(はじめに)
前の第3−3章では、中央アルプス北部、経ヶ岳とその周辺の地質を説明しました。
続くこの3−4章では、経ヶ岳より南の、標高が2500〜2900m級の高山帯部分、かつ登山者も多くて、中央アルプスの中核部ともいえる、木曽駒ヶ岳、宝剣岳あたりの地質と地形を説明します
続くこの3−4章では、経ヶ岳より南の、標高が2500〜2900m級の高山帯部分、かつ登山者も多くて、中央アルプスの中核部ともいえる、木曽駒ヶ岳、宝剣岳あたりの地質と地形を説明します
1)木曽駒ヶ岳、宝剣岳あたりの地質
木曾駒ヶ岳、宝剣岳あたりは、千畳敷までロープウェイで簡単にアクセスできることもあり、中央アルプスの中核部と言ってよいかと思います。
この付近の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、中央アルプス中核部の地質は非常に単純で、花崗岩類(花崗閃緑岩、トーナライト)ばかりで山々が形成されています。
これらは、白亜紀後期(約84-66Ma)に、地下深く(約3-10km)のマグマが冷え固まってできた岩石です(文献1)。
おそらくその時代には、地上にはそのマグマからできた火山群があったと思われますが、その痕跡は残っていません。
また、3−3章で説明した中央アルプス北部の変成岩(粘板岩)は、この花崗岩類の元となったマグマの熱で、熱変成したものと考えられています。
この一帯は、日本列島の地体構造区分上は、「領家帯」(りょうけたい)と呼ばれており、ここの花崗岩類も「領家花崗岩(類)」に属します。
もともと地下深く(地下 約3-10km)でできた花崗岩類が標高約3000mもの高さまで持ち上がっているのは、3−2章で説明した、中央アルプス全体の急激な隆起活動によるものです。
これらの花崗岩類の構造的上位には、もともと、堆積岩(おそらく、ジュラ紀の付加体である「美濃帯」の堆積岩)や、その堆積岩が熱変成した「領家変成岩」(例えば、中ア北部、経ヶ岳一帯に分布する粘板岩)が存在したと推測されます。
しかしこれらの上位の地質が、隆起活動の過程でどんどんと浸食によって削り取られ、今では花崗岩類だけが姿を現しています。
なお、産総研「シームレス地質図v2」を詳しく見ると、この山域の東西の山麓部(例えば伊那谷側では、シラビ平より下の山麓部)には、領家変成岩類(泥質片麻岩、泥質片岩、ミグマタイトなど)が分布しています。
この山麓部は隆起量が少なかったがゆえに、浸食量も少なくそのために、元々、花崗岩類の構造的上位にあった地質が残存しているものと考えられます。
この付近の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、中央アルプス中核部の地質は非常に単純で、花崗岩類(花崗閃緑岩、トーナライト)ばかりで山々が形成されています。
これらは、白亜紀後期(約84-66Ma)に、地下深く(約3-10km)のマグマが冷え固まってできた岩石です(文献1)。
おそらくその時代には、地上にはそのマグマからできた火山群があったと思われますが、その痕跡は残っていません。
また、3−3章で説明した中央アルプス北部の変成岩(粘板岩)は、この花崗岩類の元となったマグマの熱で、熱変成したものと考えられています。
この一帯は、日本列島の地体構造区分上は、「領家帯」(りょうけたい)と呼ばれており、ここの花崗岩類も「領家花崗岩(類)」に属します。
もともと地下深く(地下 約3-10km)でできた花崗岩類が標高約3000mもの高さまで持ち上がっているのは、3−2章で説明した、中央アルプス全体の急激な隆起活動によるものです。
これらの花崗岩類の構造的上位には、もともと、堆積岩(おそらく、ジュラ紀の付加体である「美濃帯」の堆積岩)や、その堆積岩が熱変成した「領家変成岩」(例えば、中ア北部、経ヶ岳一帯に分布する粘板岩)が存在したと推測されます。
しかしこれらの上位の地質が、隆起活動の過程でどんどんと浸食によって削り取られ、今では花崗岩類だけが姿を現しています。
なお、産総研「シームレス地質図v2」を詳しく見ると、この山域の東西の山麓部(例えば伊那谷側では、シラビ平より下の山麓部)には、領家変成岩類(泥質片麻岩、泥質片岩、ミグマタイトなど)が分布しています。
この山麓部は隆起量が少なかったがゆえに、浸食量も少なくそのために、元々、花崗岩類の構造的上位にあった地質が残存しているものと考えられます。
