(はじめに)
さて、ここまで北アルプスの稜線にそびえる高峰群について、それらの地質(岩石)の説明をしてきましたが、この章では、ちょっと寄り道して、立山・剣岳の西側の山腹にある古い地層「飛騨帯」(ひだたい);(飛騨変成岩)について説明します。
まず基本的なことですが、日本の地質学では、日本列島の地質を「〇〇帯」という区分で分類することになっています(例えば、文献1,文献3)。
ただし前提として、「〇〇帯」は堆積岩および変成岩をもとに分類、区分され、火成岩(火山岩、深成岩)は分類の対象として考慮されていません。また堆積岩でも比較的新しい地質(新第三紀、第四紀の地質)も、対象外となっています。
そういう前提のもとに、日本列島は約二十数個の「〇〇帯」に区分されています。
(※ 学説によって、「地帯(地体)区分」の考え方はマチマチで、最小で約22−23個、最大で、約28−30個になります)
この章で説明するのは、その中で「飛騨帯」と呼ばれる地域と、そこに分布する、古い地質体です。
まず基本的なことですが、日本の地質学では、日本列島の地質を「〇〇帯」という区分で分類することになっています(例えば、文献1,文献3)。
ただし前提として、「〇〇帯」は堆積岩および変成岩をもとに分類、区分され、火成岩(火山岩、深成岩)は分類の対象として考慮されていません。また堆積岩でも比較的新しい地質(新第三紀、第四紀の地質)も、対象外となっています。
そういう前提のもとに、日本列島は約二十数個の「〇〇帯」に区分されています。
(※ 学説によって、「地帯(地体)区分」の考え方はマチマチで、最小で約22−23個、最大で、約28−30個になります)
この章で説明するのは、その中で「飛騨帯」と呼ばれる地域と、そこに分布する、古い地質体です。
1)「飛騨帯」という地帯(地体)の概要
まず「飛騨帯」の範囲ですが、富山県の全域、能登半島を含む石川県のほぼ全域、福井県のうちいわゆる嶺北部(福井平野、大野盆地など)、それと岐阜県飛騨地方の北側が、地質学上の「飛騨帯」とされています。注1)
(例えば、文献1),文献3),文献5ーa)、文献5−b)など)
注1)北アルプス北部、黒部渓谷に近い場所に孤立して存在する変成岩帯である、
「宇奈月(うなづき)変成岩」に関して、
「飛騨帯」の構成要素の一つとする考え方と、
「飛騨帯」とは別の地史を持つ変成岩類(例えば「宇奈月帯」)とする
考え方があります。
「宇奈月変成岩」には謎が多く、いまだ明確にはなっていません。
この章では、「宇奈月変成岩」は「飛騨帯」とは別物という考え方(仮説)
を元にし、「宇奈月変成岩」については触れません。
「飛騨帯」を特徴づける地質体(岩石)は、この「飛騨帯」ゾーンのなかでも実際には、限られた場所にしか地表に露出していません。
一か所は岐阜県飛騨地方の北部から富山県境にかけてです。
(以下説明のため、仮称ですが「飛騨地方北部ゾーン」と称します)です。
もう一か所は富山県の北アルプス 立山〜剣岳〜毛勝三山の、富山平野側(西側)の
中腹部です。
(以下、仮称ですが、「剣・立山山腹ゾーン」と称します)。
後者の「剣・立山山腹ゾーン」は北アルプスの一部ではありますが、登山道が多い場所ではないし、おそらく樹林帯なので、(私も含め)普通の登山者が見かけることは稀だとは思います。
なお2つのゾーンの間は、手取層群(てとりそうぐん:白亜紀の淡水性堆積層)に覆われていますが、おそらくは手取層群の下に飛騨帯の地質体が続いているものと思われます(この段落は、私見です)。
また富山県のうちの平野部、及び石川県、福井県には、産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、飛騨帯特有の岩石類はごくわずかに点在するだけです。これらの一帯の地下に飛騨帯の地質体が連続して分布しているかどうかは、私としては疑問です。
・・というのは、約20〜15Ma(注2)に起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」において、北陸各地を含めた日本海側は、海底火山の噴火が盛んに起き、その時点で、古い地質体は失われたのではないか?と考えるからです(この段落は私見です)。。
(注2)”Ma”は、百万年前を意味する単位
さて、「飛騨帯」を特徴づける地質体(岩石)は、古い変成岩(片麻岩)類です。片麻岩(へんまがん)とは、結晶片岩と並び、日本列島の変成岩として多く見られる変成岩で、岩石図鑑によると、目視的には、黒っぽい部分と白っぽい部分が筋状に並んだ模様が特徴的な変成岩です(文献7)。結晶片岩が高圧型で、プレート沈み込み帯に関連して生成した変成岩と考えられているのに対し、片麻岩はどちらかというと高温型の変成岩です(文献8ーa)。
