燕岳
コースタイム
燕山荘6:24-6:57燕岳-7:37燕山荘8:32-9:16合戦小屋9:52-富士見ベンチ10:14-10:53第3ベンチ11:17-第2ベンチ11:41-第1ベンチ12:04-12:39登山口(中房温泉)
天候 | 1日目:曇り。 2日目:晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
温泉:最寄は中房温泉又は、有明温泉。登山口からかなり離れた所(車で30分程度)に温泉あり。 登山ポスト:中房温泉。 登山バッヂ:燕山荘にオリジナルバッヂが多数。 駐車場:登山口の近くに市営の駐車場がありますが、ハイシーズン時はあっという間に埋まる可能性があります。いっその事遅く行った方がいいかも知れません。 その他:燕山荘の別館の梁は低い所にあり、注意をしないと頭をぶつけます。かなり痛いので気をつけましょう。 なお燕山荘では水をかなり自由に使えます(もちろん、節水はしてくださいね。)。 ただしこの時期は別館、自炊場では夜、早朝は水道管が凍って水が出ません。(本館は大丈夫なようです。) |
写真
感想
燕岳は以前から登りたかった山でした。
きっかけは新田次郎の「孤高の人」。加藤文太郎が夏の燕岳に登る描写があり、まず勝手に夢想を膨らませていました。
そしてヤマケイJOYの日本アルプス特集でハイマツの緑と花崗岩の白が余りにも対照的であり、こんな山があるのか思い、いつかは登りたい、そして景色を眺めてみたいと思っていました。
しかし北アルプスは遠く、なかなかその機会を持つ事は出来ませんでした。
今回たまたまその機会を持つ事ができ(幸運なのか、不運なのかは別として)、登る事ができました。
合戦尾根を登る間は天気が悪く、雲のお陰で周りの眺望は良くなかったのですが、夕焼けに映える燕岳は美しく、来て良かったと心から思いました。
また雲海の中から、山々が浮かび上がっている、翌朝の景色は素晴らしく、素晴らしい眺望を楽しむ事ができました。
燕山荘から、燕岳山頂に行くまでの間に眺めた北アルプスのパノラマ風景、とても贅沢な時間を過ごしました。
行きと異なり、天気の良い帰りは槍ヶ岳を眺めながら尾根を下っていきました。
文太郎よろしく、いつかは行ってみたいですね。
・1日目:
出発当日は早く起きなければいけないにも関わらず寝坊をしてしまい、また寝不足から高速道路のパーキングエリアで休憩を摂らなければいけない状態でした。
眠っていると、雨がサンルーフを打ちつける乾いた音がし、目が覚めました。
「ああ雨なのか、天気予報通りとはならなかったのか」
まどろみながらそんな事を考えていましたが、そのまま起き上がる事はできず、眠り続けてしまいました。
やがて気を取り直し、中央道を走りながら、ふと先を眺めると雲を被り、山頂が全く見えない八ヶ岳が見えて来ました。
どこもこんな状態なのだろうか・・・と思いながら車を走らせて行きました。
豊科ICを降りてから、北アルプスを眺めると山々は雲を被っており、駄目かも知れないと思いました。
慣れない道を走って行くと、気が付けば道を間違え、登山口に着いた時は既に正午を回ろうとしていました。
運良く駐車場に空いているスペースがあったのはラッキーでした。恐らく早めに下山した人がいたのでしょう。
12時になろうというのに登山口には大勢の人がいました。(・・・って自分もその一人。)
登山ポストに山行計画を入れ、トイレで用を済まし、軽くストレッチをしてから登って行きました。
登り始め早々に曲がった木の幹に頭をぶつけて倒れてしまいました。
(下手をするとそのまま滑落しますので、気をつけましょう。)
気を取り直して笹の中の登山道を登って行きました。
高山植物の花々を見ることは殆どなく、木の実を見る程度でした。
(花を見る季節はもう過ぎていました。)
合戦小屋に行くまでのルートは結構急なルートで、途中何度も息を切らしました。
途中、富士見ベンチに行くまでに勢い良く下っていく若い男性に出会いました。
余程元気なのだろう、若い内はアグレッシブだな、と四十路前の自分は思いました。
曇っていたお陰で陽射しはきつくなかったのですが、眺望は悪く黙々と登っていきました。
合戦小屋に着いた時は既に15時を過ぎており、本来ならアウトなのですが、合戦小屋に泊る事はできません。
途中会った下山者によると、幕営場は既に満員との事でした。
そのため、合戦小屋では既にその為の告知がしてあり、合戦小屋でもテントが何張か見かける事ができました。
今回は燕山荘で自炊を考えていたので、何とか泊れるだろうと高を括っていたのですが、スケジュールの遅さから、まずい事になるかも知れない・・・そんな不安に駆られました。
テントを持ってくれば良かったと、つい思ってしまいました。
