(ハイキング放浪記 東北編18) 福島にて、アトムの力を制御するために
- GPS
- 02:23
- 距離
- 2.1km
- 登り
- 2m
- 下り
- 2m
コースタイム
- 山行
- 2:24
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:24
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | この後2日かけて帰宅しました。 |
写真
感想
2013年に相馬市方面から南下しようとしたときに、福島市の方まで遠回りをさせられました。地震から2年というところでまだ原子力発電所からの放射線の影響があり、誰も入れることができなかったのでしょう。
2016年には、宮城県の日和山に登ったあと、常磐道にて南下しましたが、その時にはインターチェンジから降りることはできません、できるだけ素早く通過してください、SAPAも短時間のご利用で!!という感じでした。当然、高速道路から放置された街の風景を見ながらドライブすることしかできませんでしたが、私は次のような文を残している。
引用
福島に入ってから次第に放射線量を表示するモニターが多くなった。南相馬を越えると車窓からの景色も一変する、植物がもうもうとしている所に電気がついていない信号、「帰宅困難指定地」「除染作業中」などののぼり、ああ、ここはまだ被災地なんだ・・・。東日本大震災は終わっていないのだ・・・と実感する。しかし、この間にSAやPAはないので停まって撮影はできない、ただただ目に焼き付ける。
引用終わり。
今回は、高速道路からではなく、下に降りることができるというのだ、これは行かないわけにはいかない。
まずは浪江町の道の駅に出没する、日常が少しずつ戻ってきているような感じがするが、海岸近くの復興はまだまだっぽい。
そして、私は東日本大震災・原子力災害伝承館を見ることにしました。原子力を正しく使うと生活が豊かになるという震災以前の様子、原子力賛美、原子力作文コンクールの作品、原子力絵画展の作品など、「原子力は有効だ、原子力は安全だ、原子力は経済的だ」という時代、その雰囲気が一変しました。
その時代からの展示があるのが素晴らしい、そして事故後の原発をどうするか、時間と戦い続ける専門家たち、それらの記録が残っています。寝る間も惜しんで戦っていた専門家たち、それでも防げえなかった原子炉格屋爆発、放射線放射能との戦い、除染、風評被害、それらは今も続いています。
この博物館は「復興庁」がメインとして作った博物館です。近くには東電が作った「廃炉博物館」があるそうですが、この日は休館日、見ることはできませんでした。
後は、トコトコと運転して自宅に戻ってきました。事故なく戻って来れて嬉しいです。
最後3つは地震のことが中心となったのでなかなか筆が進まず、こんな日になってしまいました。
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