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ハイキング
奥秩父
斉木林道 (山梨県甲州市、山梨市)
2010年09月15日(水) [日帰り]
天候 | よい天気 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
柳沢峠から100mほど奥多摩湖側に進んだ地点にある林道笠取線入口が起点となります。ここからNTT無線中継所入口を経て、板橋峠まで林道を進みます(中継所入口から先は凸凹道です)。 板橋峠は典型的な峠の地形ではないのですが、広場にでたと思ったら、そこが峠です。 冬期通行止になっていなければ、板橋峠まで車で入れます。 峠広場の右側に見える尾根筋の道が斉木林道です(取り付きの部分は林道というよりも登山道に近いです)。 斉木林道は板橋峠から笠取小屋を結ぶ尾根沿いの林道ですが、尾根沿いであって、尾根上ではありません。板橋峠の取付口付近と白沢峠を除けば全区間で尾根よりも多摩川側に巻いています。尾根上にも道はありますが、防火帯になっているのと、アップダウンが激しいので結構辛いルートだと思います。 さて、板橋峠を出発すると、ちょっとは登りがあるのですが、直ぐに多摩川側に巻き始め、ほぼ平坦な道となります。沢筋に幾度も回りこみながら道を進みますが、本格的な登りが現れることはなく、やがて道は下り始めます。途中ヘアピンカーブなどもあり、かなり下っていくと、やがて白沢峠に到達します。進駐軍トラックで有名な場所です。尚、このトラックについて”フォード”との記述が多いですが、実際はダッジです。よく観察したので間違いありません。それも米陸軍ではなく米海軍払い下げのトラックです。タイヤは英国製ダンロップ。これも骨董品です。白沢峠からは高橋一之瀬へ下っていく小径があり、マウンテンバイクだったら10分ほどで高橋一之瀬最深部のゲート(鉄パイプで出来た頑丈な門)に辿り着けます。白沢峠から先の尾根上のルート(防火帯)は見ての通りの急勾配アップダウンですが、林道は再度多摩川側を巻く形で進みます。 なおも道は下りますが、ほどなく斉木林道で一番標高の低い地点となり、そこからは登りが笠取小屋まで続きます。鳥小屋跡手前でもう一台の廃トラックを道端に発見。こちらはトラックが不安定そうな場所にあるので、危険に思い詳細調査は行っていません。鳥小屋跡で高橋一之瀬最深部から登ってきた林道と合流、ここからは今でも日常的に笠取小屋管理者の軽トラックが通る道となります。しっかりした道を尚も進むとヤブ沢峠で、作場平への登山道が多摩川側に分岐しています。ここからは10分ほどで笠取小屋です。 しっかり管理された小屋で、週末やピークシーズンには管理人さんもいらっしゃるようです。斉木林道ルート上の水場は、板橋峠寄りでは沢水がありますが、白沢峠から笠取小屋の間は少し多摩川側に降りていかないと水場はありません。笠取小屋には勿論水場があります。 斉木林道は林道と名の着く通り、確かに前記の林業作業トラックの往来が可能であったほどの道幅を有していますが、近年は鳥小屋跡・笠取小屋間を除いて全く整備されておらず、ルール上もそうですが、物理的にも自動車の通行は不可能です。時折ケシカラン連中が東京都水道局の警告板を無視して板橋峠から白沢峠あたりまでオフロードバイクで乗り込んでくるようですが、マウンテンバイクはともかく、エンジン付の乗り物は勘弁してほしいです。 笠取山周辺同様、マウンテンバイクには理想のフィールドで、斉木林道に限っては徒歩よりもマウンテンバイクをお勧めしたいコースではあります。ただ気をつけたいのは、上記の通りルート途中の標高が低くなっているので、笠取小屋から柳沢峠へのマウンテンバイク下山路として楽勝だと思っていると、最後に板橋峠への登りで結構シンドイ思いをすることになります。 記録を取っていないのですが、健脚でない限り笠取小屋から板橋峠はマウンテンバイクでも1時間ではキツく、余裕を持って2時間弱みた方がいいかと思います。 私が初めて斉木林道の存在を知ったのは、もう30年位前のことでした。