神蔵山・大文字山
- GPS
- 141017:35
- 距離
- 25.7km
- 登り
- 1,396m
- 下り
- 1,453m
コースタイム
- 山行
- 7:23
- 休憩
- 1:34
- 合計
- 8:57
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:阪急京都河原町 |
コース状況/ 危険箇所等 |
比叡山本坂コース、比叡アルプスは明瞭な道。比叡アルプス先端まで行くと下山に苦労する。中尾山へは踏み跡あるかなしか |
写真
感想
JR湖西線比叡山坂本駅で降り真直ぐ西に延びる延暦寺参道を歩いた。桜並木が満開で素晴らしい。コロナウィルスの影響で外出自粛が浸透しているようで人通りは殆ど無い。赤鳥居に到ると真直ぐ石段が始まった。本坂コースと云われる道でケーブルの出来るまではメインの参道だった面影がある。横川への林道が交差し更に続く石段を登ると途中に五大堂があり立ち寄った。石段が途切れ広い参道が続き辿って行くと右手に石垣が見えて来た。建物は朽ちているが亀堂のようだ。
亀堂から分岐して神蔵山を目指した。先ずは背後のP614に登る。微かな踏み跡を辿りピークに達すると樹林の中に祠があった。標高535mまで下ると北側を巻いて来た道に合流した。延暦寺の僧侶の墓と思しき丸っこい墓が立ち並ぶエリアを進みピークに達すると慈覚大師廟があった。慈覚大師円仁は最澄に師事し関東・東北布教に尽力、後に遣唐使として中国天台山に遊学、第三代天台座主に勅任された。死後、淳和天皇から最澄に「伝教大師」、円仁に「慈覚大師」号が贈られた。廟を過ぎると植林地のフェンスがあり破れ目から尾根を辿りピークに到ると神蔵山(552m’)山頂で山頂標識には「2020年3月12日 KHクラブ」とあり20日程前に設置されたばかりのものだった。植林の間から三国岳(656m)の日吉神社奥総宮や神宮寺山(447m)を望むことができた。
亀堂に引き返し少し進むと根本中堂に達した。折しも大掛かりな工事中で工事屋根にすっぽり覆われていた。延暦寺会館から車道を歩きケーブル延暦寺駅に到ると、何故か鳥居があり無動寺参道を進み無動寺明王堂に到った。白装束の僧侶が草鞋履きで回峰行の行者が被る藁笠を小脇に堂前で祈願していた。甍越しに琵琶湖の展望が素晴らしい。隣には不動堂があり僧侶が清掃中で箒目を立てて清浄さを醸していた。滝行の行場があり迂回して東海自然歩道へと進んで行った。
P624にも鳥居があり神社はないのに何故此処にと訝しい。更に進むと桜茶屋跡で此処にも鳥居があった。比叡山ドライブウェイに近づくと病ダレで大鳥居への道が分岐した。東海自然歩道は夢見ヶ丘方面に分かれて行きロテルド比叡に到った。以前は星野リゾートの系列だったが今は京阪の経営となっている。ドライブウェイを横断し一本杉の展望台に到った。此処で合流する友人の到着を待つ。マウンテンバイクの軍団が現れ比叡アルプスへと下って行くようだ。大汗をかいた友人が現れた。本番は明日と思っていたそうで今日は所要時間を知るために下見に来たと言う。
MTB軍団の出発後、3人で西へと進み大鳥居分岐に到ると友人は西に下って行った。再び二人になり比叡アルプスを先に進んだ。稜線はミツバツツジが咲き目を楽しませてくれた。登山者の少ない尾根だが殆どの記録を見るとP383の手前から地蔵谷に下っているようで尾根の先端まで行っている事例は殆どないようだ。軈て尾根は断崖となり道は無く獣道を辿って谷へと下り何とか白川に下り立つことができた。問題は流量の多い白川の渡渉で滝の上流に迂回して渡渉点を見つけた。ラジウム鉱泉の不動温泉に到り、同行者の記憶を辿り尾根の取付きを確認するため地蔵谷を遡ってみることにした。切り立った斜面に登路は見出せず堰堤まで行って昼食休憩を取った。
山中越えの府道を歩き三本目の谷を目指して行くと簡易な鉄橋があり白川を渡った。谷道ではなく北斜面のトラバース道で中尾山に近づき谷を登って中尾山稜線に達した。明瞭な道があり山頂に達するが山頂標識はなかった。引き返して大文字山を目指した。次の280m程のピークに“中尾城址”のプレートが掲げられ平らな地形や盛り土に廓の跡を感じさせられた。比叡アルプス歩行中に地形図を無くしてしまい細かいことが分からないまま歩いて行くと分岐道が次から次に現れもう殆どコンパスの示す方向と勘だけで進んで行くと谷を横断し違う方向に行ってしまいそうなので道は無いが斜面を這い上ると明瞭な道に復帰した。軈て火床から山頂に向かう正しい道に合流し大文字山(465m)山頂に到った。
今日の山頂は、14時と云うこともあるが、15人ほどで一週間前の賑わいはなかった。春霞に包まれ遠望は利かないが大阪のビル群のような輪郭は辛うじて見ることができた。廻り込むようにして楼門の滝への下山路に入った。泥濘み倒木が多い。俊寛僧都忠誠之碑に到り、楼門の滝を見て大文字火床へのトラバースを目指していたが深い谷にトラバース道を見出せずそのまま矢留鬼不動に下ってしまった。今更登り返して行く気にはなれず人が少なく見頃の桜を愛でながら哲学の道から岡崎の疏水端を歩いて三条京阪で解散した。
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