産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、「飛騨帯」の地質(岩石)は、以下の4つの種類に区分可能です。
前記の「飛騨地方北部ゾーン」、「剣・立山山腹ゾーン」 ともに、以下の4種類の岩石が分布しています。
(1)石灰質片麻岩
(2)苦鉄質片麻岩(注3)
(3)珪長質片麻岩(注4)
(4)(片麻状)花崗岩
(注3)「苦鉄質」(くてつしつ)とは、シリカ(SiO2)分が比較的少なく、一方で
鉄分、マグネシウム分が多い岩石のことを指し、
英語ではマフィック(Mafic)と言います。
例えば玄武岩、ハンレイ岩が代表的な苦鉄質(火成)岩です。(文献8ーb)
(注4)「珪長質」(けいちょうしつ)とは、シリカ(SiO2)成分が多い岩石のことを
指します。英語ではフェルシック(Felsic)と言います。
例えば花崗岩、流紋岩が、代表的な珪長質(火成)岩です。(文献8ーb)
いずれも片麻岩タイプの変成岩であり、そのため、これらの地質(岩石)類をまとめて、「飛騨変成帯」や、「飛騨片麻岩」とも呼びます。
また、その変成時期は、産総研「シームレス地質図v2」の記載によると全てトリアス紀
(約2.5年前〜約2.0億年前)(注5)、(注6)です。
(注5)飛騨変成岩は、複数回の変成作用を受けたと考えられていますが、
トリアス紀以前の変成作用の時期、回数などは不明確です。
(注6)「トリアス紀」は日本語で「三畳紀(さんじょうき)」とも呼びます。
なおこれ以外に、飛騨変成岩類の周辺にあるジュラ紀の花崗岩(「船津花崗岩」(注7)とも呼ばれる)も飛騨帯の地質(岩石)の構成要素とする考えもありますが、生成時期がかなり違うので、ここでは、ジュラ紀花崗岩は飛騨帯特有の地質体(岩石)としては扱いません。
(注7)「船津花崗岩」(ふなつかこうがん)という用語はかなり以前から
使われている用語で、
飛騨地方の船津という地名から命名され、飛騨帯の古い花崗岩を
総称して船津花崗岩と呼ばれていました。
しかし最近の研究では、船津花崗岩類は生成時期が複数回に分かれること
などから、「船津花崗岩」という用語自体、使われなくなって
きています。
さて、飛騨帯(飛騨片麻岩)の地質体(岩石)が、元々はなにであったか? どこで形成されたか? について、古くから地質学の分野では研究がなされていますが、私が調べた限り、今もって定説はないようです。
その中で、代表的な2つの学説があります。どちらが正しいかはまだ解りませんが、どちらの説も、時空的に雄大な説ではあります。
2つの説を、以下、2つの節で述べます。
(例えば、文献1),文献3),文献5ーa)、文献5−b)など)
注1)北アルプス北部、黒部渓谷に近い場所に孤立して存在する変成岩帯である、
「宇奈月(うなづき)変成岩」に関して、
「飛騨帯」の構成要素の一つとする考え方と、
「飛騨帯」とは別の地史を持つ変成岩類(例えば「宇奈月帯」)とする
考え方があります。
「宇奈月変成岩」には謎が多く、いまだ明確にはなっていません。
この章では、「宇奈月変成岩」は「飛騨帯」とは別物という考え方(仮説)
を元にし、「宇奈月変成岩」については触れません。
「飛騨帯」を特徴づける地質体(岩石)は、この「飛騨帯」ゾーンのなかでも実際には、限られた場所にしか地表に露出していません。
一か所は岐阜県飛騨地方の北部から富山県境にかけてです。
(以下説明のため、仮称ですが「飛騨地方北部ゾーン」と称します)です。
もう一か所は富山県の北アルプス 立山〜剣岳〜毛勝三山の、富山平野側(西側)の
中腹部です。
(以下、仮称ですが、「剣・立山山腹ゾーン」と称します)。
後者の「剣・立山山腹ゾーン」は北アルプスの一部ではありますが、登山道が多い場所ではないし、おそらく樹林帯なので、(私も含め)普通の登山者が見かけることは稀だとは思います。
なお2つのゾーンの間は、手取層群(てとりそうぐん:白亜紀の淡水性堆積層)に覆われていますが、おそらくは手取層群の下に飛騨帯の地質体が続いているものと思われます(この段落は、私見です)。
また富山県のうちの平野部、及び石川県、福井県には、産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、飛騨帯特有の岩石類はごくわずかに点在するだけです。これらの一帯の地下に飛騨帯の地質体が連続して分布しているかどうかは、私としては疑問です。