当時ランドナー(まだマウンテンバイクが登場していない時代)でのパスハンティングに凝っていて、柳沢峠周辺のことを調べていたら斉木林道という幻の林道(当時はそう表現されていた)があることを知ったのです。 しかしネットなども無い時代、情報は遅々として集まらず、何時かは走ってみたいとの思いだけはあったものの、トライすることなく月日は経っていきました。社会人になりたてのころ、実家の車を借りて下見と称して(実際は免許取りたてでドライブが楽しかった頃)板橋峠まで出向いたことがありました。 板橋峠には深静峡という別荘地があり、入口には関係者以外立入り禁止の看板があったのですが、斉木林道を探すためならとそのまま突入、別荘地内をウロチョロして、結局探せないまま諦めて帰ろうとしたら別荘地出口で管理人とトラブルになり、あわや殴り合いになりそうになったこともありました(たまたまそばにいた人の仲介で幾らかの「入場料」を払い、その場を切り抜けた)。 実は林道入口は別荘地入口の手前にあったのですが(上記の通り尾根そのものが斉木林道)標識なども一切なかったので当時は知る由もありませんでした。 深静峡(別荘地): 今では廃墟系サイトにも取り上げられるほど、怪しい場所として有名になっています。板橋峠が別荘地入口となっており、板橋峠から先の舗装路は別荘地内の私道となります。バブルの頃に開発された別荘地なのですが、あまりにも人里離れた場所にあるためか結局殆ど売れずに破綻(経営そのものはよくある政商みたいなデベロッパーが絡んでいたと聞く)、最後は別荘地そのものが放棄されました。ところが管理人は(私から金を巻き上げた人物だと思われる)破綻後も管理棟に住み続けていたそうな。管理棟は入口から少し進んで、右側に入ったところにある(あった)。情報によれば少なくもと2000年代前半まではご夫婦で住み続け、その後は男性一人だけが住み続けていた模様。 住んでいたといっても、サティアンとも、ゴミ屋敷とも言えるような、ホームレス然とした状態だったらしい。 それが2005年頃に火災(放火?)で管理棟が全焼、その後は誰もいなくなった(現在は焼け跡も片付けられている)。 この最後の住人は別荘管理人と同一人物だったのか、それとも他のネット情報にあるように全く無関係のホームレスかは不明。 廃墟系ページではその人物が塩山界隈のタクシー運転手の間で”オッサン”と呼ばれていたとの記述がある。私が独自に持っている地域情報では、少なくとも管理人ご夫婦は、地元の親しい人々には山菜取りの便宜を図ってくれたりもしたそうだ。しかし末期に一人で住んでいた人物は誰であれやはり尋常な人物ではなかったと思う。標高1600mの高地なので真冬にはマイナス20度くらいまで冷えることもあると思うが、単なるホームレスだったら確実に凍死しているし、そもそもホームレスがどうしてこんな山奥に流れ着くのかも説明できません。 何れにしても、立地的には深静峡は名に反して実に雄大な景色が楽しめる場所で、標高も高く空気は爽やか。 一之瀬高橋の廃墟の多くが別荘として買い取られていることを考えれば、国道411号線の改良も進み今や都心から2時間半程度の場所なので、大自然と不便さを逆手に取ったコンセプトで再開発すれば成功する別荘地だと思っています。悲劇だったのはこんな場所を軽井沢や伊豆と同じバブリーなコンセプトで開発したことであり、そんなものを求めている連中がこんな不便な山奥に来るわけがないことを何故わからなかったのかが不思議です。 その上、謎の住人のことや、周辺で江戸川出会い系女性放棄死亡事件が発生したこと、そもそも深静峡というネーミング(近隣のおいらん淵の悲劇を思い起こさせる)など、イメージ面で致命的ともいえるハンディを背負っており、今後再開発するにもハードルは高く、この別荘地は恐らく数十年後も放置されたままになっていることだと思います。 板橋峠周辺には平地があり、景色や環境も最高なのでオートキャンプにはもってこいなのですが、色々無茶する私でさえ、やはりあそこでキャンプする気にはなれません。 |
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