立山 雄山
コースタイム
4/30 雷鳥沢キャンプ場 6:40 → 8:10 立山室堂山荘 8:20 → 9:00 一ノ越山荘 9:05 → 10:45 雄山山頂 → 雄山神社 11:10 → 11:50 一ノ越山荘 12:00 → 12:00 立山室堂山荘 → 13:10 雷鳥沢キャンプ場
5/1雷鳥沢キャンプ場 8:00 → 9:20 室堂
天候 | 4/29曇り、4/30曇り、雨、5/1雨、曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2011年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
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コース状況/ 危険箇所等 |
29日は、朝一の便で室堂入りせねばと、早朝立山ターミナルに到着するも、室堂は吹雪いていて現時点ではバスは運休、それに合わせて美女平へのケーブルも運行を見合わせている、とのアナウンス。動き出したのは7:40のこと、私らは7:50の2便で美女平へ。 5/1は撤収時から雨と強風に苛まれる。雷鳥沢キャンプ場から室堂に向かう途上でさえ、幾度も耐風姿勢を強いられ、えらく時間を要してしまった。 |
写真
感想
ここでは、雄山下山時にての滑落の顛末を記しておきませう。ああ、お粗末。
4/30春山山行二日目、スキー組3名とは別行動で予定通りキャンプ場を出発、雄山に向かう。
早朝の天候は晴れてはいないもののまずまず、キャンプ場から見渡すかぎり取り囲む峰々の稜線は視認でき、そう悪いものではない。
一ノ越山荘に至る頃には、ドンヨリとした雲に覆われ、少しばかり高度が上がったこともあってか、粉雪混じりの強い風が吹きつけるような状況。それでも登れないほどのものでもなかろう、個人的にもこの時期の雄山に登っておきたい、との逸る想いが優先し、そこで撤退などと進言する気はいささかもなし。
実際、ここより進む登山者も少なくはない。
先行者のトレースを頼りに登りゆくも、強風で吹きつける粉雪により早々に均されたということか、次第に判別し難くなっていく。できるだけ斜度の緩やかなところを選び高度を上げていく。
登りゆくほど、風速は増すようで耐風姿勢で留まることも頻繁に。吹きつける粉雪を頬に受けると痛いほど、ヤッケのフードを被るとバチバチと音がする。尋常ではないなと。
登頂後、早々に下山にかかるも途中、耐風姿勢を強いられる回数は増すばかり。
下山時は2名が先に降りてしまっている。先行する登山者の後を辿り下り行く。私らはといえば私が先頭で4名が続く。
一ノ越までの中間あたりでしたか、アイゼンをフラットに置けないような斜度の地点に至り、先行者は体勢を変え、石突を斜面に刺し、アイゼンの前爪を斜面に突き刺してトラバース気味に少しづつ下降していきます。周囲を見渡し別のルートを探すこともなく、なるほど、そんなものかとそのまま後に続く。
しばらく下った時点で、少し下には岩場が二箇所ほど、その先は斜面が切れていることを視認する。リスキーな感じ、これは不味いかも、何もこんなアクロバティックな手法で下らなくても、他のルートを探す方が賢明であろうと思い至る。そのまま見上げれば、後続の面々も同じ姿勢で下降してくる。ここで変に声をかけてしまうのもどんなものか、上方を見上げたまま躊躇してしまう。そんな迷いが契機だったのか、はたまた散漫な思考が瞬間危うい体勢を保持すべく注力することを忘れさせさせたのか、気がついた時には滑り落ちていた。
斜面にうつ伏せ状であった姿勢は一転、斜面に背中を向けて滑り落ちている。
瞬間のことではありましたが、この状況を冷静に見極めることはできたと思います。
思考はまずピッケルへと、手にはない。体勢を崩した際に手放したのか記憶にはなく、右方向を見やるとバンドに繋がれたまま一緒に滑り落ちている。とても手繰り寄せる余裕はなさそう。
前方に目を向けると、剥きだした岩場が二箇所。手前は小規模、その向こうは少し広く剥きだしている。その先はきっぱり切れていてそこへ至るとおそらくはアウト。岩場に取り付き、体を確保するしかなかろう。手前の岩場は無理そう。二つ目で上手く留まることができても、身体を切り裂かれるか、怪我、損傷することは免れぬか・・・、仮に留まれたとして、その後安全圏まで移動することが可能だろうか。瞬時ながらも、ここまでは思考が及ぶ。
