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ハイキング
伊豆・愛鷹
愛鷹山 五輪塔
2023年04月09日(日) [日帰り]
- GPS
- 03:20
- 距離
- 5.6km
- 登り
- 518m
- 下り
- 515m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:39
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 3:20
14:56
お楽しみハイキングが中止となり、本日は現在調査している阿野時元と伴類の自決地、長泉町五輪塔に昼より出かけました。
今まで長泉町の説明文では「身分の高い女性の墓跡」との説明でしたが、傍らに5から6個の墓石がかつてあったとなると、5-6人の侍女が殉死する人物とはやはり武田信玄の娘か養女クラスでないとありえないと思われます。
武田の駿河侵攻時には六男を葛山城に入れていますから、真実味はあり、かつての調査で富士の多門坊は中里村に尼寺をもっていたことから確かに女性の墓と思っていました。
しかし、阿野居城の大泉寺館の裏手の山(吾妻鏡記述)というと愛鷹山中腹であり、調査中の山居の尾根を登ると五輪塔へと行きつきます。
阿野時元が深山に城郭を構えて謀反の情報は、源実朝の側近であった葛山景倫に葛山の配下からの情報で伝わったのではと思われます。
長泉町の説明では墓は災害で流失したと書かれていますが、墓は五輪塔であり、その傍にあった墓石は同行した者たちの墓とみるのが自然で、無理のない推論と思います。
殉死しなかった家来数人は下山し北条側に時元自殺の報を告げ、後日遺体はこの地に埋められた。
その伝承は密かに伝わり、鎌倉幕府の崩壊後に悼む五輪塔と伴類の墓はここに建てられたのです。
今まで長泉町の説明文では「身分の高い女性の墓跡」との説明でしたが、傍らに5から6個の墓石がかつてあったとなると、5-6人の侍女が殉死する人物とはやはり武田信玄の娘か養女クラスでないとありえないと思われます。
武田の駿河侵攻時には六男を葛山城に入れていますから、真実味はあり、かつての調査で富士の多門坊は中里村に尼寺をもっていたことから確かに女性の墓と思っていました。
しかし、阿野居城の大泉寺館の裏手の山(吾妻鏡記述)というと愛鷹山中腹であり、調査中の山居の尾根を登ると五輪塔へと行きつきます。
阿野時元が深山に城郭を構えて謀反の情報は、源実朝の側近であった葛山景倫に葛山の配下からの情報で伝わったのではと思われます。
長泉町の説明では墓は災害で流失したと書かれていますが、墓は五輪塔であり、その傍にあった墓石は同行した者たちの墓とみるのが自然で、無理のない推論と思います。
殉死しなかった家来数人は下山し北条側に時元自殺の報を告げ、後日遺体はこの地に埋められた。
その伝承は密かに伝わり、鎌倉幕府の崩壊後に悼む五輪塔と伴類の墓はここに建てられたのです。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雨後のため思ったより崩れていた。位牌は早々に断念 |
写真
感想
身分の高い上臈説の他に、山居に大寺院を建て布教していた江戸期の三鳥派が幕府に追われ、この地で集団自決したのではというご意見もいただいております。
三鳥派の僧らはすぐ下のつるべ落としの滝、あるいは水神の滝で修業をしていた形跡もあり、水神堂やつるべ落としの滝が江戸後期の絵地図にも記載されています。
ただ、私は僧侶の墓が五輪塔であるのか?少し疑問であります。
五輪塔は若々しく見え、当時30歳前後であった阿野時元のものに見えて仕方がありません。
いずれにせよ、これが愛鷹山山中で不運の死を遂げた人達の墓であることに疑いはありません、長泉町ハイキングコース上にある五輪塔、ぜひ訪れて供養お願いします。
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訪問者数:172人
私は前日につるべ落としの滝ルートの千畳岩手前の渡渉ができずに断念しました…。結構雨が降ったのですね。
ツツジが咲いていましたか?私が土曜日に通ったルートはサッパリでした。まぁ、アシタカツツジも含めこれからですね。
今週末の企画中止は残念でしたが、また誘ってください。
崩壊も進んでちょっと気軽には行けませんね。
つるべの上の駆け上がり路整備、お誘いいたします(爆)
ミツバにしては小さすぎです、新種の可能性があります。
牧野富太郎博士を呼んできてください、よろしく。
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