世界遺産マチュピチュ

- GPS
- --:--
- 距離
- 268km
- 登り
- 5,960m
- 下り
- 5,955m
過去天気図(気象庁) | 2010年06月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
飛行機
|
写真
感想
南米旅行の一日をマチュピチュに行くことになりました。
前日、ペル−のリマ空港から飛行機でクスコ空港に到着しました。標高3399mあるクスコの街に泊まりました。高地に体を慣らすためでもありました。クスコはインカ帝国の首都があったところでした。高度順化のために、市内を色々と見て回りました。太陽の神殿というところにも行きました。高い石垣でできた岩山でした。インカの民族衣装を着た女性たちとアルパカが待っていました。
町に着くと、丁度冬至のお祭りのときでした。町の広場には、たくさんの人がでていました。次々と奇妙なお面で仮装した神様なのでしょうか? 行列がやってきました。そのたびに歓声が上がっていました。
翌朝早くに、クスコの街からバスに乗ってウルバンバ川に沿って、マチュピチュに向かってゆきました。
マチュピチュにゆく途中、オリャンタイタンボという駅で鉄道に乗り換えて、さらにウルバンバ川を進んでゆきました。クスコを出るときはそれほど寒さはなかったのですが、だんだん進むにつれて寒くなってきました。重ね着をして寒さをしのぎましたが、それでも足の下から冷えてくる感じでした。山の方を見ると不思議な現象を見ました。寒さで空気が凍って、そこだけ陰になっているように見えました。後でわかったことですが、朝、夕と日中の寒暖差が大きく、マチュピチュでは日中暑いほどで、上は半袖でも大丈夫なほどでしたので、逆に着ていたものをどんどんぬいでゆきました。
マチュピチュ村のアクアスカリエンテスという駅で降りて、ここからはバスに乗り換えて急な山の斜面を登ってゆきました。マチュピチュの入口にやがてつきました。
入口を入り、ここから世界遺産マチュピチュを見て回りました。門を入るとまもなく目の前にテレビなどでおなじみの映像が飛び込んできました。本物のマチュピチュの姿が目の前にありました。やはり生で見るのはすばらしい!😀
遺跡は、急な石の階段になっていました。急な斜面に、段々畑が作られていました。しっかりとした石組みの門があり、そこをくぐって奥の神殿のほうに続いていました。遺跡は急な山の断崖を利用して作られていることがすぐに分かりました。下を覗くと断崖の下は渓流でした。断崖を利用して、石段が作られている感じでした。
遠くを望むと、マチュピチュの周りの山々がありました。深い山々と、渓谷に囲まれた奥地にあったため、なかなか発見されなかったのでしょうか?
反対側の方には、マチュピチュに通ずるインカ道が続いていました。機会があれば、時間があるときにきて、インカ道を歩くトレッキングをしてみたいと思いました。
歩いているとリャマが出迎えてくれました。人を恐れる様子がありません。近づいて寄ってきました。人懐っこくて可愛らしかったです!
ワイナピチュ山を登るのは、事前許可制で、1日の限定人数があるようです。今回は、許可を得ていないので登れません。近くの麓で、山頂を眺めていました。
マチュピチュは、南米ペルーのアンデス山脈、標高約2,450mの尾根に位置する古代インカ帝国の遺跡でした。山裾から遺跡の存在が確認できないことから、「空中都市」「インカの失われた都市」などとよばれているそうです。世界遺産だけでなく、2007年7月には新・世界七不思議のひとつにも選ばれました。
遺跡は神殿と居住区で構成されていて、その総面積の約半分の斜面には段々畑が広がっていました。建造物の石積みはカミソリの刃すら隙間に通さないほど精密に組まれていて、数百年経った今でもしっかりと姿形が残存していました。
何故このような高地の断崖絶壁に、要塞都市が建築されたのか?
かつてインカ帝国がスペインの侵略から財宝を守るために建設した都市、という説や、最後の砦であったという説がありますが、アンデス文明は文字を持たないため、その理由は明確になってないということです。
インカの人々はこの秘密都市で80年ほど生活した後に、高度な文明が栄えたマチュピチュを残してさらに奥地へと移り住んだと言われています。
数百年に渡り人の目に触れることはなかったが、1911年7月24日アメリカの探検家ハイラム・ビンガムに発見されて、世界に知られるところとなったそうです。
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