高取の古墳巡検
- GPS
- --:--
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 142m
- 下り
- 142m
コースタイム
- 山行
- 5:45
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:45
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
|
写真
感想
市尾駅前でタクシーを降りて墓山古墳まで歩く。すでに古墳の上に大勢の会員が集まり、古墳の裾では受付をしている。いつもの通り友の会の封筒を渡して受付を済ませ墳丘に登って今日の講師の橿原考古学研究所博物館の平井先生の話を待つ。まずこの墳丘から市尾の盆地の地形を観察し、巨勢路、紀路を往来した古の人々の営みを想像する。そして市尾墓山古墳や宮塚古墳などの古墳時代後期のこの地の有力者の墓から見えることを考える。またこの辺のそれよりは古い弥生時代待つから古墳時代のはじめの薩摩遺跡から見えるこの土地の前史にふれる。薩摩遺跡の次の時代、古墳時代前期から中期にかけては、近鉄吉野線の向こう側に市尾今田古墳群やタニグチ古墳群があり、朝鮮半島で使われた戟や鉾などの武具や、この時代では半島南西部の馬韓で見られる甕棺を石室に据えるユニークな墓制が見られる。
高取町中央公園まで歩いて昼食休憩、その周辺の遺跡の解説を聞き、さらに与楽古墳群に向かう。ここは、渡来系の人々のリーダーたちの墓域のようだ。与楽カンジョ古墳は方墳で穹窿型の持ち送りの石室を持ち巨石が使われるのは飛鳥時代、古墳終末期の有力者のお墓の特徴だ。ここは、入口の鍵を開けて石室内に入ることができた。巨石をアーチ形に組んだ見事な石組だ。
次に与楽鑵子塚を見学する。ここは中に入ることはかなわなかったがミニチュア炊飯具や指輪、カンザシなどの装身具が出土し、漢人系百済人と称する人々のお墓の可能性があるらしい。武器の副葬がほとんどないのも特徴らしい。最後に高取の範囲を越えて明日香町エリアにある真弓鑵子塚古墳に立ち寄り、蘇我馬子の墓と言われる石舞台より大きな石室を持つこの古墳の被葬者像について考える。この地域と関係の深い東漢氏の有力者
説がある一方、先日惜しくも急逝された坂靖氏の蘇我氏説も説得力がある。渡来系リーダーが、彼らをバックアップしてきた蘇我氏の石舞台より大きな石室を持つ古墳を作るだろうか?と言う疑問だ。また蘇我氏を先祖を渡来系と坂氏は考えたが、文献史学では、渡来系と認めていない。今後の議論に期待したいが坂氏を失ったことは残念だ。この後多くの参加者は帰路牽牛子塚に向かったが、私は昨年見学したので飛鳥駅に直行して、預けた荷物を受け取り、帰宅の途に着いた。
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