・・というのは、約20〜15Ma(注2)に起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」において、北陸各地を含めた日本海側は、海底火山の噴火が盛んに起き、その時点で、古い地質体は失われたのではないか?と考えるからです(この段落は私見です)。。
(注2)”Ma”は、百万年前を意味する単位
さて、「飛騨帯」を特徴づける地質体(岩石)は、古い変成岩(片麻岩)類です。片麻岩(へんまがん)とは、結晶片岩と並び、日本列島の変成岩として多く見られる変成岩で、岩石図鑑によると、目視的には、黒っぽい部分と白っぽい部分が筋状に並んだ模様が特徴的な変成岩です(文献7)。結晶片岩が高圧型で、プレート沈み込み帯に関連して生成した変成岩と考えられているのに対し、片麻岩はどちらかというと高温型の変成岩です(文献8ーa)。
産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、「飛騨帯」の地質(岩石)は、以下の4つの種類に区分可能です。
前記の「飛騨地方北部ゾーン」、「剣・立山山腹ゾーン」 ともに、以下の4種類の岩石が分布しています。
(1)石灰質片麻岩
(2)苦鉄質片麻岩(注3)
(3)珪長質片麻岩(注4)
(4)(片麻状)花崗岩
(注3)「苦鉄質」(くてつしつ)とは、シリカ(SiO2)分が比較的少なく、一方で
鉄分、マグネシウム分が多い岩石のことを指し、
英語ではマフィック(Mafic)と言います。
例えば玄武岩、ハンレイ岩が代表的な苦鉄質(火成)岩です。(文献8ーb)
(注4)「珪長質」(けいちょうしつ)とは、シリカ(SiO2)成分が多い岩石のことを
指します。英語ではフェルシック(Felsic)と言います。
例えば花崗岩、流紋岩が、代表的な珪長質(火成)岩です。(文献8ーb)
いずれも片麻岩タイプの変成岩であり、そのため、これらの地質(岩石)類をまとめて、「飛騨変成帯」や、「飛騨片麻岩」とも呼びます。
また、その変成時期は、産総研「シームレス地質図v2」の記載によると全てトリアス紀
(約2.5年前〜約2.0億年前)(注5)、(注6)です。
(注5)飛騨変成岩は、複数回の変成作用を受けたと考えられていますが、
トリアス紀以前の変成作用の時期、回数などは不明確です。
(注6)「トリアス紀」は日本語で「三畳紀(さんじょうき)」とも呼びます。
なおこれ以外に、飛騨変成岩類の周辺にあるジュラ紀の花崗岩(「船津花崗岩」(注7)とも呼ばれる)も飛騨帯の地質(岩石)の構成要素とする考えもありますが、生成時期がかなり違うので、ここでは、ジュラ紀花崗岩は飛騨帯特有の地質体(岩石)としては扱いません。
(注7)「船津花崗岩」(ふなつかこうがん)という用語はかなり以前から
使われている用語で、
飛騨地方の船津という地名から命名され、飛騨帯の古い花崗岩を
総称して船津花崗岩と呼ばれていました。
しかし最近の研究では、船津花崗岩類は生成時期が複数回に分かれること
などから、「船津花崗岩」という用語自体、使われなくなって
きています。
さて、飛騨帯(飛騨片麻岩)の地質体(岩石)が、元々はなにであったか? どこで形成されたか? について、古くから地質学の分野では研究がなされていますが、私が調べた限り、今もって定説はないようです。
その中で、代表的な2つの学説があります。どちらが正しいかはまだ解りませんが、どちらの説も、時空的に雄大な説ではあります。
2つの説を、以下、2つの節で述べます。
2)[学説1;大陸プレートの一部としての飛騨帯]
飛騨帯の岩石類は、プレート理論による日本列島の地層(岩石)の解釈が進んだ1980年代以前より研究されており、その岩石、地質の地質学的特徴から、朝鮮半島や中国大陸の地質体(岩石)との類似性が指摘されていたようです。
つまり、もともと飛騨帯のゾーンはアジア大陸(大陸プレート)の一部であり、原生代あるいは太古代(注8)の地質(岩石)が源岩であろう。という学説です。そして、約20−15Maに生じた、「日本海拡大/日本列島移動イベント」(=大陸から日本列島が分離した)の際に、たまたま、大陸プレートの一部が大陸側と離れて、日本列島の一部に組み込まれた、という考え方です。
(注8)原生代;約5.5億年前〜約25億年前の時代
太古代;約25億年前〜約40億年前の時代
一例として、文献1)の記述を引用します。
「飛騨帯は日本最古の岩石が分布する地帯と考えられている」
「飛騨帯の変成岩類の源岩はおそらく先カンブリア紀の大陸性基盤と、その上に乗る