2)木曽駒ヶ岳、宝剣岳付近の、山容の違いについて
中央アルプス中核部は、地質学的には白亜紀の花崗岩類のみで出来ている単純な構成であり、説明内容が少ないので、地形的特徴についても、多少、説明します。
まずは、山々毎の山容の違い。
同じ花崗岩類でできていますが、主峰・木曽駒ヶ岳は、主峰というにはあまり目立たず、なだらかで丸っこい山容です。また山頂付近には大きな岩が少なく、花崗岩質の岩屑、礫に覆われています。
一方で、すぐ近くにある宝剣岳は、その名の通り、剣のような鋭い岩峰です。千畳敷カールからの堂々とした姿は、北アルプスの槍ヶ岳を思わせます。麓の伊那谷や、対岸にあたる南アルプスの山からも、小さいながらも宝剣岳は目立ちます。
標高は木曽駒ヶ岳より若干低く、また山体も小さいのですが、実質的には中央アルプスのシンボルと言える名山です。
このような山容の違いに与える因子としては、一つには氷河期における、山岳氷河(現在はカールとして名残をとどめている)による氷食作用が挙げられます。
宝剣岳の場合は、東面の千畳敷カールを作った山岳氷河によって、山の東面が大きく削られています。
もう一つの因子としては、山岳氷河に全く覆われなかった場所、あるいは短期間だけ覆われていたような場所においては、主に氷河期に働いた「周氷河作用」(注1)と呼ばれる、風化、浸食作用の影響が考えられます。
「周氷河作用」とは、氷河の有無とは関係なく、強い寒冷気候の元で働く、浸食、風化作用を意味します(文献2、4)。
木曽駒ヶ岳周辺の標高の高い部分では、この「周氷河作用」により、「周氷河性平滑斜面」(岩屑、礫で覆われた、なだらかな斜面のこと)が発達しており、木曽駒ヶ岳から中岳、乗越浄土付近のなだらかな山稜は、この典型とされています(文献2)。
注1)「周氷河作用」は、間氷期になり、中央アルプスに氷河が存在しくなった現在でも、標高の高い部分では、多少は作用していると考えられています。
まずは、山々毎の山容の違い。
同じ花崗岩類でできていますが、主峰・木曽駒ヶ岳は、主峰というにはあまり目立たず、なだらかで丸っこい山容です。また山頂付近には大きな岩が少なく、花崗岩質の岩屑、礫に覆われています。
一方で、すぐ近くにある宝剣岳は、その名の通り、剣のような鋭い岩峰です。千畳敷カールからの堂々とした姿は、北アルプスの槍ヶ岳を思わせます。麓の伊那谷や、対岸にあたる南アルプスの山からも、小さいながらも宝剣岳は目立ちます。
標高は木曽駒ヶ岳より若干低く、また山体も小さいのですが、実質的には中央アルプスのシンボルと言える名山です。
このような山容の違いに与える因子としては、一つには氷河期における、山岳氷河(現在はカールとして名残をとどめている)による氷食作用が挙げられます。
宝剣岳の場合は、東面の千畳敷カールを作った山岳氷河によって、山の東面が大きく削られています。
もう一つの因子としては、山岳氷河に全く覆われなかった場所、あるいは短期間だけ覆われていたような場所においては、主に氷河期に働いた「周氷河作用」(注1)と呼ばれる、風化、浸食作用の影響が考えられます。
「周氷河作用」とは、氷河の有無とは関係なく、強い寒冷気候の元で働く、浸食、風化作用を意味します(文献2、4)。
木曽駒ヶ岳周辺の標高の高い部分では、この「周氷河作用」により、「周氷河性平滑斜面」(岩屑、礫で覆われた、なだらかな斜面のこと)が発達しており、木曽駒ヶ岳から中岳、乗越浄土付近のなだらかな山稜は、この典型とされています(文献2)。
注1)「周氷河作用」は、間氷期になり、中央アルプスに氷河が存在しくなった現在でも、標高の高い部分では、多少は作用していると考えられています。
3)木曽駒ヶ岳、宝剣岳付近のカール地形
しらび平から千畳敷へのロープウエーを使って中央アルプスにアクセスすると、観光客でも労せずに、標高 約2600mの千畳敷カールに着けます。
「千畳敷カール」という固有名詞の通り、ここは氷河期において山岳氷河が存在していて、その氷河が宝剣岳の東斜面を容赦なく削り取って、きれいなおわん型のカールを形成しています。またロープウエーの上の駅の駅舎・ホテル部分は、カールのモレーン上に位置します(文献2)。
