5月10日(金)堂山古墳群と大東市歴史民俗資料館
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.4km
- 登り
- 183m
- 下り
- 171m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
大阪の大東市堂山古墳群は生駒山北麓の山裾にあるらしい。大東市は初めてで寝屋川市のとなりらしい。もよりの駅から歩くか住道駅でチャリを借りるかー住道でチャリを借りることにするが、問題はドコモバイクシェアのアプリを立ち上げてもなぜかログイン出来ず、登録をし直すが支払用カードの登録を、受け付けてくれない。十五分ほど時間をロスし、シェアサイクルでないレンタサイクルがあるので受付で手続きを済ませ,なんとか出発、堂山古墳群に向かうが最後のきつい坂を押して進むと行き止りがお寺でそこから古墳に出られないと教えられ、引き返して一本違う道を再び押す。何とか古墳群の入口の階段が見えた。チャリと荷物を置き、階段を登るが古墳の位置を確認し忘れ、少し戻って下の道を下るがやはり古墳の位置がよくわからず別の道から登っていくと神社との分岐があり漸く古墳への道がわかる。結構遠くにあるのだ。何とか2号墳に到着した。後期の古墳らしく墳丘には、いくつかの横穴式石室があるようだ石室の石の一部がその石室の位置を示していた。相当登ったのでかなり遠くまで見通せる場所だった。1号墳が下った先にあるのだが時間が大幅に超過したので今回は諦め、大東市歴史民俗資料館に向かう。
堂山古墳群から大東市歴史民俗資料館に向かう。常設展示では、大阪産業大学校舎建設工事に伴う中垣内、元船遺跡の発掘調査の出土品、主として弥生時代の土器や古墳時代の土師器、などが出ていた。縄文時代以降の各時代の河内潟、河内湖の復元地図と出土品が並ぶ。
縄文時代は海だった河内周辺も弥生時代に入ると土砂流入で潟となり、中垣内などの弥生集落が生まれ、土器や卜骨などが残された。
古墳時代になると堂山古墳群など多くの古墳が作られ、今日見学できなかった堂山1号墳からは、単甲、甲冑など多くの副葬品が出ているという。ただ古式土師器があまり出ていないとのこと、なぜだろうか?
復元地図は、中近世まで示されていたまた堂山1号墳出土の太刀と剣の復元品の展示もあった。企画展示は、この地域と大塩平八郎に関するものであったが残念ながらゆっくり見る時間がなかった。急いで住道駅に戻ってチャリを返却し、大谷大学博物館のある滝谷不動に向かった
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