松本城(三重県四日市市)

- GPS
- 00:35
- 距離
- 2.1km
- 登り
- 12m
- 下り
- 20m
過去天気図(気象庁) | 2023年05月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
裏面には以下の碑文が彫られています
『吾妻鏡』に「…まず進士三郎基度の朝明郡富田之館を襲い挑戦数刻にして、基度及び舎弟松本三郎盛光・同四郎・同九郎らを誅した…」とあり。一二〇四年に起きた三日平氏の乱で松本氏が本城を拠点に戦った『四日市史』より
二〇〇五年一〇月建之
常磐地区社会福祉協議会
感想
【城名】松本城(三重県四日市市)
【別名】ーー
【場所】三重県四日市市松本町字里中
【形式】平城
【地目】山林
【立地】丘陵
【標高(比高)】−m(-m)
【規模】ーーxーーm
【時代】元久(1204〜1206年)
【築城】ーー
【城主】松本三郎盛光
【遺構他】城址碑、本丸跡?、櫓台跡?、帯郭?、『三重の中世城館』には「消滅」との記載あり
【訪城日】2023年4月25日
【訪城時間】35分41秒
【備考】周囲の道路は概ね道幅が車1台分くらいしかありません。東側参道階段の南側道路に1台分ほどのスペースがありますが、ロープで立ち入れないようになっています。私は自転車で訪城しましたが、一般的には鉄道を利用するのがいいようです。
【概要】伊勢平氏の松本義光、元久元年(1204年)の三日平氏の乱に、日永の楯三郎に同心して亡ぶ(吾妻鏡)。松本の西方丘陵の末端、団地造成のため丘陵も削平され、残る丘陵の上にも遺構はない。(仲見)〜以上『三重の中世城館』より
なお、『日本城郭大系』には記載がありません
【歴史】ーー
【資料】
城址碑碑文全文
『吾妻鏡』に「…まず進士三郎基度の朝明郡富田之館を襲い挑戦数刻にして、基度及び舎弟松本三郎盛光・同四郎・同九郎らを誅した…」とあり。一二〇四年に起きた三日平氏の乱で松本氏が本城を拠点に戦った『四日市史』より
二〇〇五年一〇月建之
常磐地区社会福祉協議会
【訪城記録】
城址は近鉄湯の山線、松本駅の南約500メートルの丘陵にあります。
住宅地の中にぽつんと残る丘陵が松本城跡です。
丘陵の周囲をぐるりと道が取り巻いていて、山頂へは東側から松井須賀神社への参道である階段を上るか、丘陵南端から丘陵の西側にある神明松乃神社の参道を北進するかのどちらかになります。
とあるウェブサイトによると「神明松乃神社〔祭神 天照大神・豊受毘売之命(卜ヨウケヒメノミコト)〕と松井須賀神社〔祭神 健速須佐之命(タケハヤスサノオノミコト)〕は大正15年(1926)に八阪神社(赤堀)から分祠されて一つになり松本神社となった。」とあります。
丘の上は、平らな地形となっています。一見、本丸跡のように思われますが「三重の中世城館」によると、遺構は残っていないと言うことなので、この削平地も後の時代になって作られたものかもしれません。
城跡の丘陵は、南北に細長く、南北それぞれの端は少し盛り上がっていて、見ようによっては櫓台の跡か物見台の跡とも取れます。北側の盛り上がりの南側根本に城址碑が立っている。その西隣には山の神も祀られています。
【見残し】
ーー
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/11126659162
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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