案の定、一つ目では確保することが叶わず、さらに滑り落ち次の岩場に。岩に体をぶつけるようにして手を伸ばし眼前の岩をつかもうと。なんとかここで留まりことができ、体を確保。すぐにピッケルを手繰り寄せ雪面に突き刺す。
体の損傷を確認、視認したところ以上はなさそう、痛みはといえば、左脇腹上部にあるのみ。もしかすると骨折、それでも体を動かすに支障はなさそう。まさに僥倖でありました。
他のメンバーを確認すると、それぞれの動きに危うさは感じられず、そのまま安全な箇所まで移動していく。お一方のみ早々に登り返し、ノーマルなルートを下りられたよう。
体は普通に動くようなので、同じ姿勢手法で慎重に安全圏まで移動して合流。
さる年長の同行者さん曰く、mktsan君もうあかん思たで。確かに、私もそう思いました。
その後、一ノ越まで下りて先行していた二人と合流、内一人がリーダーなので一応、事態の内容を報告する。
降り注ぐ雨と轟く雷鳴と強風に苛まれつつテント場まで帰還、ここでやっと人心地に。
更にさる同行者さん曰く、あの時点で雄山へは向かわず、一ノ越から引き返してくるべきだった、と。今となれば深く頷けますものの、彼の時点での私の心境は論外となったでありましょう。なんともあさはか。
以降も左脇腹上部には疼痛が持続するも、翌日(5/1)総員で撤収を決定し、テントを畳んで帰阪するまで差し障るほどではなく、念のための整形外科受診は5/2のこと。
帰りに立ち寄った入浴施設にて、全ての着衣を脱いだ時点で左腰部の擦過傷に気づく。不思議と見た目ほどの痛みは感じられない。その部位を覆う着衣もマムートの冬用の登山パンツ、モンベルのアンダータイツ、ファイントラックのメッシュタイツ、モンベルのアウトドア用トランクスの全てに鉤裂き状に破れていた。ここのところの損害は高くついた。
帰宅翌日(5/2)朝、洗顔時に腰を屈めたところ、左脇腹上部から下にも筋を違えたかのような痛みが走り、腰をかがめたりするのもしんどくなる。
整形外科を受診し、胸部と左腰部のレントゲン写真を撮る、診察によれば骨折、ひびともなく、所謂打ち身であろうと。痛みは徐々に引いていくでしょう、しばらくは激しい運動をひかえること、と湿布薬と痛み止めを処方される。
良し悪しは判断しかねるところですが、実際、滑落の時点よりそれ以降も、慌てたり、緊張したり、恐怖を抱いたり、極端に心拍数があがったり、ということは全くありませんでした。おかしなもので、最悪の事態も併せて客観視していたかと。
昨年の春山とも思えぬ天候の印象に、今回もと楽観視していたところがあったか。
また昨夏、雄山、大汝山、富士の折立と巡り、ルートについて少しはわかっているつもりだったことも仇となったか。
やはり積雪時の状況は全く別物、困難さを実感させられた。
不謹慎に思われますことを承知で申し上げれば、滑落まで経験したのだから、もう雪山は御免、というような発想は全くなく、個人的には、力量・経験ともの不足を認識しながらも、今回の雄山登頂はこれまでになく面白いと感じられた山行でありましたなあ。できることなれば、これからも同様の山行を続けたいもの。
ただ、自身のみであれば自業自得ですむ話、悔やまれてならないのはメンバーの一部をいささかリスクの高いルートに導いたこと、この一点につきる。猛省。
登山歴が浅いこともあり、用語・表現が適切でないところがあるやも知れませんがあしからず。
いきなりの書き込み失礼します。
私も同日ほぼ同時刻、同じ雄山に登りました。
そして書かれてたアイゼンをフラットに置けないような場所で新雪にアイゼンが効かず2mくらい滑りました。
自分の場合ピッケルとアイゼンで止まりましたので大事には至りませんでしたが。
雄山から下山してる時に下からたくさんの方が登ってこられてましたが、昼からはさらに風も強く雷もあったので心配してました。
滑落されたみたいですが、ご無事でなによりです。
お互い気を付けましょう。
同日ほぼ同時刻ですか、あの時のシビアな状況を共有された方からの書き込みということで、ちょいと嬉しくなってきます。大事にならずにすみました。有難うございます。
とはいえ、かろうじて生きながらえた身となれば、力不足は明白、ホント自重せねばと。お恥ずかしいかぎりです。
帰阪して後、あの日の雷(おそらくそうだと思われます)で、同じ西宮市、住所によればすぐ近所の女性の方が亡くなられたとの報を目にし、そこで初めて我が身を顧み、背筋の凍る思いがしました。
持ち帰った傷も癒えてきましたので、昨日はやや近隣の赤坂山を歩いてきました。
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