲の腫れと痛み、値段の高い湿布薬で治りそうと思ったのは気のせいだった。長期的な使用はしないほうがいいということもあって、昨日からもう患部には直接貼らないことにした。今月末には大学時代の友人と藤原岳からキャンプで北へ縦走する予定。もう「with打撲」で臨む覚悟だ。
ウォーキング代わりに百舌鳥古墳群のうちの仁徳天皇陵の南東に点在する古墳を巡る。
土師ニサンザイ古墳 (はぜにさんざいこふん) は、墳丘長290メートル以上、日本で7位の長さを誇る前方後円墳。5世紀後半築造。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁によって「東百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者: 第18代 反正天皇の空墓) として治定されている。なお「ニサンザイ」は「陵 (みささぎ)」が訛ったものと考えられている。
周濠の地道は墓地の広がる西で行き止まりになっていて一周できないこともあって、車道も使いながら一周するのは初めてだ。
定の山古墳 (じょうのやまこふん) は小ぶりの帆立貝形古墳。5世紀築造。1960年代の区画整理工事により墳丘が著しく変形したが、墳丘部分の発掘調査が行なわれ、その重要性から保存されることとなり、変形した部分は復元され現在は公園となっている (城の山公園)。
先日ウォーキングで初めて来たのだが、その際 周辺の古墳をまとめて廻ってヤマレコにあげようと考えたのがこのコースの発端。
御廟表塚古墳 (ごびょうおもてづかこふん) も小ぶりの帆立貝形古墳。5世紀後半築造。国の史跡に指定されている。
西隣には主屋等が国の登録有形文化財に登録されている歴史的建築物 筒井家住宅がある。敷地内に生えている「百舌鳥のくす」は樹齢800〜1000年とされ、大阪府の天然記念物に指定されている。
ここを訪れるのは4回目くらいだろう。
御廟山古墳 (ごびょうやまこふん) は墳丘長約203メートルの前方後円墳。5世紀前半築造。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者: 第15代 応神天皇)として陵墓参考地に治定されている。
近世には百舌鳥八幡宮の奥の院とされていたとのこと。古墳西側には永尾大神という社があるが、その名残だろうか。
いたすけ古墳の陪塚と考えられている善右ヱ門古墳の前を通って いたすけ古墳 着。東に履中天皇陵の木々が見える。
いたすけ古墳は墳丘長約146メートルの前方後円墳。5世紀前半築造。国の史跡に指定されている。
昭和30年 私有地であったため土砂の採集と住宅造成のため破壊されることになったが、保存を要望する市民運動が盛り上がり、市が買い上げ、保存されることに。戦後まだ10年、古墳の保存を市民が願ったことが素晴らしい。学校の先生が中心だったらしい。土砂を取る重機を入れるため周濠に橋が架けられたが、その橋がまだ半分ほど残っているのも負の遺産として貴重だ。他方 タヌキが住みついている古墳としても有名。なお気になる名前の由来は不明とのこと。
御廟山に戻って、行きには通っていない南側を行く。細い路地を通るが、戦後の雰囲気を残していて面白い。
百舌鳥八幡宮を参拝。
案内板に曰く (社伝によれば)、神功皇后が三韓征伐の帰途、この地において幾万代の天下泰平を祈願されたとし、欽明天皇の時代 (6世紀半ば)、この地を万代 (もず) と称したと伝わるとのこと。面白い伝説だ。それにしても「三韓征伐」という言葉、今の時代ビミョ〜だなぁ。
ニサンザイ古墳に戻る道、複数の「尾羽根八幡宮」の看板に誘われ 寄ってみると、住宅街の中のごく小さな社だった。百舌鳥八幡宮の拝殿前には赤ちゃんを抱いた若い夫婦とその家族が長々と記念撮影をしていて しっかりと参拝することができなかったので、代わりにここで参拝。「足が治りますように」。
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