にわか四国遍路(10)―新居浜市坂井町〜四国中央市三島中央

- GPS
- --:--
- 距離
- 26.8km
- 登り
- 203m
- 下り
- 196m
過去天気図(気象庁) | 2010年07月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
遍路という存在を忘れかけていた今日この頃。私はまっすぐな道をゆこうと躍起になっていた。だが、久しぶりに松山から今治の道を歩くことを機縁にして、まっすぐな道でなくてもいいのではないかとも思った。兎にも角にも、東予の道も残りわずかである。
2010年(平成二十二年)7月11日。始発電車で新居浜へ。そのまま東に向けて歩いていく。ついに四国中央市に入った。このネーミングセンスは失笑さえ誘うが、もはやそう言うことすらはばかられる。もともとこのあたりは「馬」という地名だったが、和銅八年に民部省から「凡そ諸国の部内の郡里等の名は二字を並び用い、必ず嘉名を取れ」との告知が出され、「宇摩」と改められた。現在の四国中央市域は、当時の宇摩郡とほぼ重なる。
関川を渡る。新居郡と宇摩郡との間に関所があったことに由来する名だという。さらに進むと「三度栗大師」がある。弘法大師が子供たちから栗をもらい、「今より一年に三回の栗を与えん」と告げたことから、年に三度収穫できるようになったという伝承が残る。
土居の延命寺に着いた。ここは「千枚通」で知られる。住職の話では、大日本六十余州広しといえどもここにしかない霊験だという。その昔、一人の病人がいざり松の下に横たわっていた。大師が霊札を水に浮かべて飲ませると病は全快した。その霊札こそ千枚通しである。
さらに歩を進めると、近藤篤山先生生誕の地に至る。「伊予聖人」「徳行天下第一の人」と称えられた人物で、小松藩の教育や発展に尽力したという。旧姓は高橋で、大友宗麟の家臣・高橋紹運の子孫と伝えられている。
山並みを望みつつ国道11号を歩き、伊予三島の市街地に入る。駅には一枚の紙が貼られていた。
「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」
(知る者は好む者に及ばず、好む者は楽しむ者に及ばない)
まったくその通りだと思う。こうして今日もまた煩悩の世界へ帰っていった。
●本日の歩行距離・・・25.7キロ
●総歩行距離・・・165.7キロ(四国遍路全行程の約12%)
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する