記録ID: 2830594
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ハイキング
九州・沖縄
強者共に想いを馳せ鬼子嶽(岸岳)
2020年12月31日(木) [日帰り]
体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 02:49
- 距離
- 4.6km
- 登り
- 302m
- 下り
- 293m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:47
- 休憩
- 0:03
- 合計
- 2:50
伝説によれば、この山は古来より鬼が住んだといい、それが鬼子嶽の由来である。ただしここでいう“鬼”とは即ち、お上に従わない地方豪族をさしている。
長元4年(1031年)、乱を起こした平忠常が滅ぼされた後、その徒党である信州福原の武士稲江多羅記という者が九州に落ち延びて波多郷に住み着いた。
その子に狐角という強力の者がおり、鬼子嶽の要害に山砦を築き略奪強盗を働いて国守の手に余る暴れっぷりであった。
朝廷は四天王の一人で鬼退治で有名な渡辺綱の子、判官筒井源太夫久を派遣してこれを討たしめたという話がある。
文禄2年(1593年)には豊臣秀吉によって波多氏が改易され、当城は廃城となった。鬼子嶽の南、相知町佐里の集落が城下町の跡であり、当時唐津の町は存在していなかった。
山腹には無念に思った波多氏の家臣百人が腹を切った集団墓地もある。
城跡は1996年(平成8年)11月15日付けで佐賀県の史跡に指定された。
Wikipediaより
長元4年(1031年)、乱を起こした平忠常が滅ぼされた後、その徒党である信州福原の武士稲江多羅記という者が九州に落ち延びて波多郷に住み着いた。
その子に狐角という強力の者がおり、鬼子嶽の要害に山砦を築き略奪強盗を働いて国守の手に余る暴れっぷりであった。
朝廷は四天王の一人で鬼退治で有名な渡辺綱の子、判官筒井源太夫久を派遣してこれを討たしめたという話がある。
文禄2年(1593年)には豊臣秀吉によって波多氏が改易され、当城は廃城となった。鬼子嶽の南、相知町佐里の集落が城下町の跡であり、当時唐津の町は存在していなかった。
山腹には無念に思った波多氏の家臣百人が腹を切った集団墓地もある。
城跡は1996年(平成8年)11月15日付けで佐賀県の史跡に指定された。
Wikipediaより
天候 | 雪のち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
(登山口には駐車場があります) 駐車場入口は傾斜が有り底を擦るとの情報も。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
下りに使った南西尾根コースは一般路では有りませんが障害は無く、困難は有りませんでした。 |
写真
撮影機器:
感想
過去のレコにはお家存続をテーマにした不吉なレコも多い山なのですが、抜け穴の探検やバリルートの探検を含め歴史のロマンの感じられるとても興味深い山でした。
南北に伸びる急峻な稜線は絶好な要塞ですが個人的には下りに使った南西尾根の守りが弱いのでここから攻められたら終わりかと思います。
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