八重山・能岳・虎丸山お花見ハイク2


- GPS
- 03:56
- 距離
- 11.0km
- 登り
- 512m
- 下り
- 573m
コースタイム
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
今日の二つ目のコース、本厚木駅から横浜線、中央線と乗り継いで上野原駅に出る。早朝、横浜線で人身事故があり、止まっていたので心配したが、3時間後には復旧していた。中央線の中で昼食用。100円ウィンナと〔自宅から持ってきた)レバーペースト、チーズと一緒に購入した100円のぶどう入りロールパン5個のうち4つを食べる。これで八重山・能岳はがんばれるぞーー。
上野原駅11時半過ぎ、トイレを済ませてバス停まで出たら本町二丁目行きバスが出る寸前、飛び乗って、新町で降りるか、大堀まで行くか迷ったが、いつ日差しがなくなるかわからないので、大堀まで行くことにした。
バスがほんとに大堀まで行くか不安になり、GPSを作動させたので、GPSログが手前から始まっているーー。
大堀で下車し、上野原中学校の方に向かって登る。途中上野原美術館を通過、今回またもや寄る時間なしーー。
中学校まえに八重山入口の舗装道路があり、その手前にも山道入口がある。そこをのぞくと「厄神・山ノ神」という案内板と「虎丸山・能岳」という手書き道標がある。できれば帰路はここに降りてこようと考えるーー。
八重山コースはかなりきちんと造られた広い歩道だ。旧道などを機械力で切り開いて拡張整備した道と思われる。こんなに切り開いてシュンランなど残っているのかなーーと思いながら進む。沢を横切る。ふと沢を見上げると一輪カタクリが咲いているので、さっそく撮影するために沢沿いの踏み跡に入る。
12時13分、分岐に出る。視覚コースと、触覚・嗅覚コースで上で合流する。ユニークな名前だ。触覚コースはトレラン・レースのコースに指定されているようだが、やや暗い。おそらくシュンランは明るいほうが良いだろうと視覚コースに進む。
少し登って角を曲がると、少し開けて尾根の稜線が近くなる。するとシュンランが現れ始める。シュンランコースでないのに次々と現れて途切れることがないーー。かつてはシュンランなど山ではありふれた植物だったが、今や、開発や盗掘で自生地は激減している。中央線沿線のマイナーコースで時折見かける。以前たくさんあった生藤山付近でも最近はあまり見かけない。昨年は秘密の場所を見つけて、ルンルン気分だったが、今回もすばらしいコースに出会った。上から降りてくる女性ハイカーとすれ違い、挨拶する。
少し先でシュンランコース分岐〔とは書いていないが)、地図と写真で周辺の見所を説明している。「シュンランが多い」と書いてある場所に向かう。八重山山頂を巻くように進む。道はかなり切り開かれて、斜面が少し崩れている。こんなところで咲くのかなーー??と思うが、やはり咲いていた。しかし先の尾根沿いの道ほど多くない感じーー。すこし拍子抜けーー。撮影を終了し、八重山山頂に向かって少し戻って殻登り始める。
稜線に出ると道標があり、ここにはシュンランコースと書いてあるが、下の分岐にはない。すぐ山頂に出て東屋と山名板がある。山頂付近にもシュンランは依然として咲いている。山頂からは前道志の山々、権現山・扇山などがかすかに見える。ここは撮影だけで休憩なし。能岳に向かう。
能岳に向かう道にもシュンランは咲いている。途中、山風呂・上野原中学という手書きの古い道標が、大木に貼り付けてあり、その少し先に虎丸山分岐、その先に山頂があった。
能岳の先に下山路の明瞭な踏み跡があるが登山地図では赤線で黒田川方面(聖武連方面)に向かう道だが、なぜか道標はない。
分岐に戻って虎丸山に向かう。ここからはシュンランはぐっと少なくなる。虎丸山の北斜面のせいかなーと思ったらまた現れる。向風(むかぜ)集落への分岐、山風呂への分岐、西シ原(?)分岐などが次々現れ、あまり歩かれていない雰囲気で少し不安になるが道は明瞭だ。20分強で祠〔奥社?〕のある虎丸山〔468m〕に出る。「西シ原≒どう読むの?=」という道標の方向と信じ、そこに向かう〔消去法〕。しかし途中、道標に西シ原集落と西シ原霊園というように道が分かれる。霊園と集落、どちらに行けばよいのかーー上野原中学とでも書いてくれればわかりやすいのにーーと心の中で文句をいいつつ、消去法で霊園に向かう。集落は地図上では上の中学より、大分西側だ。後で地図をよく見ると集落のすぐ南側に霊園=墓地記号があった。地図を良く見るべきだったが、間違えなかったのでラッキー。
