この夏、木曽駒ヶ岳から遭難記念碑(聖職の碑)を経由して下山してきた。
私は上伊那郡の出身で、上伊那郡の中学校2年生の多くは西駒ケ岳(木曽駒ヶ岳)登山に学校行事として参加する。
私も30年近く前に初めて西駒登山をした。
その時に学校で事前準備の中で過去に箕輪中学校の生徒が遭難した事故があるという授業を受けた。
ただし、新田次郎先生の聖職の碑は当時まだ読んではいなかった。
当時の中学校登山のルートは北御所登山口からのルートだったのではないかと思う。そこから伊奈前岳を通過して西駒山頂へ登頂し、夜は宝剣山荘か天狗荘へ宿泊したのではなかったかと思う。
新田次郎の聖職の碑の中に出てくる箕輪尋常高等小学校の生徒たちがたどった桂小場から将棋頭、濃ヶ池、駒飼ノ池、というルートは当時は歩いていなかった。
先日、遭難記念碑のルートから下山した後、思い立って「聖職の碑」を読んだ。
新田次郎の描く箕輪町の風景、駒ヶ岳の地名が頭の中に流れ込んできた。
この本は実際に現場を見たことがあるとこれほど鮮明に遭難者の様子が想像できるのかと感動した。
箕輪町の長岡、日輪寺、王墓、沢、松島、木下、上古田、富田といった地名。
伊那町(伊那市)の小出、内の萱、西春近といった地名。
全て行ったことがある場所で、こんなに身近な場所で過去に凄惨な遭難事故の舞台があったとはと当時のことを偲んだ。
また、小説の後半半分は新田次郎先生の取材の話となり、遭難当事者、関係者、諏訪中学の友人からの証言がこの小説にとても大切な肉付けをしているなと感じた。
取材をもとに構成された小説だからこそ臨場感が凄かった。
この小説には主人公が赤羽長重校長、有賀喜一訓導、清水征治などたくさん存在する気がした。「聖職」という名にふさわしい教師像を感じた。
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