合戦小屋では休憩を取り、食事をしたのですが、この時に同じテーブルで自炊をしていた二人組みに話を聞くと、彼等はテント組みだが、他に同行している人達がおり、彼等とは合戦小屋で燕山荘での幕営組と二手に分かれたが、無事にテントを張れたか心配だとの事でした。
この時、天気は悪くなってきており、寒くなり、一時期霰(あられ)が降っていました。
「寒さは厳しくなるかも知れない。」
食事を済ませると、防寒着とレインウェアと着込み、山頂を目指していきました。
合戦小屋から燕山荘までの尾根はきつくなく、特に息切れすることもなく登っていきました。
また心配していた雨、霰も以後降ることはありませんでした。
降らなかったのは幸運でしたが、日は刻一刻と落ち、気温は下がっていきました。
やがて燕岳と燕山荘が見えてきました。
後少しなのに、直ぐそこなのに辿り着かない。
一歩一歩を進んで行くしかないとはいえ、どうしても気が焦りました。
燕山荘の側でお花畑を見る事ができました。
花はすでになくなりかけていましたが、時期が早ければ、素晴らしい景色を見ることができた事でしょう。
花の名前を良く知らないのが、悲しかったです。
燕山荘からは、夕焼けに映えた燕岳を眺める一望する事ができ、宿泊手続きをする前についついカメラのシャッターを押してしまいました。
一息ついてから、景色の余韻を楽しみ、燕山荘に向かい手続きをしました。
宿帳に記載をしていると、ヤマケイの編集者(記者?)が燕山荘の方に挨拶をしていました。
どうやら山ガールの特集記事を組むらしいとの事でした。
カラフルな山ガールに燕岳、・・・合うな。
宿帳を記載後に別館に案内されました。
別館を案内してくれた若い従業員の方によると、少し風が吹いているので気温は体感的には既に零下5℃程度となっているとの事でした。確かに寒かったです。
山頂の天気は悪くなく、朝から晴れていたとの事でした。
麓と山頂とでは大分天気が異なるのだな、と思いました。
別館の天井の梁は低く、何度か頭をぶつけてしまいました。
気をつけているのにぶつけてしまう・・・情けなかったです。
この時知り合った方にお酒に呼ばれました。
その方は山口県の方で、定期的に北アルプスに来ているとの事。
昨日に発ち、名古屋で一泊をしてから、朝一番の列車でこちらに来たとの事でした。
良く良く来れるものだと感心していた所、話によると北アルプスで初めて登ったのが西穂高との事でした。
行った事もない自分はこれにはまた驚いてしまいました。
さてお酒を売店で買い自炊場に向かいました。
河豚のひれを入れた酒を一煮立ちするまで火を通し、冷めるまでの間につまみを準備しました。
つまみは河豚の一夜干しに牡蠣の燻製でした。
一夜干しは火で炙り、その後に酢橘をかけて食べました。とても美味しかったです。(山口県の西では刺身なども酢橘と醤油などさっぱりとした味付けで食べます。)
牡蠣の燻製は、チーズのような味がし、大変変わった味がしました。
実は私は牡蠣は苦手で、あの生臭い臭いをかいだだけでだめなのですが、牡蠣の燻製はそれをわかりにくくしており、味わう事ができました。
自炊場のテーブルは2つあったのですが、大きなテーブルは他の団体に占領されており、彼等がいなくなってからは、他の団体が来て直ぐに占領されてしまいました。
彼等は若い6人程度の男女の組なのですが、食事の様は正にパーティ。
パスタなどを分け合って食べていたのですが、登頂時から担いできたワイン、チーズを持ち込み大きく盛り上がっていました。
また同行者の誕生日だったらしく、ケーキも持ち込んでいました。
その場でバウンドケーキに生クリームを塗り始め、かなりの道具等を担いできたようでした。
若いとはいいな、と思いました。
お酒を飲み終えた後、同行の方は食事付きで宿泊していたので、食事に行きました。
私は持って来たチキンのリゾットを食べました。
・2日目:
別館の宿泊者数は満員になる程多くはなかったので、ゆったりと横になる事ができました。
途中何度か目が覚めましたが、体を休めることができたと思いました。しかし残念な事に、朝は頭痛に襲われました。
耐えられない痛みではないのですが、この頭痛が昨夜に飲んだお酒による二日酔いから来るものなのか、高山病から来るものなのか、梁にぶつけた事に因るのかは、大変判断に迷いました。
気を取り直して外に出いきました。
時間は朝の4時20分。
外に出て、景色を眺めると綺麗な朝焼けが見えます。
早めの朝食を取り始めました。
自炊場には既に何組かの人々がいました。
腹ごしらえにと、餅を4個焼き、味噌汁を飲みました。
炊事場の水は、配管が凍結しており、出ませんでした。
自炊道具を戻してから、朝焼けから日の出までの景色を眺め続けました。
南の方角を見ると、雲海の中から浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプスが見えます。