霊園方向に下ると、今度は古い手書き道標で、霊園と上野原中学の分岐に出た。ここは虎丸山の次のピークを下った鞍部。上野原中学の方向は再び430mピークに向かって登っている。いい加減疲れてきたので、登りの急斜面を見て、オエー、と思ったが、たいした標高差でないので、頑張る決意。朝見た分岐に戻るのだーー。そうすれば上野原遊歩道入口に近い。
登りきると小びろいピークにビール瓶ケースが椅子代わりに3つ置いてあり、鳥居があった。おそらく村の人が参拝や道普請作業の休憩用に置いたものか??少し下ると手書き道標がいくつもかかっており、8分くらいで下の山ノ神の祠のある平坦地に降り立った。そのすぐ先に、登りはじめに見た分岐があった。
そこから中学校前の舗装道に出て、そのまま右側の沢沿いの脇道を進んでみる。農家の畑の桜の大木が見事だ。上野原遊歩道=根本山入口は、わき道徒歩騒動の合流点から少し戻る。このまま遊歩道を歩かず、大堀バス停に戻ってバスで益まで行こうか、迷ったが、どうせ日差しがほとんどなくなり、藤野駅によってオキナグサ畑を見に行くのも考え物ーーこれから予定している恵比寿の写真美術館での「福島を忘れない」の上映会もそうしたところで16時の回には間に合いそうもない。それなら遊歩道を駅まで歩こうーー。
遊歩道入口の舗装道脇になんとシュンラン発見ーーこんな舗装道の脇にも咲いているとはーー。遊歩道ってどんな道なのかなーーと思いながら進むと集落の大きな墓地に向かっている。そこから左折して墓地の下を直進、直進と手書き道標ーー道はお墓の縁を進み、下の畑への踏み後と墓地に登る道と分かれている。墓地に上ってみる。進むと右の杉の木の幹に根本山の手書き道標。これでよしと安心して登ると最初のピークの先に秋葉山が見える。神社への入口に鳥居のある階段がある。2時半過ぎ、今日は時間がないので、秋葉神社には登らずに巻き道を進む。巻き道の合流地点で秋葉山と根本山の休憩舎と書かれた道標。山頂には休憩用の東屋が整備されているようだ。そこから10分くらい進むとわかりにくい4差路の分岐。最初間違えて工業団地方面に進んでしまう。気がついてあわてて引き返し、道標を良く見て根本山方向に進む。少し進むと市立病院や日大明訓高校の分岐を通過、少し進んで根本山山頂に出た。東屋や石碑などがある。遠く、前道志の山々がかすんで見える。
山頂付近にはヒメオドリコソウやスミレなど、撮影しながら駅に向かう。下って行くと桜の木や新しい家が目立つ。その向こうに上野原の町並み、さらにその奥に高柄山方面の稜線がかすかに見える。5分くらい下って、入口の種苗店に出る。その先のバス停を見るとバスは当分来ないので、駅に向かい、15分弱で駅に到着。その間、近道を探し当てることができた。別方向から何度となく歩いた道だ。
上野原駅で「のどごし生」を飲みながら残った食料を平らげ、疲労回復を図る。15時38分の中央特快に乗り、新宿で埼京線(りんかい)に乗り換え、恵比寿に向かう。ガーデンプレイスの中にある写真美術館まで歩いて「ふくしまをわすれない」の最終回のチケットを購入し、最終回の6時半まで時間があるので夕食に出る。
この映画は朝日ニュースターで津田大介氏の番組で四ノ宮監督との対談があり、それで知って、なんとか最終回を見ることができた。全村避難となった飯館村に残る人々、家族のその後を追ったドキュメンタリーで、フィリピンからの花嫁が多いのに驚かされる。妻と子供がフィリピンに一時避難している最中に首をつった借金地獄の酪農家、その亡くなった夫のパスポートをお守りにして涙する妻、ドキュメンタリーの中心の別の家族もフィリピン妻だ。農家だったが、親が倒れ、仕事を一人ではしきれなくなり、建設作業に仕事を変え、妻も村に残る電気関係の工場で仕事をし、内職までして一家を支える。しかし夫は疲労からか、作業中に転落し脊椎損傷で寝たきりになる。撮影も継続できなくなるーー。別の酪農家は、新橋でアピールし、東電に損害賠償を要求、酪農会社は最終的に会社に5億円賠償するが、交渉してきた個人には入らないーー。様々な困難と闘う人々の姿を描いた貴重な映像、監督ありがとうという印象だ。監督はこれまで、フィリピンのスモーキーマウンテンの人々などを追って映画を作ってきた。タガログ語ができるので、今回、思いがけずに出会ったフィリピン花嫁たちと直接タガログ語でも話ができたので映画作りがスムース(戸はとてもいえなかっただろうがーー)に進んだようだ。さらに続編だけでなく、支援活動も行っている。今後全国で上映されるので、ぜひご覧ください。
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