石炭紀までの陸棚的な堆積物であろうと思われる」
他のいろいろな地質関係の書物にも同様の考え方が記載されているところを見ると、この学説は、2000年頃までは、ほぼ定説化していたようです。
私自身も、この学説で納得していました。
ただし、飛騨帯の地質(岩石)の年代測定を行って、先カンブリア紀時代の岩石が源岩である、というような、明確な根拠データは少ないようです。
というのは、飛騨片麻岩は、少なくとも2回以上の変成作用を被った複変成岩である、と認識されており、分析によって得られる変成年代は、最後の変成時期を示しているだけで、それ以前の変成作用については、調べようがないためです。
文献2)には「飛騨帯・・の岩石(の中に含まれるジルコン)が太古代の年代を示すことから、飛騨帯は北中国地塊に帰属することが確認された。」との記載がありますが、明確性に欠けるように思えます。(この段落は、私見を含んでいます)
つまり、もともと飛騨帯のゾーンはアジア大陸(大陸プレート)の一部であり、原生代あるいは太古代(注8)の地質(岩石)が源岩であろう。という学説です。そして、約20−15Maに生じた、「日本海拡大/日本列島移動イベント」(=大陸から日本列島が分離した)の際に、たまたま、大陸プレートの一部が大陸側と離れて、日本列島の一部に組み込まれた、という考え方です。
(注8)原生代;約5.5億年前〜約25億年前の時代
太古代;約25億年前〜約40億年前の時代
一例として、文献1)の記述を引用します。
「飛騨帯は日本最古の岩石が分布する地帯と考えられている」
「飛騨帯の変成岩類の源岩はおそらく先カンブリア紀の大陸性基盤と、その上に乗る
石炭紀までの陸棚的な堆積物であろうと思われる」
他のいろいろな地質関係の書物にも同様の考え方が記載されているところを見ると、この学説は、2000年頃までは、ほぼ定説化していたようです。
私自身も、この学説で納得していました。
ただし、飛騨帯の地質(岩石)の年代測定を行って、先カンブリア紀時代の岩石が源岩である、というような、明確な根拠データは少ないようです。
というのは、飛騨片麻岩は、少なくとも2回以上の変成作用を被った複変成岩である、と認識されており、分析によって得られる変成年代は、最後の変成時期を示しているだけで、それ以前の変成作用については、調べようがないためです。
文献2)には「飛騨帯・・の岩石(の中に含まれるジルコン)が太古代の年代を示すことから、飛騨帯は北中国地塊に帰属することが確認された。」との記載がありますが、明確性に欠けるように思えます。(この段落は、私見を含んでいます)
3)[学説2;トリアス紀の大陸間衝突帯としての飛騨帯]
この学説は、1991年、93年には提案されています。(文献3)、(文献4)
その後、2000年以降に主流な学説となったようです。(文献5ーb)、(文献6)
この学説によると、ユーラシアプレートのうち、東アジアの(国としての)中国の主要部は、北中国(中朝;シノ・コリア)地塊(注9)と、南中国(揚子;ヤンツー)地塊とが、トリアス紀(約2.5億年前〜約2.0億年前)に衝突、合体してできたものだが、その衝突合体ゾーンの東の延長部が、飛騨帯の変成岩類だ、という考えです。
また飛騨片麻岩のうち石灰質片麻岩は、両大陸プレート間にあった海に存在した海山由来と考えられています。
(注9)ここでの「地塊」(ちかい)という用語は、
「大陸型プレート」とほぼ同意語として使っていますが、
本来は、古生代以前から存在した大陸性の地域という意味あいがあります。
「北中国地塊」と「南中国地塊」との衝突合体ゾーンは、中国では、陜西省 泰嶺(Qinling)山脈から安徽省 大別山(Dabieshan)、山東半島(Sulu area)にかけてほぼ東西に延び、その東の延長は朝鮮半島のイムジンガン帯(Imjingang area、韓国/北朝鮮国境付近)、もしくはオクチョン帯(Okcheon belt、韓国の中央部)と考えられています(文献2)。
そしてそのさらに東の延長部が、飛騨帯の変成岩類、という考えです。
中国大陸の形成と日本列島とが関連しているというのは、なんとも壮大な学説だと思います。
現在のプレート理論では、新生代の衝突帯である、「いわゆる南部フォッサマグナ地域」(伊豆半島、丹沢山地やその周辺)を除き、日本列島のほとんどが、海洋プレート沈み込み帯で出来たと考えられています。
が、ヒマラヤ山脈(ユーラシアプレートとインドプレートとの衝突)や、ヨーロッパアルプス山脈(ユーラシアプレートのうち、ヨーロッパ部分と、アフリカプレートとの衝突)と同様に、日本列島の一部がプレート間衝突で形成されたという説は、興味深い説だと思います。