北に目をやると槍ヶ岳を始めとする北アルプスの山々、そして朝焼けに映える燕岳が見えました。
山座同定は得意ではないのですが、登山地図のうろ覚えと、山座同定標と照らし合わせると浅間山から太陽が上るようでした。
たまたま大阪から来た親子連れに山の位置を聞かれて、(富士見ベンチから見えるはずの方向に富士山らしい山があったので)自分の考えを説明すると、彼等は富士山がわからなかったようでした。
彼等は「あれが富士山か〜」としきり感心していました。
関西方面からは富士山は見えないのが大きな原因のようでした。
これはちょっとしたカルチャーショックともいえるかな・・・と思いました。
(最初は浅間山を八ヶ岳かと思っていたので、私は人の事は笑えません。)
やがて日の出が浅間山から上ってきました。
それを眺めている皆が一斉にシャッターを切ります。
やがて太陽は上がり、背後にある槍ヶ岳をピンク色に染めて行きました。
それに気がついた人々は今度は反対側に向かいシャッターを切り始めました。
私は私で燕岳とのツーショットを他の登山者の方に撮って貰った後に、景色を楽しみ部屋に戻りました。
部屋ではザックの荷物を減らし、必要最小限の物だけにしてから、山頂を目指しました。
山頂に向かうまでの、奇岩を眺めるのは燕岳ならではと思いましたが、
途中に北アルプスのパノラマを眺める事は、とても贅沢だと思いました。
山の稜線を眺める楽しさというのはやはり素晴らしいです。
北アルプスを登る人で縦走を楽しむ人が多いのは、山そのものの魅力はもちろんだが、
こういった眺めを楽しむ事が多いのに違いない・・・と勝手に思ってしまいました。
いつかは行ってみたいですね。
この時に地図を持ってこなかったのが悔やまれました。苦手ではありますが、山座同定がしたかったです。
燕岳からの景色を楽しんだ後、燕山荘に向かう途中、小学生低学年ぐらいの子供を連れ、両手をつないで並んで歩いている親子とすれ違いました。
以前日光白根山で見かけた親子を思い出し、確かに子供でも来れなくはないか・・・と思いながらすれ違いました。
(正直、私は並んで歩くのは感心しません。・・・気持ちは分かるのですが。以前丹沢大山で滑落事故があったのを思い出してしまいました。)
燕岳から戻ってから少し休憩をして、今朝見た雲海から出ている山々を再度望みました。
そして荷物をザックに戻し、槍ヶ岳などの山々を眺めながら下山をしました。
行きは楽だった筈の尾根は下りではまた別でした。
最初は登山地図上の標準時間よりも早く下山していましたが、やがて下りのショックが足にきました。
今回はストックを持ってきていなかったので、下山時の衝撃がどうしても足に伝わりました。
膝への衝撃がないように、慎重に下っていましたが、その分ふくらはぎと太ももに来ました。
やがて足はがくがくになりました。
休憩を各ベンチで取り、軽い食事もしながら下って行きました。
加えて途中、ツアーの団体客とすれ違いましたが、人数が余りにも多く、すれ違いにとても時間がかかりました。
私自身は休めるのと思って気にしていませんでしたが、このペースはかなり遅かったらしく途中で何度も他の登山者に抜かれました。
着いた時は既に正午を回っていました。
当初の予定時間より、2時間弱はオーバーしたような気がしました。
中房温泉に着いた時は、既に足は満足に上がらず、そこから駐車場に行くまでの距離がとても遠く感じました。
駐車場に着いてさて帰ろうかとした時でした。
昨日の到着時から近くに滝があるのが気になっていたので、ちょっと見に行きました。
一つ目は見る事ができたのですが、二つ目は見る事ができませんでした。というのも、かなり上まで登る必要がありそうで、
登ったとして果たして帰ってこれるのか、大きな不安があったからです。
また今度、余裕があったら行ってみよう・・・と思いました。
帰りは有明温泉をあえて避け、かなり下った所で温泉に入りました。
その後、2時間程眠って疲れを取ってから、そこを後にしました。
・・・が、ここで食事ができたら良かったなぁ。
温泉を出たのが夕方前の中途半端な時間だったために、食事をする所は限られていました。
豊科IC側の安曇野スイス村の「古ばやし」で天ぷらそばを食べ、ついでに赤ワインを買って帰りました。
帰りの道程は長く、走っている内に眠くなり、何度も休憩を取ってしまいました。
家に着いた時は明るくなり始めており、予定からかなり大幅にずれてしまいました。
着いたその日から直ぐに筋肉痛になり、痛みは3日間取れませんでした。
完全な運動不足、基礎体力不足でした。
いつかまた行きたいので、早く体力をつけたいです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する