記録ID: 30714
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ハイキング
京都・北摂
五月山(315.3M) 大阪府池田市
2007年12月23日(日) [日帰り]

コースタイム
JR川西池田駅⇒(25分)⇒池田城跡公園⇒(10分)⇒五月平高原コース入口⇒(15分)⇒五月平展望台⇒(15分)⇒日の丸展望台⇒(30分)⇒望海亭跡⇒(5分)⇒五月山動物園⇒(25分)⇒JR川西池田駅
天候 | 曇り後晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2007年12月の天気図 |
コース状況/ 危険箇所等 |
■五月山 池田市や市民にとってシンボル的存在でもある五月山ですが、その枠を越えて大阪府民や近隣の市町村住人の憩いの場ともなっています。五月山は春夏秋冬様々な表情を見せ、猪名川の清流とともに私たちを和ませてくれます。 また、山にはハイキングコース、動物園、ドライブウェイ、ゴルフ場、大広寺、緑のセンターなど多くの施設を持ちレジャーなどの利用者に親しまれています。 大阪府でも有数の桜を有する五月山は桜の季節ともなると、近隣から多くの花見客が訪れて賑わいます。サツキツツジや紅葉の季節にも同様に賑わっています。 ■摂津 池田城 所在地: 大阪府池田市城山町 遺 構: 模擬天守、模擬門、模擬城壁、曲輪、堀 形 式: 平山城 築城者: 池田教依 築城年代: 室町時代初期 《みどころ》 池田城は、主郭部分が城址公園として整備された。(平成12年4月開園) 虎口・土塁・排水溝・井戸・枯山水の庭等が、発掘調査の結果に基づいて復元さ れている。 また、二層の模擬天守(櫓)と4ヶ所の城門(模擬)が新たに設けられている。 池田城は、五月山山麓の台地に築かれ、南と西側が崖と谷を利用した要害となっていて、東側は空堀となっている。 この空堀底の散策路を歩くと、公園化された城内では見ることのできない、城の往時の姿を偲ぶことができる。 《歴史》 鎌倉時代に築かれて、室町時代初に池田教依によって城としての形態が整った。 嘉吉3年には、池田充正(いけだみつまさ)が三の丸を拡張するなど城の規模拡大を行っている。 この頃に城下町池田が形成 された。 永正5年に、池田貞正は細川高国と戦い城は落城。 その後、貞正の子、池田久宗が池田城を奪回している。 永禄11年に織田信長が摂津に出陣したとき、池田勝正は信長に降伏し、摂津三守護に任じられている。 天正7年(1579年)に、伊丹有岡城主荒木村重が信長に謀反を起こした時、池田重成は荒木氏に従い、運命を共にした。 天正8年(1580年)に信長が、筒井順慶に摂津・河内・和泉の破城 を命じた時に廃城となった。 |
写真
感想
詳細は http://nature-pilot.com/2007/12/3153m.html
大阪府池田市の五月山に行って来ましてん。標高300メートルあまりとさほど高い山ではありませんが、都市部にある山やさかい交通の便がええんですわ。また、ハイキングコースが整備されていて全7コースあります。今回はJR川西池田駅から池田城跡公園を経て、五月平高原コースを登り頂上に位置する日の丸展望台へとたどり着きましてん。五月山というのは通称で正式には「千代山(315.3m)」いいますねん。日の丸展望台すぐ横の雑木の中に三角点もちゃんとありまっせ。帰りは自然とのふれあいコースから望海亭コースへと入り五月山動物園へと下山し川西池田駅へと戻りましてん。休憩時間なども含めて3時間弱のコース、家族ずれでも十分楽しめるコースやよって、お近くの方は登ってみてはいかがでっか。
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