増位山随願寺 古の史跡巡りと梅の鑑賞



- GPS
- 04:03
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 369m
- 下り
- 372m
コースタイム
- 山行
- 3:34
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 4:04
歩行距離7km、歩行時間3時間、歩行数12,400歩
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
電車:JR播但線「野里駅」下車。沢登りをする人は「砥堀駅」下車? 自動車:渋滞が恒常化している姫路駅から姫路城付近を避け、播但連絡道路「砥堀ランプ」または「豊富ランプ」から市川大橋を渡り、車で約10分。随願寺山頂駐車場(今回の出発&ゴール地点)利用。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
地形図上の道は歩きやすく、ほぼ正確にトレースされています。山道の道標も分岐ポイントには必ず設置されているので、随願寺の境内以外はアプローチするポイントさえ間違わなければスムーズに山行ができます。 ただし、増位山東尾根から下りてくるルートは一つ目の送電線を越えたところで地形図上の道を外れて念仏堂に向かう下山ルートがメインとなります。その分岐をスルーし、さらに東尾根を下ると、ルートはやがて地形図上の道を外れ、二つ目の送電線を越えたところで西南西に延びている岩盤状の尾根を下りて墓地経由で、念仏堂の南に出てくることになります<地図のトレース参照>。 随願寺の境内は道標がない道も多く、迷いやすいです。地形図では実相院墓所の北側に東西に延びる道がありますが、わかりませんでした。また、池田輝政の墓所から無理して南下すると道が不明瞭になり、多くの僧侶の墓所?を巻いて適当に木々の間を北上し最後は無理やり下りて地形図上の道に合流しました。 |
その他周辺情報 | 国宝姫路城が近くにありました。その他にも黒田官兵衛ゆかりのスポットが広峰山など、姫路にはたくさんありました。 |
写真
正面三間、側面三間、背面一間通り下屋付の奥の院の中心である方三間のお堂で、正面に承応三年(1654)の銘をもつ石燈籠が二基あり、随願寺に現存する建造物の中で最古のもので、国指定重要文化財です。
享保16年(1731)に建てられ、霊廟建築の遺構として貴重な存在で国指定重要文化財です。内部には徳川四天王と言われた榊原康政の孫で須賀藩、館林藩、白河藩、姫路藩の藩主を歴任した榊原忠次の墓所があります。鍵がかかっており中には入れませんでした。
随願寺は奈良時代の創建と伝えられる天台宗寺院で、慶安2年(1649)頃に姫路藩主榊原家の菩提寺となりました。本堂は元禄5年(1692)に建てられた大型仏堂で国指定重要文化財です。内部の見学は可能です。
実相院は33代姫路城主榊原政邦の側室です。婦人病に悩んだことから死後は同じ病に苦しむ人を救いたいと遺書を残しました。そのため、しもの病に神様のご利益がすぐに現れるとして詣る人が多いようです。
榊原政邦は宝永元年(1704)に姫路藩に入封し、領民の道徳と倹約を奨励する読書条目を発布したり、駿府城修築工事を担当するなど、名君と言われました。夫婦共に遺言により増位山に葬られました。
「地蔵院」とも称し、黒田職隆(もとたか)の弟(高友)が「安芸法印休無(きゅうむ)」(休夢)と名乗って、ここを姫路城の北の守りとしていた…と記されていました。この説明板の南西には堀跡のような溝が延びていました。
参道沿いには所々休憩ができる東屋があります。梅を見ながらゆっくりと散策するにはとてもいいコースです。東側の斜面に赤テープが何か所か見えましたが、ここが幻のびょうぶ岩への取り付き点なのでしょうか。
この辺りは梅の香りが満ちています。梅によっては5分咲きから7分咲きといったところでしょうか。来週辺り(20日前後)ぐらいがベストな状態になっているかもしれません。ここから石段の参道と新しい擬木の階段状の道とに分かれます。参道は沢沿いのため、濡れた石には要注意です。
この辺りは石垣の跡がたくさん見られます。増位山は三木の別所長治との間でたびたび戦場となり、天正元年(1573)に別所の軍勢が寺塔をことごとく破却しましたが、秀吉によって再興されました。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
スパッツ
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
アタックザック
ザックカバー
地形図
コンパス
ファスナー付クリアーファイル
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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備考 | お花見も兼ねられる山なので、お弁当や熱い飲み物を持参し、敢えてここで昼食を取るのもありです。くつろげる場所がたくさんあります。 |
感想
最初は梅の花が咲いていそうな地域に絞って山行計画を立てました。隣のたつの市には綾部山という西日本有数の大規模な梅林があるのですが、山としての楽しみはあまりなく、かつ人が多すぎて自然を純粋に満喫するには物足りないので、今回山そのものも楽しめそうな姫路の増位山に照準を合わせました。
昔、増位山という(公称)姫路市出身の力士がいました。大関まで昇進し、当時は史上初の親子大関として話題になった力士です。どうもこの山に因んでつけられた四股名のようです。山の本当の名前は“ますいざん”だったのですが、“○○ざん”という力士で出世した者はほとんどいなかったので、“ますいやま”にしたそうです。いつしか、山そのものも“ますいやま”が一般化しています。ちなみに力士だった増位山は歌手として「そんな女のひとりごと」が130万枚の売上を記録するなど横綱クラスでした。コース上で出会った地元(姫路市白国)の人に尋ねると、一度彼に郷土のステージ(現随願寺境内藤棚付近)で歌を唄ってもらう予定でしたが、当時は車道がなく現在の参道(歩道)を歩いて登ったために、途中でバテて歌が唄えなくなったというエピソードを教えてくださいました。
さて、今回のコース上には歴史上のビッグネームの縁の地や史跡がたくさんありました。詳しくは個々の写真に説明文とともに掲載しています。黒田家(官兵衛など)をはじめ、池田家(輝政など)、榊原家(政邦など)、豊臣秀吉、松尾芭蕉、在原業平・・・全国に名をはせた武将や文化人にまつわるエピソードが数多く残っています。姫路の梅観賞コースとして設定したコースが梅以上に歴史の宝庫であることに今回初めて気が付きました。また、猪の宝庫かもしれません(;一_一)…痕跡がいっぱい残っていました。
今回は大半が歩きやすいコースを進んだのですが、唯一“幻のびょうぶ岩”探しのために道なき谷を上っていきました。そんなにひどいヤブではありませんでしたが、途中カラスザンショウ<写真22参照>という柑橘系の臭いからは想像できないサボテン以上に凶器に近い植物を見つけました。DASH島(TV番組)でも話題になっていた植物です。もし直接手で握っていたら血だらけになっていたでしょう。結局、往復25分かけたものの、幻のびょうぶ岩は資料も何もなく発見した岩<写真23>かどうか確認ができないまま終わりましたが、しばらくは自分の中ではびょうぶ岩ということにしておきます。この他にもまだまだ人に知られていない秘密がたくさんありそうな山でした。
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