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大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと) / 都府楼跡

最終更新:gasirakko
背後は四王寺山 写真一覧へ 大宰府政庁跡
大宰府政庁跡。
大宰府政庁跡駐車場を出発
四王寺山をバックに大宰府政庁跡
基本情報
標高 25m
場所 北緯33度30分52秒, 東経130度30分54秒
カシミール3D
駐車場
トイレ
バス停

山の解説 - [出典:Wikipedia]

大宰府(だざいふ)は、7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当した。和名は「おほ みこともち の つかさ」とされる。なお多くの史書では太宰府とも記される太宰府について記された全25文書のうち「大」だけ使用のもの8例、「太」「大」併用のもの4例、「太」のみのもの13例。8世紀から10世紀までの文書で「太」を用いているもの。

  • 懐風藻…併用

  • 唐大和上東征伝(淡海三船)…併用

  • 入唐求法巡礼行記(円仁)…「太」のみ

  • 続日本後紀(藤原良房ほか)…「太」のみ

  • 文徳天皇実録(菅原是善ほか)…「太」のみ

  • 延喜式(藤原時平・紀長谷雄)…併用

  • 倭名抄(源順)…「太」のみ


。政庁の中心は現在の福岡県太宰府市・筑紫野市にあたり、国の特別史跡に指定されている。
役職としての大宰(おほ みこともち)・大宰帥は、外交・軍事上重要な地域に置かれ、数か国程度の広い地域を統治する地方行政長官である。九州筑紫には筑紫大宰が置かれた。「総令」・「総領」などとも呼ばれる。
吉備国にも大宰が置かれた記録は在るものの、一般的に「大宰府」と言えば九州筑紫のそれを指すと考えてよい。
平城宮木簡には「筑紫大宰」、平城宮・長岡京木簡には「大宰府」と表記されており、歴史的用語としては機関名である「大宰府」という表記を用いる。都市名や菅原道真を祀る神社(太宰府天満宮)では「太宰府」という表記を用いる。「宰府」と略すこともある。
唐名は、「都督府」であり、現在、史跡を「都府楼跡」(とふろうあと)あるいは「都督府古址」(ととくふこし)などと呼称することも多い。
外交と防衛を主任務とすると共に、筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅からなる西海道9国と壱岐、対馬、多禰(現在の大隅諸島。弘仁15年/天長元年(824年)に大隅に編入)の三島については、掾(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。
軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司、主船司を置き、西辺国境の防備を担っていた。西海道諸国の牧から軍馬を集めて管理する権限を有していた。
外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館(こうろかん)が那津(現在の博多湾)の沿岸に置かれた。

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