最も最新の、「最終氷期」は、約10万年前から約1.2万年前まで続きましたが(酸素同位体ステージ;MISでいうと、MIS 4、MIS 3、MIS 2の時期)、このうちMIS 4の時期(約6-7万年前)には、日本アルプスにおいては、氷河が最も拡大したと推定されています。ロープウエーの下の駅があるシラビ平とその上部に、その時期のモレーンが確認されており、当時はここまで谷氷河が続いていたと推定されます。現在は、(現)間氷期における流水浸食の影響で、明瞭なU字谷の形状をしていませんが、千畳敷から下の中御所谷(なかごしょだに)は、谷氷河が作った氷食谷です(文献2、3)。
その他、木曽駒ヶ岳の東側には、濃ヶ池という池がありますが、この一帯も「濃ヶ池カール」という名のカール地形です。また濃ヶ池自体は、小さいですが氷河湖の仲間です(文献2,3)。
「千畳敷カール」という固有名詞の通り、ここは氷河期において山岳氷河が存在していて、その氷河が宝剣岳の東斜面を容赦なく削り取って、きれいなおわん型のカールを形成しています。またロープウエーの上の駅の駅舎・ホテル部分は、カールのモレーン上に位置します(文献2)。
最も最新の、「最終氷期」は、約10万年前から約1.2万年前まで続きましたが(酸素同位体ステージ;MISでいうと、MIS 4、MIS 3、MIS 2の時期)、このうちMIS 4の時期(約6-7万年前)には、日本アルプスにおいては、氷河が最も拡大したと推定されています。ロープウエーの下の駅があるシラビ平とその上部に、その時期のモレーンが確認されており、当時はここまで谷氷河が続いていたと推定されます。現在は、(現)間氷期における流水浸食の影響で、明瞭なU字谷の形状をしていませんが、千畳敷から下の中御所谷(なかごしょだに)は、谷氷河が作った氷食谷です(文献2、3)。
その他、木曽駒ヶ岳の東側には、濃ヶ池という池がありますが、この一帯も「濃ヶ池カール」という名のカール地形です。また濃ヶ池自体は、小さいですが氷河湖の仲間です(文献2,3)。
(参考文献)
文献1)「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」日本地質学会 編 (2006)
のうち、各論 第6部「領家変成帯」の項
文献2) 小泉、清水 共著
「山の自然学入門」古今書店 刊 (1991)
のうち、第48章「木曽駒ヶ岳」の項
文献3) 町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 5 中部」東京大学出版会 刊 (2006)
のうち、4−2章「木曽山脈」の項、および、
4−6章「中部山岳(日本アルプス)の氷河地形」の項
文献4)ウイキペディア 「周氷河地形」の項 2020年 10月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E5%9C%B0%E5%BD%A2
のうち、各論 第6部「領家変成帯」の項
文献2) 小泉、清水 共著
「山の自然学入門」古今書店 刊 (1991)
のうち、第48章「木曽駒ヶ岳」の項
文献3) 町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 5 中部」東京大学出版会 刊 (2006)
のうち、4−2章「木曽山脈」の項、および、
4−6章「中部山岳(日本アルプス)の氷河地形」の項
文献4)ウイキペディア 「周氷河地形」の項 2020年 10月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E5%9C%B0%E5%BD%A2
このリンク先の、3−1章の文末には、第3部「中央アルプス」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第3部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第3部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2020年10月1日
△改訂1;文章見直し、一部修正。3−1章へのリンク追加。書記事項追記。
△最新改訂年月日;2022年1月5日
△改訂1;文章見直し、一部修正。3−1章へのリンク追加。書記事項追記。
△最新改訂年月日;2022年1月5日
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