記録ID: 5284647
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ハイキング
関東
鎌倉街道上道を歩く5日目 (武蔵高萩駅〜所沢駅)
2023年03月19日(日) [日帰り]


- GPS
- 07:52
- 距離
- 23.0km
- 登り
- 30m
- 下り
- 23m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
写真
女影時計台
「 女影時計台は青年の人達によて昭和3年9月に御大典記念として建設され49年余時刻をしらせ道路改良のため昭和51年9月 御即位50年を記念し女影時計台として再建 昭和51年11月」
「 女影時計台は青年の人達によて昭和3年9月に御大典記念として建設され49年余時刻をしらせ道路改良のため昭和51年9月 御即位50年を記念し女影時計台として再建 昭和51年11月」
神社脇を鎌倉街道が走り、「いざ鎌倉」の鎌倉街道は鎌倉に異常事態が発生した時に御家人が駆けつける道でもある。 鎌倉幕府を攻め滅ぼした新田義貞が攻めあがった道。そして敗北し信濃の逃げた鎌倉幕府最後の執権北条高時の息子が再び鎌倉攻をした道
「影隠地蔵」
木曽義仲の子で頼朝に人質として捕らえられ鎌倉にいた義高は、父義仲の死後、我が身に難が及ぶのを避けるため、頼朝の娘の大姫のはからいで、 一路上道を北へと逃走しますが、ついにここ入間川で追ってに追いつかれてしまいました。しかし、この地蔵尊の影に隠れて一時難を逃れたと言い伝えられています。
木曽義仲の子で頼朝に人質として捕らえられ鎌倉にいた義高は、父義仲の死後、我が身に難が及ぶのを避けるため、頼朝の娘の大姫のはからいで、 一路上道を北へと逃走しますが、ついにここ入間川で追ってに追いつかれてしまいました。しかし、この地蔵尊の影に隠れて一時難を逃れたと言い伝えられています。
清水八幡
曽義仲の嫡子である儀高は源頼朝の人質となったり頼朝の娘大姫と結婚。義仲が頼朝に討ち果たされると身の危険を感じ、祖父義賢のち大蔵館(嵐山町)方面に逃げるが、しかし入間川原で討ち取られた。それを悲しんだ大姫と母北条政子がここに祀清水冠者儀高を祀った。
曽義仲の嫡子である儀高は源頼朝の人質となったり頼朝の娘大姫と結婚。義仲が頼朝に討ち果たされると身の危険を感じ、祖父義賢のち大蔵館(嵐山町)方面に逃げるが、しかし入間川原で討ち取られた。それを悲しんだ大姫と母北条政子がここに祀清水冠者儀高を祀った。
建久4年(1193)に源頼朝が那須野へ鷹狩りに行く途中にここで昼食をとった。新田義貞が鎌倉攻めに向かう途中にこの寺で戦勝祈願をし北条氏を討ち帰途再度立ち寄り黒塗りの乗鞍を奉納したと伝えられている
撮影機器:
感想
所沢まで来ると都市部に来た感じがしますが、まだ旧鎌倉街道も残されておりそれなりに表示もありました。しかし、予算によるのか担当者の熱意によるのか解説版や標柱もだいぶ痛んできています。
名所旧跡巡りは年寄りの娯楽かもしれませんが一度無くなれば元には戻せないので、各自治体(教育委員会)には頑張ってもらいたいと思う今日この頃です。
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