ただし、この仮説については、証拠となるデータが少なすぎるようにも思います(この段落は私見です)。
その後、2000年以降に主流な学説となったようです。(文献5ーb)、(文献6)
この学説によると、ユーラシアプレートのうち、東アジアの(国としての)中国の主要部は、北中国(中朝;シノ・コリア)地塊(注9)と、南中国(揚子;ヤンツー)地塊とが、トリアス紀(約2.5億年前〜約2.0億年前)に衝突、合体してできたものだが、その衝突合体ゾーンの東の延長部が、飛騨帯の変成岩類だ、という考えです。
また飛騨片麻岩のうち石灰質片麻岩は、両大陸プレート間にあった海に存在した海山由来と考えられています。
(注9)ここでの「地塊」(ちかい)という用語は、
「大陸型プレート」とほぼ同意語として使っていますが、
本来は、古生代以前から存在した大陸性の地域という意味あいがあります。
「北中国地塊」と「南中国地塊」との衝突合体ゾーンは、中国では、陜西省 泰嶺(Qinling)山脈から安徽省 大別山(Dabieshan)、山東半島(Sulu area)にかけてほぼ東西に延び、その東の延長は朝鮮半島のイムジンガン帯(Imjingang area、韓国/北朝鮮国境付近)、もしくはオクチョン帯(Okcheon belt、韓国の中央部)と考えられています(文献2)。
そしてそのさらに東の延長部が、飛騨帯の変成岩類、という考えです。
中国大陸の形成と日本列島とが関連しているというのは、なんとも壮大な学説だと思います。
現在のプレート理論では、新生代の衝突帯である、「いわゆる南部フォッサマグナ地域」(伊豆半島、丹沢山地やその周辺)を除き、日本列島のほとんどが、海洋プレート沈み込み帯で出来たと考えられています。
が、ヒマラヤ山脈(ユーラシアプレートとインドプレートとの衝突)や、ヨーロッパアルプス山脈(ユーラシアプレートのうち、ヨーロッパ部分と、アフリカプレートとの衝突)と同様に、日本列島の一部がプレート間衝突で形成されたという説は、興味深い説だと思います。
ただし、この仮説については、証拠となるデータが少なすぎるようにも思います(この段落は私見です)。
(参考文献)
(文献1)小澤、平、小林(文)
「西南日本の帯状地質構造はどのようにしてできたか」
科学(誌)、第55巻 p4-13 (1985)
・・論文集「日本列島の形成」 岩波書店 刊 (1986)に収録されている。
(※電子化はされていないもよう)
(文献2)大森、磯崎
「古生代日本と南北中国地塊間衝突帯の東方延長」
地学雑誌、第120巻、(2011)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/120/1/120_1_40/_pdf
(文献3)磯崎、丸山
「日本におけるプレート造山論の歴史と、
日本列島の新しい地帯構造区分」
地質雑誌、第100巻、p697-761 (1991)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/100/5/100_5_697/_pdf
(文献4)相馬、椚座(くぬぎざ)
「飛騨ナップの形成と中生層のテクトニクス
;飛騨地域の構造発達史」
地質論文集、第42巻、p1-20 (1993)
http://struct.geosociety.jp/pub/trgj/40/4017.pdf
(文献5)日本地質学会 編
「日本地質地方誌 第4巻 中部地方」 朝倉書店 刊 (2006)
(文献5−a) 文献5)のうち「総論」の部の、
1−1章「中部地方のプレートテクトニクスの枠組と帯状構造」の項、
及び、同章の図1.1.4「中部地方のプレートテクトニクス枠組み」
(文献5−b) 文献5)のうち、「各論」の部の、
第1部「飛騨帯」の、1−1章「概説」
(文献6)椚座(くぬぎざ)、清水、大藤
「年代学から見た飛騨変成作用から日本海誕生を経て
今日に至るまでの包括的構造発達史」
地質学雑誌、第116号 p83-101 (2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/116/Supplement/116_Supplement_S83/_pdf
(文献7) 西本 著
「観察を楽しむ、特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
のうち、「変成岩」の各項、「片麻岩」の項など
