開聞岳
- GPS
- --:--
- 距離
- 4.0km
- 登り
- 785m
- 下り
- 0m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
写真
感想
開聞岳へ
五月四日。熊本から国道3号線で鹿児島に入り、南九州道という有料道路で目的の指宿スカイラインに入ったが、早朝なので有料道路の入口が開放されていて、ついに無料で走りぬいてしまった。このスカイラインは薩摩半島の天井を走り抜けているような印象をうけた。午前六時頃、スカイラインの出口をでて県道17号線を池田湖めざして走る。今日も天気はよい。県道17号線から、はじめて開聞岳を見た。富士山のような円錐形の美しい形ですぐに分かる。 千賀平自然公園で車を止め休憩。午前七時頃だ。隣に山口ナンバーの車が止まった。同じように旅をしている人がいるんだと思った。我々のような夫婦二人旅らしい。先に公園に入って行った。ここがどんなところかも知らず、裕子をつれて公園を散策することにし手、先ほどの二人づれの後をおっていく。一段高い丘につくられた公園は、開聞岳の眺望が見事だ。
『これほど完璧な円錐形もなければ、全身を海中に乗りだした、これほど卓抜な構造もあるまい。名山としてあげるに私は躊躇しない』と、深田久弥は書いたが、この時、私もこの山を百名山に挙げたことに同意した。また実際に登ってみてもその感を強くした。
千賀平自然公園はツツジの花の庭園もすばらしい。先ほどのご夫婦が写真を撮ろうとしているので、こちらから声をかけて二人をツツジの中にたたせてカメラのシャッターを押した。われわれも勧められたが裕子が妙に遠慮する。私たちよりまだ若いご夫婦だと裕子は言う。今日は開聞岳に登るのだそうで、後でお会いしましょうと言って別れた。
みちのり
はるかなる道程越えて我来たる開聞岳見ゆつつじ咲く丘
池田湖は花畑が美しく、背後の開聞岳が千メートルの山とは程の高さに見える。色とりどりの花の賑わいと、菜の花畑の一面の黄色の美しさを楽しんだ。思わぬプレゼントをもらったような気分で池田湖の景色を楽しんだ。裕子も喜んでいる様子がわかる。ここでも先ほどのご夫婦と一緒になった。お互いに言葉を交わし、親しくなった。写真をここでも撮り、お互いにシヤッターをおしあった。奥さんも若々しく闊達そうに見えた。裕子に開聞岳に一緒に登りましょうと誘われたが、裕子はのらなかった。山口のご夫妻もとても仲よしだ。「お先に」と声を掛けて開聞岳にむかった。
菜の花の彩り添えるみずうみに開聞岳はくろぐろせまる
裕子は午前中山川町にあるフラワーガーデンで時間を過ごすことにした。祖母山では林道のなんにもないところに置いていかれたと、ブーブー言うので、今日は多少ましな過ごし方ができるだろう。公園の開園時間が休日のため早く、すぐに入園できた。下山したら帯電話で連絡するからと言って、私は登山口に向かった。登山口の下の駐車場にうまく車を止めることができた。午前八時半であった。上部に岩稜帯があるときいているので、登山靴を履いた。登山口から密林のなかの山路で、海のそばという雰囲気はまったくない。登りはじめてまもなく、千賀平で会った山口市のご夫婦に出会ったが、「あっ、どうも」と言うだけで、私は先を急いだ。十二時には下山したかったので、ともかく飛ばして歩いた。合目の道標があって、五合目から六合目の間が少しながかったが、またそこから九合目までの登りが螺旋状に路が作られているとは言え、結構急な登りであって、苦労する。
軽やかに児は登り喘ぎつつ親登りゆく開門岳の七合目
家族連れが多い。団体も多い。七合目を過ぎて、展望が得られるが、霞んでしまって海も青々とはせず、空と海のくべつがつきづらいほど白々としていて、今日も眺望はよくない。二時間かからずに頂上にたつことができた。裕子に山頂に着いたと電話を入れる。しかし、とんでもない失敗をてしまった。使い終わったインスタントカメラを持ってきてしまったために、山頂の記念写真が撮れなくなってしまった。百名山を全部登ったとしても、山頂の写真が開聞岳はないということになる。大失態だ。やむを得ない。山頂で二十分ほど過ごした。この山は登ってきて思ったが、アルプスの山のアプローチのような道筋もあるし、岩場や急俊な登りもあり、じつにバラエティに富んでいて、ゆっくり登ったらおもしろい山だと思えた。山頂の下に樹林に覆われた窪みがあり、これは火口であり、この山が火山であることがわかる。この山は九世紀に一度爆発市、その後千年休んでいる休火山だという。
千年を眠りつづける火口底緑り色濃く樹木は隠す
山頂からは遠く桜島がうすく霞んで見える。長崎鼻と池田湖はわかったが、海は霞んでいて期待した南方の島は見られなかった。山頂も混んできたので下山することにした。下山は一気に駆け下ろうと思ったが、登ってくる人が絶えないので、待ち合わせに時間がかかる。あの山口の二人に出会うかなと思っていたが分からないまま、下山してしまった。
携帯電話で下山したことを裕子に伝え、フラワーパークの入口で待つように指示した。十五分ほどして裕子と合流した。駐車場も満杯で観光客に溢れていた。さすがに連休期間であると思った。
知覧の武家屋敷
下山するとすぐに携帯電話で裕子に連絡を入れ、公園の入口で待つよう指示した。
裕子は早く下りてきたので少し驚いていた。実際二時間半で往復してきたのだから、我ながら早いと思う。これからどうするか、指宿の砂風呂にも行きたいと思ったが、混雑していると思い諦め、ガイドブックにあった町営の流し素麺を食べに。池田湖への途中にあったが、昼時ということもあったが、超満員で一時間以上待ちますというアナウンスがあったので、ここも諦めてめて、知覧に寄ることにした。案内書には、高城庵という地場料理の店が武家屋敷のなかにあるということが書かれていたので、そこを目指した。
結論的に言うと、寄って正解。知覧は特別航空隊の基地として、その歴史のなかに悲しい一面をもってはいるが、武家屋敷をめざした。
武家屋敷は城跡の一角に形成されていて、昔の武家屋敷の庭園が開放されているのだ。家はすでに建て替えられたりしていて、昔の造りではない。その庭はそれぞれが見事なものであったが、正直そのよさは説明を受けないとわからない。その中の高城家の屋敷を料理屋に開放している店があり、薩摩の強度料理を提供している。ここは落ち着いた雰囲気で、隣には外国の学生と思われる四人組の旅行者が上手に箸を使っていた。私は開聞で食べ損ねたそうめんと薩摩揚げを注文した。味もよく是非お勧めしたいスポットである。
武家屋敷の中に知覧の古い「曲がり屋」が保存されていて、そこの女主人のもう八十になるという婦人が大変ことば巧みに、また知的にユーモラスに曲がり屋の特徴を説明していたのがとても印象に残った。
二人とも知覧を訪れたことにとても満足した。いい町であった。その後鹿児島市に出た。鹿児島の街はさすがに大きかった。健康ランドを探したがない。ラドンセンターで風呂に入り、休息したが、食事しそこねたのでコンビニですませた。その夜は霧島へ行く途中のモーテルに泊まった。行き当たりばったりの旅である。
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