(文献8)榎並 著
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」共立出版 刊 (2013)
(文献8−a) 文献8)のうち、
8−1−1節 「広域変成作用」の項
(文献8−b) 文献8)のうち、
第4章「火成作用と火成岩」の、4−2節「化学組成による分類」の項
「西南日本の帯状地質構造はどのようにしてできたか」
科学(誌)、第55巻 p4-13 (1985)
・・論文集「日本列島の形成」 岩波書店 刊 (1986)に収録されている。
(※電子化はされていないもよう)
(文献2)大森、磯崎
「古生代日本と南北中国地塊間衝突帯の東方延長」
地学雑誌、第120巻、(2011)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/120/1/120_1_40/_pdf
(文献3)磯崎、丸山
「日本におけるプレート造山論の歴史と、
日本列島の新しい地帯構造区分」
地質雑誌、第100巻、p697-761 (1991)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/100/5/100_5_697/_pdf
(文献4)相馬、椚座(くぬぎざ)
「飛騨ナップの形成と中生層のテクトニクス
;飛騨地域の構造発達史」
地質論文集、第42巻、p1-20 (1993)
http://struct.geosociety.jp/pub/trgj/40/4017.pdf
(文献5)日本地質学会 編
「日本地質地方誌 第4巻 中部地方」 朝倉書店 刊 (2006)
(文献5−a) 文献5)のうち「総論」の部の、
1−1章「中部地方のプレートテクトニクスの枠組と帯状構造」の項、
及び、同章の図1.1.4「中部地方のプレートテクトニクス枠組み」
(文献5−b) 文献5)のうち、「各論」の部の、
第1部「飛騨帯」の、1−1章「概説」
(文献6)椚座(くぬぎざ)、清水、大藤
「年代学から見た飛騨変成作用から日本海誕生を経て
今日に至るまでの包括的構造発達史」
地質学雑誌、第116号 p83-101 (2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/116/Supplement/116_Supplement_S83/_pdf
(文献7) 西本 著
「観察を楽しむ、特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
のうち、「変成岩」の各項、「片麻岩」の項など
(文献8)榎並 著
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」共立出版 刊 (2013)
(文献8−a) 文献8)のうち、
8−1−1節 「広域変成作用」の項
(文献8−b) 文献8)のうち、
第4章「火成作用と火成岩」の、4−2節「化学組成による分類」の項
大森、磯崎 共著 (2011)
磯崎、丸山 共著 (1991)
椚座(くぬぎざ) 著 (1994)
椚座(くぬぎざ)、清水、大藤 共著 (2010)
このリンク先の、2−1章の文末には、第2部「北アルプス」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第2部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第2部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2020年7月11日
△改訂1;章立ての見直し、章の構成変更。文章の全面見直し、一部、加筆修正。
注釈の項、見直し、追加。添付図の説明文について追記。
引用文献の項を新設、引用文献を追加。引用文献のリンクを追加。
山名の項を新設、添付。2−1章へのリンクを追加。
書記事項の項を新設、記載。 (以上;2022年1月13日)
△最新改訂年月日;2022年1月13日
△改訂1;章立ての見直し、章の構成変更。文章の全面見直し、一部、加筆修正。
注釈の項、見直し、追加。添付図の説明文について追記。
引用文献の項を新設、引用文献を追加。引用文献のリンクを追加。
山名の項を新設、添付。2−1章へのリンクを追加。
書記事項の項を新設、記載。 (以上;2022年1月13日)
△最新改訂年月日;2022年1月13日
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